その六 黒と白の、仮初め夫婦道中
田舎とはいえ、宿場町まで行けば、それなりの賑わいはあるものだ。
特に大きな通りには、旅籠だけでなく大店も軒を連ね、客引きの宣伝文句が飛び交い活発な雰囲気である。
そうして賑わう、大通りの中心を――圧倒的に目を引く、一組の男女が連れ立ち、並んで歩いていた。
片や黒を基調とした派手な衣装を纏う、乱雑に結わえられた黒髪と眼帯が特徴的な、顔塗りを施した〝悪童〟として有名な剣士。
片や白を基調とした見目麗しき着物を纏う、新雪のような長髪と肌を持つ麗人。白髪と赤みがかった瞳は異様ながら、陽を避けるためか洒落た蛇の目傘を差す姿が、また繊細にして幻想的な美貌を引き立てている。
「な、なんじゃ、ありゃあ、ここらじゃ見たこともねぇ美人さんが……」
「隣にいんのは有名な悪童じゃねぇか!? 女子を連れて歩いてるのなんざ、初めて見たぜ……」
「はぁ……うっとりしちまうよ、まるで天女様だねぇ……」
(ひぇーーーっ!? なぜか異様に注目を浴びています、ランさまが有名人だから!? かか堪忍してくださいぃ~~~!?)
性別に大きな秘密を抱える雪にとって、この異常なほどの注目は居心地も都合も悪い。傘を持っていない右手の袖で、緊張に赤らんだ頬を隠そうとする仕草が〝しゃなり〟と淑やかな様子で、ざわめきを更に大きくしていることに本人は気付いていない。
雪はひたすら困っているが、乱はといえば妙に上機嫌だった。
「ふっふっふ……どうだユキ、どいつもこいつも、おまえの美しさに驚いているぞ。何やら己まで誇らしくなってくる、自慢の嫁だな。はっはっは」
「ちょちょ、声が大きいですよう、ランさまぁ……契約結婚だということまで、知れ渡る必要はないのでしょう? それに拙なんて美しくなどないですからっ。きっと気持ち悪がられて、物珍しさで騒がれているのですよ」
「むう。ユキ、おまえは自分のことを、あまり理解していないようだな。それがおまえの事情にも関係するのかもしれんが……ま、その辺は、追々な」
乱の言葉は、雪にはいまいち実感がないらしい。だが、往来でひそひそ話をする様子を仲睦まじいと解釈したのか、舌打ちと野次を飛ばす者も現れる。
「……チッ! どいつもこいつも、なに騒いでやがんだ! 悪童なんて呼ばれる悪たれが、どうせ目立ちたいだけだろうが! いけ好かねぇあの野郎のことだ、大方あの女を売りにでも行くつもりじゃねぇか!?」
「クック、妬み嫉みの声が聞こえおる。ま、これもユキの可憐さゆえだ、つまらん嫉妬くらい聞き流して――」
「大体……あの女だって何だ!? あの髪も肌も、まっしろけで気持ち悪ぃ! 目ん玉も真っ赤で、妖怪かなんかじゃねぇのかぁ~!?」
「――――」
「? あ、あの、ランさま? 急に立ち止まって、どうしました?」
雪にしてみれば聞き慣れた罵詈雑言で、今さら気にすることもない。
けれど、足を止めた乱は――体は前を向いたまま、首だけを〝ぎ、ぎ、ぎ〟と傾けて、顔面中に青筋を浮かび上がらせながら、刀より鋭く睨みつけて言った。
「オォイ……今ほざきやがったのァ、どこのボケ滓だァァァ……?」
「へ。……ひぃんっ!? なななんだ急に、別に本当のこと言っただけ……」
「つまりは本心からの糞戯言っつうことで良いな? 手前……己のユキに言葉の糞ォ投げつけたこと、見逃してもらえると思ってんじゃねぇぞォ……残りの余生、全て後悔で埋め尽くしてやっからなァ……!!」
「いぁぁぁぁ! ちゃうんすよ! おれ、おれェ……生まれてこの方、女子にもてたことがぁ! 一度もないからァ! ただ……妬ましかっただけでェェェ!」
「ら、ランさま、拙は気にしていませんので、落ち着いて……あ、あわわわ」
野次男が言い訳し、雪が宥めても、乱の憤りは静まらない。そのまま男を容赦なく詰める乱は、雪と二人の時は見せぬ乱暴な〝悪童〟の姿そのものだった。
雪は「あわあわ」と戸惑っているが、その時、不意にしわがれた声が届く。
「……ねえねえアンタ、おゆきちゃん、っていうのかい?」
「あわあわ……へっ? あ、ええと、はい、雪と申しますが……」
雪が振り向くと、そこにはいつの間にか、数人の老婆がいた。その内の一人が、深い皺の奥の眼を好奇心に輝かせつつ、問いかける。
「もしかして、おゆきちゃんは……悪童様の、いいひとなのかい?」
「……えっ」
悪童、つまり乱のことだ。急に問われ、戸惑いながらも、雪は〝契約結婚〟のことを思い出す。今も男を詰めている乱に視線を向けて、勝手に答えて良いものかという緊張から、微かに頬を赤らめて静々と返事する。
「……は、はい、まあ……」
「!! ああ……やっぱりねぇ! よかった、よかった!」
「へっ? あ、あの、よかった、とは?」
喜ばれる意味が分からず問う雪を、俄かに取り囲んだ老婆たちが、口々にお喋りを始める。
「いやあ何せ悪童様、もう二十にもなるのに嫁御がおらんで、心配しとったんじゃよ!」
「ほにほに、悪童様はこの辺の治安を守ってくださるが、それが忙しくて見合いの一つも出来んのじゃないかとのう……」
「わしらのせいで、と心苦しかったが……こぉ~んな美人さんがいたなんて、悪童様も隅に置けないねぇ!」
「えっ? あ、あの、治安を、って……?」
〝悪童〟という空恐ろしい異名からは遠く思える、意外な評価と人気の理由は、そのお喋りのおかげで何となく理解できてくる。
「いやあ、こんな田舎じゃあ、町奉行なんて少なすぎて充分じゃないしねぇ。少し前まで、ちょっと旅人が裏道に迷いこめば、すぐ盗っ人や乱暴者に遭うことも珍しくなかったよ。あたしら婆みたいな弱者なんて、毎日恐ろしかったもんさ」
「そこいくと悪童様様だよ! 数年前に道場を継いでから、門弟を率いて瞬く間にこの辺一帯を締め上げて、悪党や性質の悪い浪人者を追い出し尽くしたってんだから!」
「それで悪ガキ共から恐れられて、逆に悪童なんて呼ばれて広まっちゃったけど、あたしらにとっちゃ守り神様だよ……まあ本人が悪童って呼ばれたがるから、呼ばせて頂いてんだけどね、かっかっか!」
「! そう……そうだったのですね。ランさま……」
初めて出会った時、雪が乱に救われたのも、完全な偶然ではなかったらしい。乱が悪童と呼ばれる所以も合わせ、雪の胸が熱くなっていると、老婆は目を細めて言う。
「だからさ……そんな悪童様が、ついに心を預けられるお相手を見つけた、って思うと……感無量でねぇ」
「うっ、うっ……本当に、良かったよぉ……めでたいねぇ」
「! 皆さん……いえ、でも……拙は……」
秘密を抱える雪の胸に、一抹の罪悪感がよぎる。ここで真実を打ち明けても、約束を反故にすれば乱が困るだろうし、誰一人として得はしない。
それでも、雪の正直な心根が促し、耐えきれず口を開こうと――
「――まあでも、そんな悪童様を騙そうなんて輩がいるとしたら、あたしら絶対に許さねえけどねぇ~!」
「応応! 末代まで祟ってやんべぇ~~~!」
「婆の呪いは年季が入ってるよォ~~~……? イ~ッヒッヒッヒ……」
(とぇーーーっ!? い、言えません……〝いえいえ契約結婚で、ランさまも本気じゃないはずですから!〟とか〝ていうか拙、男なのですよ~♪〟なんて……言えるわけありません――!?)
雪が心の中で悲鳴を上げていると、もはや和やかさなどかなぐり捨てている老婆たちがニタリと笑って言う。
「へっへっへ、安心しなよ、おゆきちゃん……悪童様やあんたを騙そうなんてやつぁ……裏に引き込んで、ちょっとしたお肉に早変わりさせてやっからさぁ……」
「オッ、ならあたしゃ、全身の毛穴から血を吹き出して血まみれにしてやっかね~! 呪うぞ呪うぞ~、フゥ~ッ!」
「人目につかない、いい山を知ってるよ。お奉行の目も届かないさ♪」
(ていうかこの方々、分かっていて拙に釘を刺しているのではないですよね!? なんだかもう、侠客の如き言動なのですが――!?)
本当に守護が必要な弱者だったのだろうか、老婆の一人などは、どこからか取り出した短刀の峰を舐めて〝ヒッヒッヒ……〟と不穏に笑っている。
……と、その時、男を詰め終えたらしい乱が戻ってきた。
「待たせたな、ユキ。わからせてやったから、安心しな。あの通り……」
『これぞ土下座流奥義! 倒立、逆さ人柱! 也ィ――ッ!』
「本当に反省しているかは良く分からんが、みっともねぇ姿を往来に曝しているし、見せしめにゃ充分だろう」
「あ、あわわ、そうなのですか……奇特な方もいるのですねぇ……」
男は頭頂を地に突き立て、両手は体の横に揃え、まさしく逆さまの人柱の如くになっている。ある種の美しさすら覚える異様な仕上がりに、足を止めて拝む通行人すらいるほどだ。
それはそうと、また歩みを進めようという折、老婆たちが見送りの声を上げてくる。
「悪童様! いつもありがとうねぇ~!」
「ほにほに、女子供や老人にゃ、お優しい御方じゃて……」
「おゆきちゃんと、お幸せにねぇ~!」
「ははっ、ありがとよ、婆さんたち! 長生きしてくれよな!」
小粋に手を振って返し、歩いてゆく乱を、雪は一歩下がった位置から見つめていた。
(ランさまの……ならず者や男たちへの、粗暴に見える言動には、そういう意味があったのですね。必要以上に威圧するのも、悪漢の悪心を押しとどめるため。弱きを守るために、そうして振る舞う……ランさまは)
「……うん? どうしたユキ、ジッと見つめて。嫁だからと下がって歩かれるなど、己の趣味ではないぞ。遠慮せず隣を歩いてくれ」
「……ふふっ、いいえ! ランさまはお優しい御方だなあ、と!」
「? ?? ははっ、なんだそれは。まあユキが笑うてくれるなら、何でもいいが。ははは!」
軽快に笑う乱に、つい雪も釣られてしまう。
先ほどまで人目に萎縮していた雪も、乱と一緒なら、往来だとて頼もしく思えるようだ。
……と思いきや、不意に脇から粗暴な声が聞こえてくる。
『……おらっ! とろとろしてんじゃねぇぞ、馬鹿息子が!』
『ふ、ふえぇん……やめてよ、お父ちゃん、打たないでよう……』
「――幼子を殴りつけてんじゃねぇぞ糞がァ! おらぁぁぁ!!」
『ひぇぇんっスイマセェンもうしませェん! ひぃんっ!?』
『たすかる~。童、たすかりもうす~』
「……ら、ランさま、あまりやりすぎませんよう……程々に、程々に~……」
……でもやはり過激すぎるかな、と、雪も少し思うのだった。




