その五 袖の白雪 褪せることなき新雪
雪が乱に拾われ、暫く経って落ち着いた頃、慮外の事態が起こった。
「というわけで、ユキの着物を用意させた」
「はい?」
「早々と着てくれ。支度が終わったら出かけるからな」
「……はい??」
言うが早いか、乱はすぐさま退室する。二階の、もちろん乱の部屋とは別に与えられていた自室に取り残された雪は、暫く呆気に取られた。
今まで着衣に関して、乱から何か言われたことはない。この屋敷内には簡単な着衣も充分にあり、不便したこともなかった。それが急に、着物を用意した、などと告げられたのである。
しかし、いや当然というべきか、着物は女性ものだ。雪の性別の秘密を知らないのだから仕方ない……が、しかし。
「っ。これはっ……これはっ……!」
男が女の着物を贈られ、それを身に纏うなど――真実を知らぬとはいえ、この時代において侮辱に等しく、戦乱の世には計略に基づく挑発に使われたほどの行為だ。
まさしく屈辱、これには拾われた恩義がある雪とて、雪とて……!
「これはっ……わあっ、なんて可愛いのでしょう~♪」
さて雪は、幼少期には存在をほとんど隠され、母との暮らしが記憶の大半を占める。そのため着物の着付けに関する知識も見て覚え、自分で身に纏うことさえ出来た。
そも、虐げてくるばかりだった年の離れた兄どもに関しては悪しき記憶しかなく、延いては男に良い印象を抱けることもない。
そんな雪にとって、共に過ごし唯一の味方だった母との思い出は美しく、それこそ女物の着物は憧れ同然とも言える。あっという間に宛がわれた着物を細身に纏い、雪は寸法がぴったりなのに驚いた。
「わ、わあっ、すごい、でもどうして……ランさま、目で見て測れたのでしょうか? ……うう、まさか露見ていませんよね、拙の……こ、こほんっ。……でも、この着物……ふ、ふふ、ふふふっ♪」
袖を通した着物の、心地よい肌触り、繊細な意匠に、雪の小さな口から思わず喜色が零れる。
白を基調とした着物は、まるで初雪の如き純潔の仕上がり。ところどころにあしらわれた花の紋様は、決して派手ではないのに確かな存在感を覚える、心憎いばかりの美麗さだ。
もはや雪とて、自身の性別を忘れて、ちょん、と袖の先を指でつまみながら、弾む心を体現するようにくるくるとその場で踊り――
「え、えへへっ……えへへ~っ♪ えへ――」
「…………」
「へあっ。…………」
――開いた戸を背に腕組みしている、出ていったはずの乱と、目が合った。
暫く見つめ合って硬直していた雪が、辛うじて言葉を紡ぐ。
「……あ、あの、ランさま、いつから見ておられましたか……?」
「ユキが、えへえへ言いつつ、くるくる回りだした辺りからだな」
「あ、ああ、そうでしたか~、ほっ。…………」
着替えを覗かれたわけではなく、性別の秘密は守られたようで、一安心――と、直後、雪は両手で顔を覆ってその場に突っ伏した。
「うにゃあああああ!! 殺して……殺してください~~~っ!?」
「ふっ、照れるとは、なんともいじらしい。…………」
何やら粋を装った乱が、沈着な態度で笑みを残し、部屋を出た。
――直後、強かに壁へ体当たりをかます。
「――可愛さ顕現大神かッッッ!!(意味不明)」
「うにゃあああああ!!」
「うわああああああ!!」
二人分の、何だか複雑なようなそうでもないような叫びが、隠れ家的なこの場所の外側まで響いたのだった。秘せよ。




