第28章 王子の覚悟と聖女の誓い
幾日も続いた曇り空の下、城門の外には避難民の列ができていた。
彼らは――かつてミサが召喚され、そして追放された国の民だった。
荒れ果てた土地を逃れてきた彼らの顔には、疲労と絶望、そして微かな希望が混じっている。
「ようこそ。我が国へ」
城門の前に立つレオンハルトが、穏やかに声をかける。
王族の威厳をまといながらも、民を見下すことのないまなざし。
その姿に、民たちは次々と頭を下げ、涙をこぼした。
ミサはその隣で、倒れ込んだ子どもに膝をつく。
そっと掌をかざすと、淡い光が生まれ、子どもの擦り傷が癒えていった。
民たちは息を呑み、誰かが震える声で言った。
「まさか……本物の、聖女様……?」
ミサは首を振る。
「私は、ただの人です。助けられるなら、それで十分です」
彼女の瞳はまっすぐで、穏やかで。
その姿を見つめるレオンハルトの表情に、
静かな敬意と――それ以上のものが宿っていた。
「ミサ、もういい。今日は休め」
レオンハルトがマントを外して彼女の肩にかける。
布越しに伝わる温かさに、ミサの頬が淡く色づいた。
「……ありがとうございます、レオンハルト様」
「俺にとっては、“聖女”よりも“ミサ”という名の方が大切なんだ」
その言葉に、ミサは息を呑んだ。
胸の奥で、何かがやわらかく溶けていく。
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夜。
執務室に集まった貴族たちは口々に不満を漏らしていた。
「殿下、彼女はかつて敵国に仕えた女です。今も何を考えているか……」
レオンハルトはゆっくりと立ち上がった。
冷ややかな視線が会議室を一瞬で凍らせる。
「――黙れ、わが父、陛下が彼女に
この国にいて良いと仰っていたのだ」
静かに放たれた一言に、誰もが息を呑む。
「お前たちは見なかったのか。
今日、ミサが自らの力で、倒れた子どもを救ったあの光景を」
「しかし、あれは危険な力では――」
「危険なのは、理解せずに恐れるお前たちの心だ。
彼女はもう手放さない」
彼の声は低く、しかし確固としていた。
「俺はあの力を信じる。彼女を信じる。
そして、救いを求める者を拒む国に未来はない」
その場の空気が一変し、誰もが言葉を失った。
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その夜、ミサは眠れずに庭園へ出ていた。
月明かりの下、白い花が風に揺れている。
昼間の出来事が何度も脳裏をよぎる。
自分の力が、人を癒やした――それだけで胸が温かくなった。
けれど同時に、あの国のことも思い出す。
召喚され、聖女として祀り上げられ、
そして力を恐れられ、追放された過去。
どうして、あんなに簡単に見捨てられたのだろう。
「……眠れないのか」
声の方を振り向くと、レオンハルトが立っていた。
いつもの鎧ではなく、軽装のシャツ姿。
その姿に、思わず胸が跳ねる。
「はい……少し、考えごとをしていて」
「君のことか? それとも、あの国のことか?」
ミサは小さく笑った。
「どちらも……ですね」
レオンハルトは近づき、そっとミサの手を取った。
「君は優しすぎる。
あの国に傷つけられたのに、なお人を救おうとする。
……そんな君を、俺は尊敬している。
いや、それ以上に――惹かれている」
「れ、レオンハルト様……」
「ミサ。君が微笑むたびに、俺の世界が明るくなる。
君が悲しむたびに、胸が痛む。」
ミサは言葉を失い、ただ見つめ返した。
その瞳に映る自分の姿が、
かつてよりもずっと穏やかに見えた。
「でも……私はかつての国の聖女です。貴方の隣に立つには……」
「資格なんて関係ない。
俺は、聖女としての君ではなく、“ミサ”という女性を愛している」
レオンハルトが頬に手を添える。
月の光に照らされたその瞳が、真剣に揺れていた。
「だからもう、離れないでくれ」
ミサの胸に温かいものが溢れる。
涙がこぼれ、彼の胸に顔を埋めた。
「……はい。レオンハルト様」
彼は優しくその背を抱きしめ、
花の香りに包まれた夜が静かに流れていく。
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翌朝。
かつての国――聖女を追放した国からの報せが届いた。
「民は飢え、貴族は逃げ出し、国は崩壊の危機にあります……」
その言葉に、レオンハルトは静かに目を閉じた。
「――聖女を見捨てた報いだ」
ミサは胸を痛めながらも、その手を握った。
彼の手は温かく、力強い。
「それでも、助けを求める人がいるなら……」
「救おう。君がそうしたいなら、俺も迷わない」
レオンハルトの声には、確かな決意があった。
彼の言葉にミサは微笑む。
あの国が滅びても、もう恐れはなかった。
今はただ――この人と、この国を守りたい。