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特別な甘さ

 どの街にも必ず一つはあるメーヴェ教会の尖塔が湖の都を臨む。春には湖沿いに植えられた桜の木が一斉に花開き、街中を薄桃色の花弁が舞うのだが、夏日の空の下では青々とした葉桜が風に揺れる。

 風光明媚な湖に面する大通りのパティスリーに、アイシャとシオンの姿があった。仕事がデキるルフが事前にリサーチしていた「ミスティのデートスポット十選」から抜擢されたタルトの有名店である。


「お待たせしました! 一番人気のイチゴタルト、季節限定のブルーベリータルト、恋人同士のお客様限定のピーチタルトですね~。お食事は店先のテーブルをご利用ください!」

「ありがとう」


『恋人同士』の文言に満面の笑みを浮かべたシオンが、はきはきとした若い女性店員からタルトが乗ったトレーを受け取る。その隣を真っ赤な顔で縮こまるように歩く国主に、店員や客が気づくことはない。スカーフの効果は絶大だった。まさか話題のビッグカップルが昼下がりに堂々と街中デートしているなど、誰も思うまい。


(こんな浮かれた姿、絶対に知られたくない……!)


 長い足で今にもスキップしそうなほど上機嫌なシオンの背に隠れ、彼と同じように緩んでしまいそうになる口元をどうにか抑える。買い物を終えた二人が店から出て来るのを待っていたルフがこちらに気づき、湖を背にして大きく手を振った。


 桜の館御用達店でもあるパティスリーの前でアイアンテーブルを囲む、美男美女と大男。一見すると不思議な組み合わせの三人を、賑やかな往来を行き交う人々が興味深げに振り返る。そんな好奇の視線をものともせず、シロップでコーティングされた甘い宝石に誰よりも目を輝かせたのは、護衛兼保護者のルフであった。


「ふおおっ……! この艶、彩り、輝き! まさにスイーツのジュエリーボックス! 夢にまで見たミスティのフルーツタルトを食べられる日が来ようとは……!」


 太く凛々しい眉を寄せ、感極まって震えている。今にも泣き出してしまいそうだ。


「ルフ様は甘味がお好きなんですね」

「リリ様の護衛騎士として輿入れと共にトリス・ガリテから渡航して二十年余りになりますが、すっかり大陸の菓子に魅了されてしまいまして。島では砂糖がとても貴重で、平民が口にできるものではありませんでしたから」

「そうでしたか。ならぜひお好きなタルトをどうぞ」

「よろしいのですか!? では、ピーチを!」


 何も知らないルフは、本来彼が買うことはできない限定販売のピーチタルトを指名した。アイシャの向かいに座るシオンは固く引き結んだ口元を波立たせ、必死に笑いを噛み殺している。酷い人だと思いながら、アイシャは微笑みを浮かべてピーチタルトとフォークが乗った皿をルフへ差し出した。


 それからシオンはブルベリー、アイシャはイチゴがふんだんに乗ったタルトをそれぞれ頬張る。長期保存用のシロップの甘さの中に閉じ込められた爽やかな果汁が口の中に広がり、普段は凛と研ぎ澄まされたアイシャの目元がとろんと下がった。甘やかな気分のまま、同じように幸せそうに口元を綻ばせるシオンを見やる。


「シオン様、ミスティに来るのは初めてですか?」

「そうだな。いつも桜の館に直行していたから、こうして街をちゃんと歩くのは初めてだ」

「私も久々なんです。最後に訪れたのは、レトのタウンハウスに移る前だったので……」


 城はないが、ここは国主の椅子がある桜の館の御膝元。いわゆる城下町でもあるミスティの民への最後の挨拶として、両親と一緒に街を歩いた。誰もが皇家へ嫁ぐアイシャの前途を祝して歓声とフラワーシャワーを降らせてくれたが、その多くが寂しさを胸に秘めていたのは間違いない。送り出されるアイシャ自身も、必死に笑顔を作っていた記憶がある。一度目の人生では、結局そのまま帰って来ることが叶わなかった。

 こうして再び街を歩くことができて、嬉しくないはずがない。しかもシオンと一緒に。今でも夢を見ているように思える。

 幸せを噛み締めるようにタルトを口にするアイシャへ、シオンは柔らかく微笑みかけた。


「そうか……せっかくの里帰りだ、たくさん楽しもう」

「はい」


 初めて二人で過ごす穏やかなだけの時間に満たされて、アイシャの表情も柔らかくなっていく。「デートなんだから!」とソフィアに剣を没収されてソワソワしていた気持ちも落ち着いてきた。いつも腰に下げている重みも、肩にかかるペーリースもない。二年前、父の棺を見送ったあの時から重荷だとは一切思っていなかったが、下ろして良いものだとも思っていなかった。でも……。


(許されるのなら、たまに肩の力を抜いてもいいのかな……)


 アイシャがそんな風に思えたのは、死に戻って以来初めての経験だった。

 すると、ブルーベリーのタルトにフォークを入れたシオンがちらりとアイシャへ視線を送る。


「なぁ、俺のも食べるか?」

「いいんですか? じゃあ……」

「ほら」

「え?」


 向かいに座るシオンから、キラキラとした青い宝石を乗せたフォークが口元へ差し出された。情報を処理しきれずギクリと硬直してしまうが、すぐに目まぐるしく思考が大回転し始める。


 これはその昔、ルフと同じくらい甘味好きなロイが幼かったアイシャを餌付けするために繰り出していた必殺技、「あ~ん」である。大好きな人の手から与えられるスイーツは、一人で食べる時よりずっと甘く感じた。だがアイシャはもう十八歳だ。魅力的なスイーツの誘惑よりも羞恥が勝る。


「こ、子どもじゃありませんっ!」

「人目を気にせずアイシャとこういうことをするのが夢だったんだ。叶えられるのは君だけなんだが、だめか?」

「うっ……!」


 国が傾くような艶のある憂い顔は、アイシャの恋情と忠誠心をぐらぐらと揺さぶった。好意を寄せる令嬢の可愛い我儘に振り回される美男騎士(ソフィアが「すっっっごくよかったの!」と毎回熱弁して貸してくれる流行りの本によくある設定)はこういう気持ちなのかと、どうしようもなく胸が疼く。


「で、でも、ルフ様も見てるのに……」

「おおお、湖面に小鳥の群れが! 実に美しいですなぁ!」

「見てないようだが?」

「ルフ様……」


 揃えた指先を額に当ててわざとらしく湖を眺めるルフに、アイシャは完敗した。いっそ恐ろしいくらいの忠誠心だ。同じ騎士として尊敬する、本当に。


(ここまで場を整えてもらって、敵前逃亡するわけには……!)


 妙な騎士道精神が発動したアイシャはごくりと生唾を飲み込み、意を決してフォークと対峙する。サイドの髪が風でタルトに当たらないように耳にかけ、おずおずと小さく口を開いて迎え入れた。

 濃厚な甘さの中で弾けるブルーベリーの酸味がしっとりとしたタルト生地に包まれて、じゅわりと染み渡る。頬が落ちそうなほど甘い。何より、空になったフォークをアイシャの口からゆっくり引いたシオンの幸せそうな微笑みが極上すぎる。そんな目で見ないでほしい。致命傷になってしまう。


「ふふっ。美味いか?」

「ふぁ、い……」

「あー……可愛い。どうしよう、可愛い」


 特別な幸せでトッピングされたブルーベリータルトを咀嚼しながら赤く染まった顔で小さく頷くアイシャに、シオンは湿度と粘度の高い本心をぼそりと囁いた。

 その甘やかな視線と言葉だけで全身を愛でられているような感覚になり、アイシャは堪らずタルトをごくりと飲み込む。これ以上はまずい。何がと聞かれたら困るが、とにかくまずい。


 いつの間にか湖から視線を戻し、良い雰囲気の二人を交互に眺めたルフが両腕を組んで満足気にうんうんと頷く。

 すると、同じ通りに面した飲食店の店先から突然怒号が響いた。


「だぁかぁらぁ! 胸だって言ってんだろォ!?」

「テメェ目が腐ってやがんのか! 足に決まってんだろ!」

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