36 きっとそれは小さくても抱えきれないほどに大きい想いだろう
店内は優しくも、白とアメ色の証明が混ざり合い、不思議と調和を果たしている。
カップに入ったコーヒーをアルバが優雅に飲もうとした、その時だった。
「あっづぅううい!?」
「アッちゃん、うちのお願いを叶えてー」
「ステラ、俺のコーヒータイムを……なんだよ、その目」
冗談はその大きな胸だけに詰めておいてくれ、とアルバは言いたくなったが、どこか本気の眼差しをしているステラの前で言えたものではない。
吸血鬼の末裔の象徴である赤い瞳も、今ではその瞳の奥底に想いを込めている程だ。
アルバは割られたカップから溢れたコーヒーを拭きつつ、ステラを見た。
「で、お願いってなんだよ。俺は面倒なことは嫌いだぞ?」
「そうだよねー。だから、うちと駆け引きしようよ」
「ステラ、お前はいつも俺に賭け事では負けてたんだから、勝てるわけがないだろ?」
「あれ、ステラちゃんがお店に顔を出しているなんて珍しいですね。……夫婦喧嘩ですか?」
「プルース、お前の目は節穴か? 誰が、いつから、こいつの彼氏になった」
「灰色七三、そうなんだよね。アッちゃんが我がままばかりで」
「我が儘ボディのお前が言うな!」
「へー、セクハラをするようになったねー」
「……終わったら呼んでくださいね……あの、手を離してもらってもいいですか……」
プルースはどうしても逃げたかったようで、首筋から汗が滴っている。
ステラと息が合い、アルバはプルースを逃がさないと伝えるように、肩に手を置いたのだ。
両肩にそれぞれの手が置かれているプルースは、立場的にも大変だろう。
「分かりましたよ。それで二人共、一体何をする気なんですか?」
「簡単な話だ」
「うんうん。ここだと家族での決闘はご法度だからねー」
「つまり……夜明けを迎えるまで、相手に願いを叶えさせる」
「すいません、話の内容が見えてこないんですが」
「うーん。アッちゃん、例のあれを」
ステラが言ったのもあり、アルバは説明をした。
願いを叶えさせる。簡単に言ってしまえば、得意分野で相手を屈服させ、相手にお願いを通す、アドーレ店の家族に伝わる勝負という駆け引きだ。
ちなみに、期限が世界ごとによってまちまちなので、暗い世界が明るくなるまで、つまりは夜明けを迎える時間を期限と定めている。
無期限に狙われ続ければ、相手が疲弊するか、ずっと逃げるか、の仕事にならない事態が発生したからだ。
ちなみに最初の発端はセキなので、セキ容認の元、家族間での決め事と言える。
「なるほど。ていうか、なんで頭の中に直接流してくるんですか!」
「アッちゃん、説明ありがとー」
「これくらいはな。で、プルースは店番をしてもらうついでに、セキさんを抑えておいてくれ」
ステラと勝負、駆け引きをするとなれば、セキは必ずしもステラの味方になり、アルバに対して容赦ないパワハラを仕掛けてくるのだ。
僕にできますか、と言いたそうなプルースに、アルバはある秘策を手渡した。
「プルース、これでセキさんは見なかったことにしてくれる。もし何かあれば、これを渡してくれ」
「仕方ないから許さないとねー」
「あの、ステラちゃんがものすごい形相で睨んでくるんですが……」
プルースが手渡された物におどおどしている中、駆け引きは幕を開けた。
ステラを真っ向から迎えうつのは愚策だと、アルバは一番理解している。
ちなみにステラの得意分野は力押しなので、相手の気持ちに干渉してくるような賭けはないだろう。
だからこそ、まったりと本を開き、アルバは木陰で体を休めた。
刹那、空気が歪んだ。
「ステラ、俺に急襲、視界外からの攻撃は効かないって学ぶんだな」
本を閉じれば、そこには力を緩めずに回り続ける石が受け止められていた。
ステラはお店よりも遠くにある森から石を投げてきたようだが、物体を持たない武器を索敵用に広げているので無意味だ。
アルバはポケットからビー玉を取り出し、覗くように森の方を見た。
案の定、ステラは木の上から狙える位置におり、首元につけたストールが柔くなびいている。
揺れている左ワンサイドアップのピンクの髪を見ても、彼女の場所から投げた石は音速を超えていたようだ。
『アッちゃん、いつも通りにはいかないからねー』
「その看板を用意する暇があるなら、罠や武器の扱いの一つでも学べよ」
ステラに呆れていると、ステラが更に空砲を拳で放ってきたのもあり、アルバは地面を叩いて身を隠すのだった。
結局その日は、ステラから毎度のように狙われ続けていた。
王国に仕入れに向かえば、ステラが仕入れ先と打ち合わせをしていたのか、紛れて奇襲をしてくる。
お店で一息つこうと思えば、マイスペースであるカウンターが爆発。
逃げるとクマサン仕込みの落とし穴があり、ステラが上から攻撃を仕掛けてきたのだ。
完全にネタ無しで攻撃を仕掛けてくるステラは、どうしても叶えたい願いがあるらしい。
とはいえアルバにそんな情を割いている暇も、ステラの錆びた刃を受け止めてあげるほど優しいわけがない。
一日中ステラから散々狙われ続け、気づけば夜明けを迎える時間が刻一刻と迫っていた。
暗い時間は生憎、アルバは寝なくても半覚醒を維持できるので、本格的な睡眠を人間であった時に卒業している。
開けた窓から、明かりのつかない暗い部屋に、優しく風が吹き込んでくる。
なびく前髪は揺れて、白に染まった一部の髪からは、涙がこぼれるように光の粒が浮かび上がっていた。
「……プルースにも、伝えないとか。……ステラ、随分とゆっくりだったな」
窓辺を向いていたとしても、静かに開くドアは空間を優しく揺らすのだ。
ステラの方を振り向いた時、アルバは息を呑み込んだ。
ステラの姿は完全に夏用と言っても過言では無い程に、生地の薄めのワンピース姿だったのだから。
強調されたステラの大きな胸と、透けそうな程に薄い腕の生地は心拍数を上げるには十分だ。
そして首元に付けたストールは、ステラにとって大切な物になっていると理解出来る。
「その格好、風邪を引くぞ。まあ、吸血鬼の末裔であるステラには縁のない話、か」
「…………」
ステラは何も言わない。
瞬く間もなく、暗闇に赤い瞳は線を描いた。
一直線に伸びる赤い線は、既にアルバの目の前に居る。
アルバが気後れして構えようとした時、腕は上がらなかった。というよりも、拒むことをできなかったが正しいだろう。
「ステラ、どういうつもりだ?」
アルバは動揺するしかなかった。
両腕を塞ぐように、ステラがぎゅっと抱きしめてきたのだから。
アドーレ店は確かに家族仲が良いし、ステラの方からアルバにスキンシップと称して抱きついてくるのは今に始まったことではない。
それでも今は、駆け引きの最中だからこそ、アルバは動揺からステラを拒めなかったのだ。
押し付けられて形を変えるステラの胸の感触に、そっと息を呑み込んでおく。
「どうしてアッちゃんは、うちの気持ちに気づいてくれないの……」
ぽつりと呟かれた言葉は、ステラが隠している本音だろう。
気持ちに気づいてくれない……アルバはその意味を理解している。ただ、ステラに悟られないように、距離を取っていただけで。
「ステラ、俺らは異世界渡人で、人間であって人間じゃない。あの未知のエネルギーに触れたステラも、理解してる話だろ」
アルバ自身、知っている情報を再度話すつもりは無かった。
未知のエネルギー。それは、異世界渡人……異世界バイトマスターの最終目標であり、異世界を渡る理由の一つだ。
その世界の治安維持から物流を速やかに行い、世界に干渉しすぎない程度に未知のエネルギーを人知れず回収する――異世界バイトマスターに、情を割いている暇は無いのだ。
ここテルミナは例外だとしても、ステラの言葉を叶えてしまえば、ナイフが錆びてしまうかもしれない。
アルバはそれを一番危惧している。
「うちは、アッちゃんが好きだから。いずれ朽ちる体と知っていても、近づきたいの」
「ステラ、覚悟がない奴が言っても無に帰るだけだ」
「アッちゃんは何もわかってないよ。……アッちゃんは、別れをしても悲しくならないように、ただ向き合わないようにして、過去と一緒で隠してるだけだよ……」
そう言ってただ抱きしめてくるステラは、セキの次にアルバの一番の理解者だ。
アルバは過去に、地球という星がエネルギーの奪い合いで滅び、引き寄せられてきたエネルギーによって異世界を渡る体になってしまったのだから。
目の前で家族を失い、大事なものすら守れなかった自分に、不必要だった可能性をもう一度与えられた。
アルバ――その時の人間であった時の名を捨てた、一度死んだ存在の生まれ変わりだ。
だからアルバは、アドーレ店の家族を守る、その決意をしてセキという存在と共に異世界渡人として動いたに過ぎない。
ステラのお願いが、アルバもステラを好きになって欲しい、というのはずっと前から知っていた。
ただ、愛する感情を置いてきたアルバにとって、ステラを想うことは錆びたナイフを掲げるも同然だ。
「ステラ、俺は誰かを愛せないし、セキさんみたいに変態の思春期じゃないんだ。それを知った上でか?」
そもそもの話、愛したところでお店の都合で離れ離れが百なので、ただゴミを積むだけに近いだろう。
「うちは遠距離でも、近距離でも、アッちゃんならいいのー。別に好きになって欲しいわけじゃなくてー、近くに居てほしいだけだから。もっと、近い家族として」
「家族か。好きにならなくていいなら、俺も都合がいいかもな」
こういう時、アルバはどうやってボケればいいのかを知らない。
それでも、ぎゅっと抱きしめてくるステラを抱きしめるくらいなら、アルバだってできる。
「アッちゃん、大好き……」
ステラはまだまだ幼い様で、眠気に負けて眠ってしまった。
可愛い寝言を呟いて。
アルバは物質を作りかえて、自身の部屋にベッドを用意してステラを寝かせた、その時だった。
「アルバぁぁああ……俺のステラに手を、ましてや好きと言わせたなぁああ……残す遺言はあるか、武器の貯蔵はじゅぅぶんかぁ? そのお前の腐った性根、この俺が正してやろうかぁああ」
やはりというか、セキはずっと見ていたようだ。
セキはステラのストーカーをしているだけで好きという訳ではないが、害虫がくっつくのを嫌っている凶器のステラ愛を纏った兵器である。
刀を持っているのを見るに、セキは本気らしい。
「なあ、セキさん、武器を置いて話し合おう!」
「だが断る! アルバ、俺のステラを穢すその首、俺がはらってやる!」
「ふざけんな、このステラ愛好家がぁあ!?」
夜明けを迎えるまで、アルバは寝ているステラを守りながらセキと死闘を繰り広げたのは云うまでもないだろう。
暗闇の部屋に飛び散る火花は、近づいたアルバとステラを祝福しているようだった。




