第1話 外郭突破
濃い朝霧が吉野の山肌を覆い、桜の若芽を霞ませている。黒曜機関の輸送車が林道の終点で停まった。蒼真は荷台から跳び降り、霧の奥で薄く揺れる結界フェンスを見上げる。国連AEGISが張った簡易封鎖――外郭層は採掘解禁区域とはいえ、無許可の私設隊が入るのは半ば黙認というグレーゾーンだ。
「電界スキャン、穴あきまくり。フェンス電圧ゼロよ」
タブレットを覗き込んだ瑠璃子が呆れた声を上げる。
「国連さんも、人手が足りないってわけだ」
鹿島翼は肩から振動槍〈Type-β〉を外し、石英の刃先を霧へ差し向けた。
蒼真は頷き、父の形見〈黎明〉の鍔を親指で押し上げた。
「ここから先は自己責任だ。外郭資源を三日で掘り切る。金とダイヤで二億――残り一億は核晶ルートの資材に回す。いいか、採掘も戦闘も“最小コスト最大利益”だ」
仲間たちは一斉に拳を掲げ、電線フェンスの切れ目をくぐった。
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外郭層は想像以上に静かだった。石灰岩の壁に淡い燐光が点在し、洞窟河川の水音が遠くで反響する。空気は冷たいが、湿度に乗って金属の匂いが鼻腔を刺す。センサーを持つドローンが頭上を滑り、鉱脈のスペクトルを投影した。
「右壁に金。深さ三メートル。割付けて掘るわ」
瑠璃子が軽口を叩きながら、小型プラズマカッターをセットする。燃焼しない代わりに超音波で割る新式工具だ。辺り一面に細かな金の粉が舞い、ヘッドランプの光を浴びて黄金の霞となる。
「三〇キロはあるぞ。鉱脈、太い」
鹿島が振動槍で余剰岩を叩き崩しながら目を細めた。
蒼真は戦闘班とともに周囲を警戒する。ヴォイド内部の動物変異――特に吉野迷宮ではニホンイノシシの巨大化個体〈鋼皮獣〉が群れると報告されていた。
その時、洞窟奥で岩粉を踏み潰す低い咆哮が響いた。
「来る!」
蒼真が叫ぶより早く、影が三つ、霧を裂いて飛び出した。体高二メートルを超える漆黒の猪。鼻面は鋼鉄色の甲殻で覆われ、牙は削岩機のように尖る。
蒼真は〈黎明〉を抜く。黒い刀身が淡青色の光子をまとい、音もなく横薙ぎに走った。猪の甲殻と光刃が擦れ合い、高周波の悲鳴が洞窟を震わせる。甲殻が割れ、肉が灼け、蒼真はすれ違いざまに二撃目で頚骨を断った。残る二体へ鹿島の振動槍が突き立ち、刃先の磁気振動が骨ごと臓腑を粉砕する。
「被弾なし、採掘続行!」
蒼真は肩越しに叫び、瑠璃子たちが再び削岩を始めた。洞窟の奥では、さらに深い低音が重なり合う――群れの本隊が近い。
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二日目、外郭層の最深限界付近。
採掘した金とダイヤは目標を上回る二億四千万相当。だが荷運びドローンが限界重量を迎え、残る一機が資材搬出の帰還ルートをたどる中、洞窟全体が震えた。
「地震じゃない。あれは――掘削爆裂?」
鹿島が眉をひそめる。
前方のトンネル奥に、パナマの国章をあしらった外装スーツが見えた。南米ロウアーティア隊〈ラプラタ共同鉱業隊〉――民間鉱山企業の連合部隊だ。
「掘削権は先願主義だろ。奴ら、こっちの鉱脈に割り込む気か」
蒼真は刀を収め、ゴーグルを上げて進み出る。
「交渉する。撃ち合ってる時間はない」
だがラプラタ隊の先行班は蒼真の警告を無視し、炸裂杭を岩盤に打ち込んだ。ヴォイド内部では火薬が働かないが、彼らは超振動杭で岩を局所崩落させ、鉱脈を“自走収穫”する強引な手口を使う。杭が連続して光を弾き、洞窟天井が悲鳴を上げた。
蒼真は駆け出し、杭のコアを刀で斬り落とす。
「おい、ここは俺たちが先だ――!」
杭が折れた瞬間、砕けた岩の隙間から群体蟻〈シリカアント〉が滲み出た。水晶のような外殻を持つ中層の軍勢。彼らは震動を感知し、群れで襲い掛かる習性を持つ。
「警戒! 鋼皮獣とは比べ物にならんぞ!」
鹿島が叫ぶが、ラプラタ隊の一人が振動ドリルごと蟻に飲み込まれ、クリスタルの棘に貫かれる。蒼真は咄嗟に〈黎明〉で蟻の波を左右に裂き、鹿島が槍を回転させて後退を援護した。
瑠璃子は通信ドローンのカメラを蟻群へ向け、SNS ライブを開く。
「視聴者五万人突破! 支援スパチャ来てるわ! 撤収用の追加ドローン買える!」
「あとで礼を言う。今は下がれ!」
蒼真は〈ラプラタ〉の生き残りを視線で示し、「助けるか捨てるか、一秒で決めろ」と翼に言った。
「助ければ負担だが、借りはいつか利子付で返る」
「上等」
二人は蟻の波を切り裂きながら、負傷したラプラタ隊員を担ぎ上げた。洞窟天井が崩落し、かすかな光が射し込む。その光を浴び、〈黎明〉の刃は父の最期を思わせる色で強く輝いた。
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三日目の夕刻、外郭キャンプ。
貨物ドローンが最後の金塊を格納し、蒼真は輸送重量計を確認した。二億九千万円相当。目標比一五〇%。借金なし、黒字出航。
「蒼真。ラプラタの隊長から正式に謝礼メール。採掘権を五パーセント譲渡するって」
瑠璃子がタブレットを差し出す。
「利子付きで返ったわけだな」
蒼真は笑い、刃の手入れを始めた。〈黎明〉の黒曜石光子は、表面こそ無傷だが、深層で戦うためにはさらなる改修が必要だ。
「次は中層か?」
鹿島が尋ねる。
「いや――」蒼真は遠くの山稜を見た。「借金ゼロのまま深層へ降りる。父が見た景色の先まで、まっすぐ辿り着く」
乾いた風が洞窟の匂いを運び、夕日が黒曜機関の旗を赤金に染めた。
最初の黒字と、最初の借りを得た彼らの旅は、まだ始まったばかりだ。