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雲海特区の竜使い  作者: 円堂 豆子
竜のマヨイガ
8/9

「雲海特区の竜使い」

 昼食をふるまってもらうことになった。


「四人分かぁ。焼きそばがつくれそうかなぁ。食べてく?」

「ありがとうございます、助かります!」


「だから、かたいって。『焼きそばかよー、べつに、食ってやるけど』くらいのスタンスでいいんだよ?」

「かたくるしいのは認めますが、勝手におれのキャラをつくらないでくれます?」

 

 食欲をそそる油の香りにつつまれたダイニングで、「はい、どうぞ」と出された皿には、鮮やかなオレンジ色のニンジンに、キャベツ、エビとイカまで入っていた。

 

(シーフードなんか、どうやって手に入れるんだろう――)


「いただきます」


 エビとイカは、冷凍食品だった。

 焼きそばの味付けも、セットでついている粉末ソースのみで、隠し味があるとか、小技が効いているわけでもない。

 でも、これだけの具が入った料理が、こんな山頂でふるまわれるとは――。


「うまいです」


 昨日の夕飯はクッキータイプの栄養調整食品だった。

 焼きそばくらい、と巳双(みもろ)はいったものの、標高の高い山頂ではこういう食材は貴重品で、焼きそばも豪華メニューである。


 登山客向けの山小屋では、カップラーメンも希少価値が高くなって値段は三、四倍に跳ね上がる。

 道路が整備されていない場所では物資の運搬を人力に頼ることになるので、人件費が加わるからだ。


 巳双がつくってくれた焼きそばは、いたって普通だった。

 皿も箸も、ダイニングテーブルも、椅子も、コンロ脇の壁際にずらりと並んだ調味料も、万象の自宅や、友人宅のキッチンの光景となんら変わらない。

 ただ、ダイニングの窓からは山岳地帯の絶景が見えている。


 抜けるような青空と、山頂からの眺め。


 重装備の登山家が命がけで登り、登頂記念の写真を撮るような景色を前に、チルドパックの焼きそばを食べているこの状況。

 なんなんだ。


(やっぱ、山――だよなぁ)


「おじいさんは留守ですか」

「かたい」


「おじいさんは、留守?」

「うん、そういう感じでいこう」


 麺をほおばってもごもごと喋る巳双の隣では、セオという少女が一緒に食卓を囲んでいる。

 もうひとり分の焼きそばが盛られた皿があって、ラップがかかっていた。


「おじいさんの分?」

「そう。病院にいってるの。そろそろ帰ってくると思うんだけどね」

「病院……? ドクターヘリでも呼ぶんですか?」


 こんな山で、どうやって診察を受けるんだろう?


「おじいさん、どこか悪いんですか?」

「たいしたことないよ。ただの捻挫。足首をひねったみたい」

「捻挫――」


 ドクターヘリは、捻挫のためにこんな山頂まできてくれるものなのか?


「あ、そうだ」


 ダイニングの壁時計に目をやって、万象は巳双に向き直った。


「突然こんなお願いをするのは不躾なんですが、一晩だけ泊めてもらえないでしょうか。玄関とか、庭でいいので」


 もう昼だ。

 断られたらすぐに出発しなければいけない。

 もしくは、近くで野宿をする許可を頼むか。

 

 巳双はにこっと笑って、廊下の奥を指さした。


「布団くらい貸してあげるよ。あっちの部屋を使って。あいてるから。あー、おいしかった」


 からの皿を流しへ運ぶついでに、巳双は冷凍庫のドアをあけてガサガサと漁った。


「デザート食べる?」


 手にして戻ってきたのは、カップ入りのバニラアイス。

 スーパーでよく見かける市販のアイスだが、山岳地帯の絶景を見ながら食べようと目論む登山家がいたら、クーラーボックスごとリュックに梱包することになり、命がけで運ぶ贅沢品である。


「アイスまであるんですか? どうやってここまで運ぶんですか? ヘリ?」


 食材の仕入れとなれば、万象が買い付けにきた薬の何倍もかさばるはずだ。

 冷凍食品を運んでいるなら、冷凍庫ごと運搬されていることになる。

 もしくは、保冷剤をたっぷり仕込んだ保冷袋にしまって、超スピードで輸送するか。

 巳双はバニラアイスをスプーンですくって口に運びながら、屈託なく笑った。


「そんなところかな。あと、お風呂入んなよ。髪やばいよ? 食べ終わったら沸かしてあげるよ。ちょっと待ってて」

「すいません」


「だから、かたいって! 『やっと気づいたのかよ、気が利かねえ奴だな』とかでいいんだよ?」

「だから、おれのキャラを勝手につくらないでくれます?」

「いいじゃない、面白いから」


 早々にアイスを食べ終わった巳双は、紙のパックにステンレスのスプーンを重ねた。

 蓋やパッケージもむりやり曲げて押し込んだので、容器がぐしゃりと歪んでいる。


「巳双さん、雑……」


 その時だ。

 

 ブオン、と空気が揺れる。胸の底を攫っていくような低い音が唸っている。


「警戒音だ」


 巳双が立ちあがって、外へ駆けていく。


「見てくる」

「警戒音って?」

 

 万象も勢いよく立ちあがったが、巳双が俊敏過ぎて追いつけない。

 巳双はあっというまに廊下の縁側のガラス戸をあけはなち、追いかけて廊下に出た万象を振り返って、ふふっと笑う。


「出かけてくるから、ここにいて」


 巳双は裸足のまま庭に飛び降りていく。

 集落は尾根にあり、中でも、この屋敷は集落の端に建っている。

 左右は絶壁の崖で、そのせいで、ダイニングからは見事な眺望がひろがっていた。

 スピードを上げて巳双は走っていき、生垣を抜けて外へ。崖の間際だ。


「巳双さ……!」


 万象も裸足で庭に駆け下りたが、その時にはもう巳双は、庭の端に備わったテラスのような場所から、崖の向こう側へと弾みをつけてジャンプしていた。

 

 気持ちいいほど爽快な身投げ。


 飛び込み台から華麗に飛び込んでいくダイビングの選手のように、巳双は両手を翼のようにひろげて、躊躇なく崖の向こう側へ飛んだ。


 庭は一部がタイル張りになっていて、左右の崖の間際まで続いている。

 手すりや、滑落防止の柵もなかった。


 夢中で追いかけた万象が、巳双の姿を見失ったテラスへ辿り着き、はるか眼下に沈む崖の底の光景にふらりとよろけかけた時、巳双が飛び降りた崖の下から、勢いよくのぼってくるものがある。


 足元の草を揺らし、生垣の葉を揺らし、屋敷の周囲に風の渦をつくりながら、下のほうから、上向きの風が吹く。

 つむじ風をまとって舞いあがってくる大きな鳥がいた。


 いや、鳥じゃない。

 もっと巨大で、細長くて、風の中で身体をうねらせている。


 天へとまっすぐにのぼりゆく、竜だった。


 巨大な蛇かもしれないが、竜と蛇の区別に詳しくない万象は、竜だと思った。

 全長八メートルはありそうな細長い竜が、宙を勢いよくのぼってくる。


 竜は、背に人をのせていた。

 黒髪がつなぎのカーキ色の生地と青空に散っていて、竜は、背にのせた人に操られて飛んでいるように見えた。


 巳双だった。巳双が竜の背にのっていた。

 

 ここから飛び降りて、いったいどうやって竜の背にまたがったのか。

 巳双は竜にのっていて、空をめざして、山頂より高い天の向こうへと舞いあがっていく。


 作業服だと思っていたつなぎは、飛行服に見えた。

 ぐんぐん天へのぼり、青空の隙間に小さくなっていく竜を呆然と見上げて、万象は我に返って腰ポケットをさぐった。


 一秒でも早く。

 スマートフォンを取りだすなり、悠々と空を舞う竜にカメラを向けて、ボタンを押す。


 どこを目指しているのか、竜の姿はまたたくまに見えなくなって、撮影できたのは三秒くらいだった。巳双と竜の姿は、山岳地帯のどこかへ消えた。

 絶景を望むテラスのように張り出したタイル張りのエリアに、小鳥が訪れて安穏と鳴きはじめた。


 万象は崖の端ぎりぎりのところに立っていたので、数十センチ先に崖の底が見え、いまさら足を震えさせて、後ずさりをした。


(夢? 夢だとしたら、どこからが夢だった?)

 

 はっと思いたって、万象はもうひとつのポケットから小さな手帳を取り出した。

 祖父の遺品で、表紙の深緑色のビニールカバーは端のほうが劣化して白くなり、ところどころ破けている。

 鉛筆で書かれた祖父の字や、直筆の地図がかかれたページをめくりながら、真新しい付箋をつけたページで手をとめる。


(本当だったんだ)


 祖父がこの山を登ったのは、薬の買い付けのためだが、もうひとつ理由があった。

寿々子(すずこ)」という女を捜すためだった。


 手帳に残された絵と文は、祖父が「寿々子(すずこ)」の行方を追った時にたどった道だ。


 最後のページに、大きな文字でこう書かれていた。

 

『寿々子は、いなかった』


 覚書のように隅に書かれた、謎の言葉もあった。


 ――雲海特区の竜使い。


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