第2話 地下金脈の値札
黒曜機関が吉野の外郭から持ち帰った金塊とダイヤ原石──総額二億九千万円相当──を積んだトラックが、夜明け前の横浜埠頭に滑り込んだ。港の照明灯がまだ点きっぱなしだが、桟橋には人影がない。蒼真は運転席から降りると、刃のような海風を吸い込み、背後の荷台を叩いた。
「これで資金は揃った。借金ゼロ主義の第一段階クリアだ」
荷台の蓋を開けると、鹿島翼が改修中の振動槍〈Type-β〉を抱えたまま欠伸をした。
「しかし金ってのは重いな。三十億近い価値があるくせに、持ち運びはダンベル並みだ」
「今度はもっと軽くて高い鉱石を掘るさ」
蒼真は笑い、タブレットを操作して買取業者への入場認証を送信した。吉野迷宮からの正規採掘品となると、国連AEGISの簡易検査が必要になる。だが外郭層の“自由採掘区”というグレーなお墨付きがあるため、検査といっても蛍光X線を軽く当てるだけだ。
搬入口のシャッターが上がる。ところが中にいたのは検査官ではなく、紺色のスーツを着た三人組だった。中央の男が名刺を差し出す。
「環太平洋ダンジョン局(PADB)・資源調整課の南雲です。採掘量が規定値を超えた場合、ロイヤルティの支払い義務が生じます」
蒼真は眉をひそめた。「外郭層は十パーセント固定のはずだ。しかも今回の採掘量なら免税範囲に収まる」
南雲は口角を上げ、タブレットを示した。「今週からの新通達です。“外郭層でも鉱石換算額が二億円を超える場合、追加で五%の環境保全費を納付すること”」
背後で瑠璃子がスマホを操作し、ライブ配信チャットを開いた。〈PADBの新税まだ可決されてないぞ?〉〈粗悪な嫌がらせだろ〉という視聴者コメントが流れる。視聴数は一万を超え、企業ロゴ付きの“投げ銭”が相次いで飛ぶ。
蒼真は南雲の視線を一瞥し、タブレットを返した。「条文もない“通達”には従わない。正式採掘登録だけは通してくれ。俺たちは合法を自負してる」
その時、倉庫奥の薄闇から鋲付きブーツの足音が響いた。南米風の刺繍をあしらった迷彩ジャケット──ラプラタ共同鉱業隊の隊長が現れる。肩には包帯、顔には擦り傷。彼は南雲を無視し、蒼真の前に立った。
「黒曜機関へ借りを返しに来た。吉野外郭の鉱脈の五%権益、そしてこれだ」
差し出されたケースの中で、手のひら大の乳白色結晶が淡い光を放っていた。†マグネリウムの純結晶──黒曜機関がまだ保有していない武器素材だ。
南雲の顔色が変わる。「それは輸入規制品です。許可なく譲渡は――」
ラプラタ隊長は笑った。「許可? これは吉野迷宮の産出物だ。合法かどうかは迷宮が決める」
蒼真は結晶を慎重に受け取り、南雲に背を向けた。「書類は後日AEGISに直接提出する。税率が決まる頃には、俺たちもう深層にいるさ」
スーツ三人組が苛立ちを隠せないまま退散すると、瑠璃子のライブ視聴者数は二万に跳ね上がった。コメント欄は「#借金ゼロ主義」「#新税粉砕」のタグで埋まり、広告収益の見積もりがタブレットに跳ね上がる。
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その夜、黒曜機関の倉庫で鹿島が結晶を旋盤に固定し、レーザー刃で薄片を削り出した。削りカスさえ数十万円の価値がある。蒼真は父のフォトンブレード〈黎明〉を窓辺に立て掛け、結晶片を刀身に沿わせる。
「ここを切り欠いて埋め込めば、光刃の安定時間が倍になる」
鹿島が図面を示す。蒼真はうなずいた。
「明日から刀を預ける。俺は資材を揃えるため東京へ行く」
「資材?」
「深層へ降りる前に、もう一つ必要なものがある」蒼真は薄く笑った。「“抜け道”だよ。PADBが追加税を課す前に、中層へ最短最速で潜るルートを見つける」
瑠璃子がノートPCを閉じ、椅子を回しながら言った。「抜け道といえば……吉野迷宮の旧仏教寺院側面に開いた自然縦坑。噂じゃ結晶蟻の巣と繋がってるって」
「上等だ」蒼真は刀を握る。「蟻を避けて進むのは不可能だ。でも回り道をすれば時間も金も食う。だったら“蟻ごと貫通”が早い」
倉庫の天井から吊るした作業灯が、黒曜石の刀身と削り出した結晶を照らした。刃と鉱石が接する瞬間、微かな光子がこぼれ、夏の蛍のように揺らいだ。
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翌朝。横浜港の水面に朝日が映え、黒曜機関のトラックは再びエンジンをかけた。荷台には金塊とダイヤを収めたコンテナ、車内には次の遠征の資材リスト。埠頭の奥では、新型ドローンの試験飛行が始まり、白い航跡が空に弧を描く。
蒼真は運転席でナビをセットし、仲間に目を向けた。「目的地は東京・御徒町――宝石取引のど真ん中だ。売れるものは売り、買えるものは買う。金さえ動かせば、税も政治もただの紙切れになる」
鹿島が拳を突き出す。瑠璃子も笑みを浮かべ、ドローン操縦桿を握った。トラックが加速すると、港の倉庫群が後方へ流れ、黒曜機関の旗が風に鳴った。
父の死から一年。借金ゼロ主義の烙印は、確かに蒼真の背に刻まれた。
次なる戦場は迷宮の“抜け道”──深層へ続く、蟻の王庭の影だ。