第12章 朝の光、胸の奥のぬくもり
柔らかな朝の光が、白いカーテンを透かして部屋に差し込んでいた。
鳥のさえずりが聞こえ、遠くから馬のいななきが届く。
ミサは、まぶたをゆっくりと開けた。
――夢じゃ、なかった。
昨夜、月明かりの下でレオンハルトと話したこと。
彼の優しい声。差し出された手。
思い出すだけで、胸の奥がじんわりと熱を帯びる。
「ミサ様、おはようございます」
扉の向こうからメイドのエリナの声が響いた。
ミサは慌てて布団から起き上がり、乱れた髪を指で整える。
「お、おはよう、エリナ。今日はいい天気ね」
「ええ、朝から陽の光が温かいです。イザベル様が、中庭での訓練日和だと」
「……そう、訓練ね」
昨夜の彼の言葉を思い出して、心臓が少し早く打つ。
“明日は無理をせず、風にあたってみるといい”
レオンハルトの穏やかな声が、まだ耳の奥に残っていた。
支度を済ませて部屋を出ると、城内の回廊を渡る風が心地よかった。
磨かれた石畳に朝日が反射し、天井のステンドグラスが虹色の光を落とす。
外へ出ると、中庭にはすでに護衛たちが集まっていた。
剣の音が鳴り、朝の空気に張り詰めた気配が漂う。
その中に、一際目を引く姿があった。
黒髪を朝日に透かし、赤い瞳がこちらを見つめる。
「おはよう、ミサ」
穏やかな微笑みとともにレオンハルトが声をかけてきた。
その笑みは、昨日よりも少しだけ柔らかい。
「おはようございます、レオンハルト様」
「顔色がいいな。よく眠れたか?」
「はい……おかげさまで」
「そうか。なら良かった」
短い会話なのに、心がふわりと温かくなる。
イザベルは少し後ろからその様子を見守っていた。
そっと小さく笑い、護衛仲間のカイルに囁く。
「レオン様、最近……少し優しいですね」
「優しい? いや、あれは――」
カイルは口をつぐみ、ちらりとミサを見る。
「……気になるんだろう、あの方が」
「カイル!」
イザベルは頬を染め、慌てて口を押えた。
二人のやり取りを知らず、ミサは少し緊張した面持ちで訓練場へ向かう。
朝の訓練は穏やかに始まった。
イザベルが手本を見せ、ミサはぎこちないながらも体を動かす。
日差しが暖かく、空気が澄んでいる。
汗がにじむたび、少しずつ体が軽くなっていくのを感じた。
ふと視線を上げると、レオンハルトがこちらを見ていた。
護衛たちに指示を出しながらも、彼の赤い瞳は時おりミサを追っている。
その視線に気づくたび、胸が高鳴った。
「無理をするな。呼吸を整えて、少し休もう」
レオンハルトが近づき、水筒を差し出した。
「ありがとう、ございます」
「……剣の握り方も、少しずつ形になってきたな」
「そ、そうでしょうか?」
「うん。焦らずに、少しずつでいい」
真剣な眼差しと優しい声。
ミサは胸の奥で、何かが芽生えるのを感じていた。
昼になると、訓練は一段落し、皆で外で昼食を取ることになった。
青空の下、芝の上に敷かれた布の上でパンとスープが並ぶ。
エリナが用意してくれた温かいスープの香りが漂い、和やかな空気が広がった。
「今日のスープは野菜が多くてうまいな」
「ミサ様が健康にいいとおっしゃって、厨房に伝えてくださったのです」
「……そうだったのか」
レオンハルトが少し驚いたように目を瞬かせる。
「はい。寒いときは、体の中から温めたほうがいいと思って」
「なるほどな。お前らしい」
そう言って微笑むレオンハルトの声が、穏やかに心に響いた。
周囲の護衛たちも、笑いながら談笑を始める。
昨日まではどこか遠慮がちだった空気が、今日は少しだけ近い。
ミサはその変化に気づき、胸の奥がじんわり温かくなった。
風が頬をなでる。
青い空の下で笑い合う彼らの姿は、ミサにとって新しい“居場所”のように感じられた。
――もう一度、信じてもいいのかもしれない。
誰かを。自分を。
夕暮れが近づくころ、訓練は終わり、皆が片づけをしていた。
レオンハルトがミサの方に歩み寄る。
「今日もよく頑張ったな」
「ありがとうございます」
「……昨日よりずっといい顔をしている」
彼の穏やかな声に、ミサは息を呑む。
そして、ふと彼が低く言った。
「お前の笑顔を見ていると、不思議と俺まで安心する」
その言葉はあまりに自然で、あまりに優しく――
ミサの胸の奥に、そっと灯がともった。
レオンハルトは微笑み、護衛たちの方へ歩いていく。
その背を見送りながら、ミサは小さく呟いた。
「……レオンハルト様」
言葉は風に消えたが、心の中に残る温もりは、いつまでも消えなかった。