その八 かき乱されし乱の剣筋に、清流ならざる新たなる閃きを見たり(気の迷い)
道場にて卓抜とした業前を見せつけた乱に、雪は興奮冷めやらぬ様子で問いかけた。
「本当に、すごかったですっ……拙も、拙も鍛錬を積めば、ランさまのように剣が振れることもあるのでしょうかっ!?」
「ん?」
言ってから、〝しまった〟と雪は口元を押さえる。つい口走ってしまったとはいえ、道場主である乱に対して、不敬だったかもしれない。
とはいえ、雪の発言を聞いた門弟たちは、何やら和んでいる様子だ。
『ふふ、何と無邪気な……(稽古をつけて差し上げたい……)』
『童のように無垢なこと、微笑ましゅうござるな……(婚姻したい……)』
『手取り足取り腰取り仕遂げとうござる(いやあ何とも和み申すな~)』
最後のは乱に聞かれていないよう願うばかりだが、雪は不用意に口走ってしまったことを後悔し、頬を赤くして俯いている。
(うう、ここが剣術道場だからと、ついおかしなことを……今まで剣なんて握ったこともない拙なんかが、こんな情けない細腕で、出来るはずありません。道場の皆さんも、笑っています……ランさまだって、きっと呆れて)
「できるぞ」
「……えっ?」
思いがけぬ言葉に、雪が顔を上げる。目が合えば、乱の眼には、一点の曇りもなかった。侮りもなければ、憐みもなく、励ましでもない。
〝できる〟と、本気で雪に、そう告げているのだ。
「ユキ、おまえは知らぬで当然だが、己も昔、剣などロクに振れなかった。切欠は思い出したくもないが、そんな己でも今程度に剣を振れるようになったのは、修練を積んだおかげだ。だから、ユキ、おまえも必ずできるようになる。できるようになった、この己が、断言する」
「! あ……ら、ランさま……」
乱の言葉は真剣の如くに鋭く、そして真っ直ぐで、不思議なほどに説得力がある。
その説得力がどこから来るのか、なぜ胸に響くのか、雪には分からなかったが、嬉しくなって――陽光のような煌めく微笑むを浮かべた。
「――はいっ!」
「……ククッ、だが己のようにとなれば、生半の鍛錬では足りぬぞ? それこそ、その白雪の如き手が赤く染まるような、血の滲む鍛錬が必要だ……嫁だからといって、容赦などせんからな、クックック……!」
「ひ、ひええっ!? は、はい、それはもう、承知していますぅ……!?」
(はぁ~~~ユキの笑顔が眩しすぎて、なんだかまた変な感じになってしまった。ええーい恐ろしや、かくも恐ろしきはユキの可憐さぞー?)
乱が頭を振ると、適当に結った黒髪もぶんぶんと躍る。それはともかく、まずは手始めに、と雪に蟇肌を握らせた。
「ま、どんな道も一歩から、まずは素振りだ。何でも試してみるもんさ。ほら、稽古用の蟇肌を使うと良い。ああ、決して無理はせぬように。手のひらが痛んだら、すぐ休憩するのだぞ?」
「それだと血も滲みそうにない気が……ですが、道場主であるランさまの仰ることです、かしこまりましたっ。拙、がんばりますっ! むんっ!」
(む~~~ん~~~。むんって~~~、むんって、も~~~~っ)
何やら身悶えている乱に、雪は首を傾げつつ少し離れる。恐る恐る蟇肌を構えた雪を横目に、乱は乱で門弟たちと向き合った。
「ふう、さて、己は……この道場らしい乱心を鎮めるため、励むとするか。おい手前ら、全員でかかってこい」
『! おお……久しぶりの全員組手でござるな、腕が鳴り申す!』
『わしらとて腕を上げておる、若先生といえど、ただでは済みませんぞ?』
『今日こそは一撃くらい、打ち込んで見せましょうぞ!』
「あとユキに〝尻を揉む〟だの〝腰取り〟だとほざいた阿呆は最前列に立て。そしたら半殺しで済ませてやるが、隠れたら全殺しだ。覚悟しろ」
『聞かれておった!』『もはやこれまでにござる!』
どうやら逃げ延びることは叶わないようだ。無念。
……さて、ここからは〝乱 対 門弟全員〟。
そして少し離れた所で、夢中で素振りする、雪の様子である。
数十人の門弟を相手に、卓抜なる腕前の乱といえど、容易くはない……と思われたが。
「よ、よぉ~し、それでは素振りをっ。え……えいっ、えいっ」
(ぇ……えいっ!? えいっ、と!?)
『若先生、お覚悟……えっ剣がいつもと違う軌道を!? ウゲーッ!?』
「ううん、ランさまは、もっとこう……と、とおっ」
(とおっ……とおっ、って……とお、ってェ――~~ィ!)
『おげぼっふ!? う、うねる!? 剣筋がうねっており申す――!?』
「はあ、はあ……て、てやぁ~っ」
(てゃ、てっ、テヤァァァァァ!)
『ギャーッ激情の宿りし豪剣、お見事ドフーッ!?』
「は、はわわわっ……」
(はわわわわわ!!)
『わざっぷ!?』
『ぼすけて!!』
『あんびぃばれんっ!!』
雪が精一杯に剣を振るたび、常に精妙なはずの乱の剣筋が荒れ狂い、しかし激流のような勢いで門弟たちを打ちのめした。
結果、多数を頼みながら手も足も出ず、散々に打ちのめされた門弟たちは、後に語る。
〝進化しておる。若先生の剣は、今もなお進化しておる〟
〝嫁御を得て何か吹っ切れたのやもしれん。愛の力にござろうか〟
〝いつもの清流ならざる、濁流の如き剣であった〟
〝本当すいませんした。真面反省してます。もう尻とか腰とか言いません〟
最終的には、ひたすら平身低頭して許しを請う門弟たち。
その地獄稽古が終わりを迎えたのは、何だかわたわたしていた雪が休憩した折り合いだった。
「はあ、はあ……す、少し休憩を。……あの、なぜ門弟の皆様は土下座を?」
「ユキ、なかなか良い素振りだったぞ。莫大なる伸びしろを感じる」
「えっ、ほ、本当ですか!? ……そんなに伸びしろがあるということは、今があまりにも〝無〟な気もしますが……ランさまにそう言って頂けるなら、励みますっ」
「うむうむ、その意気だ。少なくとも己は、ユキのおかげでいつもより力が出たぞ。はっはっは」
「え、ええ~、そんなぁ……え、えへへっ」
大笑する乱と、はにかむ雪、死屍累々の道場内で、二人だけが和やかだった。




