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Daybreak'scenery  作者: 早藤 尚
3/3

 夜が明けたら何になるのだろうか。

 そんなわかりきった問いを、いつだったか投げかけたときがあった。

 友人は少し苦笑して、「朝焼けは、美しいですよ」と答えた。

 自分は、内心唾を吐いていた。

 朝が、嫌いだったのかもしれない。

 皆が夜を嫌うように、自分も朝を忌避していたのだ。

 きっと。


 だから、こんな景色を、彼は見たことがなかった。


 夕日よりも清烈に、刻々と溢れ出す朝色。たなびく雲は鮮やかに紅を纏い。先導する白色はさながら波飛沫のごとく。これほど強く輝いているのに、差し込む光は驚くほど柔らかく、そして優しい。

 重なり合った細い草木の間から、それは絹糸のように彼へ降り注いでは、微かな温もりだけ残して溶けてゆく。


「……草?」


 彼は自問した。

 首を傾げてみれば、確かに草だ。青々とした若い草。その向こうから、朝日は差し込んでいる。荒野などどこにも見当たらない。


「これは、驚いた……!」


 他者の気配に気付き緩慢に視線を動かす。見上げた先には火神ユリウスその人が、目を見開いて驚嘆していた。神の琥珀の瞳のなかで、同様に驚愕する己が姿が映る。


「……火神!?」

「記憶があるのか……いや、身体ごとこちらへ流れ着いてしまったのか?」


 ここは死後の世界か。

 友人が言っていた。命あるものは肉体を失くしたあとも、天の世界と地の世界を巡るのだと。そして魂はまた新しい種となり、命の花を咲かすのだと。

 なら、やはり自分も死んだのだろう。

 友人と、同じように。


(生きろ、と。言われたのに)


 身じろぎするたび、ぱしゃりと水が撥ねる。濃い水草の匂い。沼のような湿地に、彼は横たわっていた。さらさらとした水質がとても心地良い。

 火神は束の間沈思したようだった。


「これも奇跡、か」

「……?」


 近付けば裾を濡らすだろうに、しかし火神は一片の躊躇もなく彼の傍へ屈みこむと、


「ここは天界。本来ならば、人間界で死んだ者は肉体を地界に還し、心は種のかけらとなって天界へやってくる。そして長い間漂い続け、やがて成長してその花を咲かせ、新たな生命を生むのだ。ここに住まう者は皆、そうやって生を享ける」


 涼風が彼の黒髪をさらって撫でた。


「……だがお前は少々違うようだ。還すべき身体、溶かすべき記憶も持ったまま、花すら咲かせずこの場所に来た」

「つまり……俺は死んでいないのか」


 独白めいた彼の問いへ火神は静かに首を振った。


「いいや、お前は一度死んだのだ。その証拠に、もうあの力はないだろう」


 確かに。ふるおうと思っても何も起こらない。やり方すら忘失してしまったかのように。

 呆気にとられた思いで掌を見る。これほど簡単に、失うことが出来る力だったとは。


「それに、ここでは夜が来ない。日が沈まないから、暗い夜を嫌う者もいない」

「夜が、ない?」

「そうだ」


 火神が力強く頷く。


「お前はもう、黒夜ではない」


 一瞬、言われた意味が理解出来なかった。

 黒夜ではない。

 もう、恐れられ、迫害されることも、ない。

 やっと外れた枷に安堵と歓喜を覚えるも、ならば今の自分は何者なのだろうと再び不安に陥る。

 そんな彼の内心の揺れを察したかのように、火神は微笑んだ。


「そうだな、では、新しい名前は東雲しののめにしよう。まさにこんな景色のように、夜明けを齎す名だ」

「……しののめ」


 空が一面、彼の名に染まる。


「――東雲。私の、眷属にならないか」


 心に生まれるのはいまだ微かな灯し火。


『生きて』


 己の力で。己の意志で。

 生きるという、何にも代え難い情熱。

 幾千の時が過ぎようと絶えることのない、彼だけの火焔――





 ――それは、柔らかな朱色。大空を鮮やかに彩る、夜の果ての黎明。

 黒夜に別れを告げる、暁の夜明け色。


「東雲」


 主が呼ばう声に振り返る。

 長身を黒衣に包んだ彼のその髪、瞳は共に美しい黒。


「何でしょうか、ユリウス様」


 そして彼はしなやかに一礼をして、涼しげに笑む。

 部屋の窓の向こうに、眩しい朝焼けを眺めながら。




fin.


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