第一章:無力の聖女
眩い光に包まれ、ミサ――桐原美沙、23歳――は目を開けた。
黒髪は肩まで届き、前世の疲れを残した表情にもどこか凛とした気高さが漂う。
目は暗い茶色で、少し大きめの瞳が不安に揺れる。
目の前には高い天井、石畳の床、豪華な装飾を施した玉座。そして整列する神官たち。
「……ここは、どこ……?」
声が震える。頭はぼんやりとしており、状況を理解するには時間がかかった。
国王レオポルトが重々しい声で答える。
「ここはグランベル王国だ。そして汝は、百年に一度女神が遣わす聖女――この国を栄えさせる使命を負った者だ。」
ミサは目を大きく見開く。
「……私が……聖女……? 国を、栄えさせる……?」
王子ユリウス、23歳。金髪を背中まで垂らし、碧い瞳は冷たく光る。
整った顔立ちと高貴な姿勢で、玉座の上から見下ろすその視線は鋭く、苛烈さを秘めていた。
「お前は聖女として、この国を繁栄させる義務がある。加護の力を使い、民を守り、王国を栄えさせろ。」
神官たちも一斉に頭を下げる。
玉座の上からの圧力に、ミサは思わず後ずさりする。
前世で疲弊した社畜としての経験さえ、この突然の重責の前では軽く思えた。
最初の加護測定の日、ミサは心の中で必死に祈った。
「どうか、私に力を……」
だが、光はまったく発現しない。
神官たちは眉をひそめ、王子ユリウスは鼻で笑った。
「ふむ、これが百年の聖女か。見た目も地味で、まったく興味が湧かないな。」
周囲の貴族たちもくすくす笑う。
国王レオポルトも溜息をつく。
「……これでは、国の加護にはならぬか。」
ミサは胸が締め付けられる思いだった。
祈り、努力しても認められない。王国の期待に応えられない自分に、深い無力感が押し寄せた。
玉座の間を出ると、宮廷の廊下では貴族たちが笑い声をあげていた。
銀食器には豪華な菓子や果実が山盛りにされ、料理人が慌ただしく運ぶ。
国王レオポルトと王子ユリウスは、談笑しながら贅沢な酒を飲み、金貨や宝石を手に取り喜んでいた。
「これだけ民から徴収すれば、次の戦役も楽だな」
ユリウスの声に、貴族たちが頷く。
民が飢えようと、聖女が無力であろうと、彼らには関心がなかった。
「神の加護? ああ、もちろん名目上は必要だがな」
レオポルトは自らの腹を撫で、笑みを浮かべた。
ミサは遠くからその光景を見つめ、言葉を失った。
王族も神官も、民も聖女も――すべては私腹のために動いている。
その現実に、胸の奥が張り裂けそうになる。
神殿では粗末な部屋に押し込められ、食事も最低限。
王子ユリウスは夜ごと愛妾たちと宴を開き、ミサを一瞥すらしない。
祈っても加護は現れず、民は「聖女の力が足りない」と噂する。
孤独と無力感に押し潰されそうになりながら、ミサは耐えた。
「私の力は……本当に、必要とされないの……?」
ついに運命の日が訪れる。
国王と王子が揃った玉座の間で、告げられた言葉――
「聖女よ、汝の力は国に不要。神の名を汚す前に、ここを去れ。」
王子ユリウスは冷たく笑う。
「国に役立たぬ者は、ここに居る意味もない。」
ミサは震える足で雪の吹きすさぶ国境へと連れ出される。
背後では、豪華な玉座と笑い声、銀食器と金貨の山が煌めいていた――
その光景は、もう自分の居場所ではないことを告げていた。
雪の中、冷たい風に打たれながらも、ミサの胸には小さな決意が芽生え始める。
「……でも、私は……生きたい……」