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黒き女侍と白き男嫁の契約結婚 ~ 相思すれ違い浪漫譚 ~  作者: 初美陽一


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その四 乱、母の記憶

 らんは、剣術道場の一人息子として育てられた。

 ただ、長子を尊重する風潮が当然の時世にもかかわらず、周囲が不可思議に思うほど、乱は父親から異様に毛嫌いされていた。


 その理由は、乱の()()()()()にある。道場の跡取りを渇望していた父親にとって、老いてからようやく授かった子が自身の望みとは異なり、必要以上の不満を覚えたのかもしれない。


 事実を知るのは、老いた産婆と、これまた年老いた中間ちゅうげん(※家長かちょうに仕える部下のようなもの)くらいだった。どちらも、既にこの世を去っている。


 父親は元々傲慢で、かつ呆が進んでいたため、乱の本来の性別を認めず男として扱った。しかし同世代の男児と比べれば当然、膂力は弱く剣術も劣る。

 そんな乱に、修練と称した体罰を与えながら、まだ道場主であった父親は叫んだ。


『出来損ないが、このっ、出来損ないがッ! なぜ、まともに剣も振れぬ! 貴様はわしの息子のはずだろうが! ええい、()()()()もッ……全てが癪に障る! 剣も振れぬなら、死んでまともに生まれ変われ!』


『ッ……ッ、うう、う……』


 両手で頭を抱え、嵐が過ぎ去るのを待つように、乱はうずくまる。決して外さぬよう強制された眼帯がずり落ちるほど打たれても、道場において最高権力者である男を止める門弟は、誰一人としてない。

 癇癪の如く、身勝手な暴力と罵声を叩きつける父親が、しかしここで致命的な言葉を発する。


『貴様のような出来損ないを産んだ――あの女も、出来損ないであろうぞ!』

『――――』


 その時だった。

 乱の体の中心で、何かが大きく弾け、直後には――


『――母上を侮辱するなクソがッ!!』


 この瞬間、まだ十の歳にも満たなかった乱が、大男だった父の利き腕を木剣ごと砕き折った。

 目撃者は誰も彼もが、信じられぬ、夢の出来事か、とばかりに唖然とする。


 だが、それは事実――この後、剣を握れなくなるほど再起不能となった父親は、落命の時までほとんど寝たきりとなった。それでも口だけは、一人息子であるはずの乱に関する暴言や妄言を、聞くに堪えぬほど呟き続けた。

 最終的には世話役ですら辟易とし、必要最低限以外には、誰も寄りつこうともしなくなったが。


 身勝手な失意に塗れ最期を迎えた、父の葬儀にて――十四の齢となった乱が〝ざまを見よ!〟と叫んだことで、既に悪童として馳せていた悪名は更に高まったという。


 乱にとって、母は家中において唯一の味方にも等しく、誰よりも優しかった彼女は、神にも等しい存在だった。そんな母を早くに亡くしてしまったことも、乱の中の神聖視に拍車をかけている。


 その聖域を父親とはいえ土足で穢され、その憤怒に導かれてちのめしてから、乱の剣術の腕前は覚醒したかの如く飛躍的に向上していった。

 勝手に〝元服した〟とのたまい、道場主を引継ぐと取り決めても、一切の文句も出ぬほどである。あえて派手な衣装や顔塗りを施し、必要以上に粗暴な振る舞いをするのも、自身の秘密を悟られぬようにするためだ。


 舐められて、たまるかと――忌々しいあの父親のような暴威を、決して許してはなるものか、と。

 そうして〝悪童〟として振る舞い、気を張り続けてきた、乱の日々は……


 ……乱の、日々は……。


 ◆     ◆     ◆


「……っづ……!」


 顔を寝汗で濡らした乱が、痛むのか右眼を押さえつつ上半身を起こす。


クソっ、眼帯が……だから、あんなつまらない夢を……ッ」


 寝ている時でさえ外さない眼帯を、痛みを堪えるように瞑っていた右眼の上に、乱雑に巻き直す。

 烏の濡れ羽のような黒髪が、汗で張り付くのが気色悪いのか、乱は頭を振りながら荒々しく立ち上がった。


「糞ッ、糞ッ、忌々しい……ああ、腹が立つ、何もかも、今すぐち壊してやろうか……!」


 今から町にでも出て、誰彼構わず喧嘩でも吹っ掛けてやろうか――乱は今、自分がどこで夜を明かしたのかも忘れ、二階から一階へと乱暴な足音を立てて下りていく。

 すると、吹き抜けの台所に――



『あら、おはよう、乱』

「!? は……母う……」



 差し込む朝日に照らされて、眼帯で塞いでいない左側が、幻想をた。

 しかし直後には、現実の景色が声と一緒に飛び込んでくる。


「あ……ランさま、おはようございますっ」

「え、あっ。……ゆ、ユキか」


 乱が不明瞭に呟くと、きょとん、としたゆきが首を傾げる。

 しかし直後には、何やら支度していたらしく、広い場所へ膳を運んできた。


「あ、あの、ランさま……ご迷惑かとも思ったのですが、一応、朝餉あさげの支度などをして……もしその、具合が悪ければ、取り下げますが……」


「あ? ぁ……い、いや、特に問題ない。その……頂くとしよう」


 気付けば不思議なことに、乱を蝕んでいた頭痛や不快感は、()()()()と消え去っていた。不可解に思いつつ乱が座り込むと、雪が見た目通りの上品な仕草で膳を置く。


 白米に味噌汁、素朴ながら妙に薫り高く、乱が椀を手に取り口づけた。


「! ……う、美味うまい!」


「! ほ……本当ですか、ランさま?」


「ああ、味噌汁の具合が、妙に()()……昨日の今日で、この家には大した蓄えもしていなかったのに、不思議だ……米の水加減も、絶妙。朝だというのに、これならいくらでも入りそうだ。火加減が違うのか……?」


「ああ、よかったぁ……せつは、亡くなった母とほとんど二人暮らしで、色々と教わっていて……料理支度には、特に自信があるのです! おかわりもまだまだありますから、必要なら言ってくださいませっ」


御母堂ごぼどう、と。……そう、か。良い母君だったのだな」


「はい! ……あっ、す、すみません、恥ずかしげもなく大声を……」


「いい、遠慮は不要だ。……ん? 遠慮と言えば……ユキ、なぜ汁物しか飲まない? 飯も入れねば、体が()()()ぞ」


「えっ? い、いえ、拙なんかが、白米まで頂くわけには……」


 泰平の世、白米の流通が進み、一般的になってきた。とはいえ、身分によっては口に入れることも許されない、ということも往々にしてある。

 その辺りを雪も気にしているようだが、乱は首を横に振った。


「いい。どうせここは田舎だ、東照神君とうしょうしんくんの威光も届かぬほどのな。そもそも他者には秘めた場所だし、誰に気兼ねすることもない。この家は、オレとユキだけの場所で、己たちだけが決まりだ」


「! ……そ、そう、ですか? ええと、では……遠慮なくっ」


「ああ。……それにユキは華奢すぎるぞ、もっと食わねば。いくらおなごとはいえ」


「んッけっほけほっ!?」


「えっどうしたユキ、急にむせて? だ、大丈夫か?」


「なななんでもありません、なんでも……で、では、いただきまぁす……」


 急に咳き込んだ雪の様子に、乱は〝病弱なのか?〟と、自身の母を思い出してついつい心配する。

 しかしすぐさま平静を取り戻した雪が、お櫃からよそった白米を口に運ぶと――


「……っ。んんっ……おいひぃですぅ……♡」


「……ふ、そうか。…………」


 乱にとって、いつ以来ぶりか、心の底から和やかな気持ちになり、自身も食を進める。

 ただ、二人で食事をしている、それだけのこだ。


 それなのに乱は、なんだか、()()()()()なって――


「ッ。んぐっ、んぐっ!」


「へっ……? ら、ランさま、急にごはんをかき込んで、どうしました?」


「……ああいや、あまりに美味すぎて、つい、な。……おかわり、もらえるか?」


「あっ、もちろんです、よろこんでっ! ~♪」


 こみ上げてきたものを椀で隠して誤魔化し、雪と二人だけの朝を、和やかに過ごしていく。


 つい昨晩に出会ったばかりなのに、不思議なほどだった……と、話はそこで終わらない。


「……いや、本当に美味かった。ありがとう、ユキ」


「いえいえっ、お粗末様でしたっ。こちらこそいっぱい食べてくれて、嬉し――」


「で、だ。こんな良き嫁を得たからには……オレにも、やらねばならぬことがあるのでな」


「へっ?」


 素っ頓狂な声を漏らす雪に、乱は軽く笑みを浮かべて告げた。



「準備を整えたら、近いうちに()()()()だ――心の準備をしておけよ?」

「えっ」



 当たり前のように告げられ、つぶらな目を更に丸めていた雪だが、直後には小さな口を目一杯に開いた。


「……え、ええええええええっ!?」


「ははは、ユキはよく叫ぶなあ」


「ランさまが叫ばせているのでしょう!? お披露目ってどういうことです~!?」


 困惑する雪に、乱は軽快に笑うだけだった。


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