転生悪女の妹は無双する

2

　……姉が倒れた。

　姉の長年の憧れのジークムントとの縁談話が持ち込まれたその場で倒れたそうだ。

　その場に居合わせた父に聞いても、泡を吹くだけで何も答えることはなかった。

　そこからは、ずっと熱を出してベッドから出るどころか、意識が朦朧としている状態が続いている。

　姉は気の小さな人間だから、きっと長年の片思いの相手との縁談話に知恵熱でも出たのだろう。と、生暖かい目で見ていたが回復する気配が全くない。

　……その状態が一ヶ月も続いているのだ。

　どうしたらいいものか、腕のいい医者に見せても、原因不明。精神面から来ている可能性が高い。と言われた。

　気の小さな姉ではあるが、知恵熱でずっと寝込んでいるのはなんだかおかしい。

　熱が下がって、あのヤロ……、いや、ジークムントと結婚したら毎日好きな男の顔を見て過ごすという拷問が待っている。

　拷問に姉のメンタルが持つのか心配だ。

　でも、それよりも早く元気になってほしい。

　元気のない姉の顔を見るのは私にとって生き地獄でしかない。

　姉のことが心配で毎日顔を見にいくけれど、ずっと苦しげな顔で魘されていて見ているのが辛すぎる。

　それでも、声だけはかけていた。

　医者から、人は最後の最後まで耳が聞こえていると教えれられたからだ。

　家族の呼びかけで長い間意識不明だった患者の意識が戻ったケースもあるそうで、気長に声をかけてほしいと言われた。

『とにかく、声をかけてくださいね』

　私は医者の言いつけを通りにする。

　一秒でも早く姉の目が覚めてほしいから。

「お姉様」

　今日も、いつものように姉に声をかけていた。

　いつもなら、姉は何も言わずに唸っているけれど。

　今日はどこか違っていた。

「……嫌よ。私、殺されてしまう」

　かなり、物騒なことが姉の口から飛び出た。

　サスペンス物の本を読んで、人間怖い。と言ってしばらく私のベッドで寝ていた過去のある姉ではあるが。

　小説の夢を見ているにしては、なんだか、生々しい。

「イヤ……！貴方を愛さないから、殺さないで！」

　殺されるとはどういうことなのか、姉は何に怯えているのか。

「お姉様、誰に殺されるというんですか？」

「……」

　私の質問に姉は答えることはなかった。

　ただ、なんとなくだが、今回の縁談話が姉にとっては良くないものなのかもしれない。と、うっすらと考えるようになっていた。

　そして、姉にとってよくないものだというのなら、それは間違いなくそうなのだと思う。

　姉は……、うまく説明できないのだけれど、「野生のカン」というものが優れていて、過去に詐欺の被害に遭うところを未然に防いだことがあったのだ。

　他にも説明するには難しい。不思議なことが色々とあった。

　なんかよくわからん。胡散臭い聖なる力を持つ聖女や、同じようによくわからん胡散臭い聖なる力を持つ聖騎士がいるのだから、姉のような神秘的な力を持っている人がいてもおかしくはないだろう。

　……それならば、サクッと縁談話は断るのが一番だ。

　断らないで姉が殺されてしまうのなら、断るべきだ。絶対に。

　姉には私よりも長生きしてくれないと困る。

　幸せな生涯を終えてくれないと絶対にダメだ。

　……好きな相手との縁談話を勝手に断ってしまったら姉は悲しむかもしれないが、私という「世界一可愛い妹」が謝れば姉はきっと許してくれるはず。

　姉はいつだって可愛い妹を許してくれた。だから、今回も許してくれる。

　間違っても姉を奪われたくないから、こんなことを言い出すわけでない。

　私は早速行動に移す事にした。

「おい、親父」

　私は、執務室のドアを蹴って開けた。

「親父はやめて。せめてパパって」

「……ぁ？」

　17歳にもなって「パパ」は、痛い。

　言うわけがないだろう。と、やんわりと睨みつけると蛇に睨みつけられたカエルのように動かない。

　姉と私の気の小ささと繊細さは父から遺伝した物だと思う。

「あ、なんでもありません」

　父は、流石に悪いと思ったのか、「ごめんなさい」と、謝ってきた。

　正直、こいつの呼び方なんぞどうでもいい。

　それよりももっと重要な事がある。

「お姉様の婚約ってどうにかなりませんか？サクッと破棄とかできませんかね？向こうの有責で」

　考えてみたら、姉があんなふうになってしまったのは間違いなく縁談話のせいだ。

　向こうが悪いので、向こうが責任を取るべきではないか。

「……その件なんだけど」

「何か？」

　父はなにやら言いにくそうにしている。

　面倒だからさっさと言え。

「代わりにクラリス、君がしてくれないか？」

「はぁ！？」

　無茶苦茶な要求に私は思わず父の胸ぐらを掴んでいた。

「な、なんで私が！」

　姉がダメだから私。って無茶苦茶じゃないか。

　横暴もいいところだ。

　そもそも、18歳が成人とされるのに私はまだ17歳。未成年だ。犯罪臭がムンムンする。

　ジークムントはいくつなのか、姉とさほど年齢は変わらないはずだが、……姉は華も恥じらう21歳だ。

　ちなみに、２０歳になったばかりのほぼ空気な兄がいて、私たちは仲良し三人姉弟だ。兄も私たちと同じく繊細で気が小さい。

　年齢的に考えたら、わざわざ未成年の私を選ばずとも、それなりにいい相手と結婚できるはずではないのか。

　聖騎士という立場上、そこそこな貴族の令嬢なら結婚出来そうな気がする。

　……ガチでロリコンの変態なのかもしれない。

「いやね、元々うちって順位が低いけど王位継承権持っているじゃない」

　父の言う通り、私たちは王位継承権を持っている。

　というのも、祖母が王女で大恋愛の末に祖父と結婚する事になり、祖母を溺愛していたその当時の国王が祖母の血を引く者に王位継承権を持たせるとしたのだ。

　しかし、王位継承権を持っているとはいえ、順位としては二桁台のため、持っているようで持っていないようなものになっている。

　言われたら思い出す程度の権利だ。

　いいことといったら私の家を軽く扱えない。事くらいか。

　夜会でバカにされることはない。

　でも、王位継承権を持っているからといって軽く扱うな。と、圧をかけるのもなんだか情けなくないか。

　王位継承権を持っていなくても、他人を軽く扱うなとは思う。

「まあ、そうですけど、あんなのでも持ってる事になるのか微妙なラインですが」

　王位継承権を「あんなもの」呼ばわりしても父は何も言わない。

「……うちに縁談話が来たのって王命に近いというか、なんというか」

　それ以上は何も言わない父。

　何となくだが、王族からの圧力だろうか。

　差し出すなら自分の娘にすればいいのに、やはり跡取り息子じゃない男に自分の娘を差し出すのは嫌なのだろうか。

「公爵家とはいえ、次男だし、聖騎士とはいえ何もない人ですもんね。確か小さな土地を継ぐらしいですけど」

　ジークムントもなかなか不憫な立場かもしれない。

　努力しても兄との格差は無くならない。

　凄い弟と比べられる兄もなかなか可哀想な気がする。

　弟と比べられることも、少なからずありそうだ。

　ジークムントが長男だったら、と、陰で言われているかもしれない。

　ジークムントが継ぐ予定の領地を調べたが、治安は良いようなので、私ではなくて姉が結婚しても困ることはなさそうだ。

「褒賞がないのも流石に悪いからと、王位継承権を持つ娘との婚姻をという事になったんだ」

「……なるほど、自分の娘を渡すのは勿体無いから、王位継承権の低いうちの娘を褒賞として渡すって事なんですね。アホかあいつら、自分の責任を果たせよクソ共」

「ちょっと、言葉遣い。日に日にお母様に似てくるな」

　こちとら王位継承権は持っているものの、王様になれるわけでもないのに、そんなのと結婚して嬉しいものなのだろうか。

　私だったら、そんなのと結婚するくらいならお金をたくさんもらいたい。一生遊べるくらいのささやかな金額でいいから。

「結婚して、子供が生まれたらその子には王位継承権があるからね」

「継げるわけでもない王位継承権なんで持ってる意味あります？王族皆殺しにしたらワンチャン王様になれますけど、面倒ですよね」

「物騒なこと言わないで」

「いや、持ってて良くも悪くもない事ばかりでしょう？持つ意味あります？」

　自分の子供に王位継承権があったとして何が嬉しいのか、国王になれるわけでもないのに。

　血統書付きのペットじゃないんだから。

　自分の子供は自分の子供。何よりも大切な存在。それでいいじゃないのか。

「それを言ったらおしまいよ」

　父は苦笑いだ。

　多分私と同じことを考えている。

「……ていうか、あいつ、お姉様よりも年上ですよね」

　まあ、愛する姉のために結婚するなら、仕方なし。とは思えるが。

　年齢的な釣り合いはどうなのか。

「あいつって……23歳だよ。まだ」

　6歳差か。

　政略結婚なら珍しくないが、……年上だ。

「おっさんじゃん！」

　思ったことを口にすると、父が余計なことを言うなと言わんばかりに私の口を押さえた。

「うわぁ！失礼だって」

「え、絶対に嫌」

「6歳上ならセーフだよ」

　年齢差が気にかかることじゃない。

　姉のためならヨボヨボのジジイとでも結婚できる。

　私が嫌なのそこじゃない。

「アイツがロリコンの変態とかそういうのどうでも良くて、お姉様と離れ離れになるのが嫌」

「お願い。我慢して」

　父が必死になって頭を下げた。

「お願いだから、顔合わせだけでもして欲しい」

　そう言われたので、本当に渋々だが受ける事にした。

　姉がずっと憧れていた男を見てみたい。という気持ちが少しあった。

　……まあ、私の方が人間的にとても優れているし、姉目線で見ると世界一可愛い自覚があるので、もしも、自分が血のつながりのない男だったら姉のことを惚れさせる自信だけはある。

「お姉様が元気になったらどうするつもりですか？」

「その時は、サブリナが婚約者になるかな」

「つまり代打の婚約者というわけですね」

「まあ、そうなるね。申し訳ないけどお願いします」

　とりあえず、ジークムントを値踏みしてやろう。

　彼の欠点を見つけて姉に教えてやるのだ。

　例えば、足が臭い。とか、寝相が悪い。とか、鼻毛が飛び出ているのに気がついていない。とか、食べ方が汚い。とか、ロリコン。とか、探せばたくさんのアラがあるはずだ。

　ジークムントの悪いところを姉に教えて、たくさん幻滅させてやろう。

　私は鼻息を荒くさせた。