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時すでに

 困惑したアイシャに見つめられ、テンはどことなく居心地が悪そうだ。だがこの違和感は放置できない。放置してはならないと、彼との友情が胸の奥で叫ぶ。


「具合でも悪いの?」

「別に」

「怪我してるとか?」

「してねーよ」

「忙しい?」

「いや」

「お、怒ってる……?」

「何で?」


 何で、はこっちの台詞だ。

 矢継ぎ早の質問も全て空振りに終わり、アイシャは途方に暮れてしまう。縋るような視線を送れば、様子のおかしい親友はとうとう目すら合わせてくれなくなった。しまいには罰が悪そうに黒髪の後頭部をガシガシ掻いて「あっ、ソフィアに呼ばれてたの忘れてた!」とわざとらしく大声で呟き、そそくさと背を向けてしまう。

 無情にも距離が開いていく後ろ姿に、アイシャはどうしようもできない物寂しさが込み上げた。


「テン、どうして……」


 葬礼の儀が終わってから、妙に態度がよそよそしく感じる。嫌われるようなことをした覚えもない。それとも何か悩みがあるのだろうか。祖父のヴェルナーから毎日のように帰還命令を携えた伝書梟(グーフォ)が届いているし、もしかすると「本当は家に帰りたい」とか。


(テンともヴェルナー様とも、ちゃんと話さないと)


 リヒトを支持するクーパー家のヴェルナーとシオンを支持するグリツェラ家のアイシャで、その決裂は日に日に深まっている。新しい聖下を決めるために両家が真っ向から対峙しなければならない日もそう遠くないだろう。だがもしテンが家族と友情の間で板挟みになって苦しんでいるのだとしたら――。


 悩ましげに眉間を寄せるアイシャの元へ、騎士見習いの一人が緊張気味に近づいた。亜麻色の短髪に大きな黄土色の瞳をした少年である。まだ幼さの残る柔らかそうな頬を染めて、溌剌と胸を張った。


「アイシャ様! よろしければ稽古をつけていただけませんか!?」

「あなたは確か……」

「ランバルディ家の三男、ノースです!」

「ああ、そうだった、ランバルディ卿の末の御子息ね。あなたの二番目のお兄様にはカルサイト城攻略戦で助けられたの。よく覚えてるわ」

「光栄です! 人生の名誉だったと兄が何度も話してくれました。自分も兄のように、アイシャ様の剣になりたいのです。だから……!」


 真っ直ぐで光るものがある瞳に真摯に見つめられ、アイシャはすぐにグリツェラ家当主の顔になった。

 白桜騎士団の強さは、グリツェラ家への忠誠心から生まれる団結力にある。名君であったルーカスの求心力がそれをより強固なものにした。

 一方で、今の白桜騎士団は父が手塩にかけて研いだ牙を譲り受けている状態でもある。彼らの働きがなければ南部平定は成し遂げられなかった。だが牙は生え変わるもの。いずれはアイシャよりも若い騎士たちに剣を握らせて、共に戦場を駆けることになる。その時に彼らが誇らしく戦えるよう、アイシャは弱い姿を見せるわけにはいかないのだ。


「せっかく来たんだもの、もちろん喜んで。さぁ、ノースの他にも自信がある者は前に出なさい」


 壁に立てかけられた練習用の木剣を拾って微笑むアイシャに、見習いたちがにわかに沸き立つ。教えてもらったばかりの初々しい型で次々と切り込んで来る切っ先を自在にいなす横顔には、ありったけの慈愛が込められていた。、


 その様子を腕立て伏せをしながら満足げに眺めていたシオンの背中へ、ロイが微笑みと一緒に砂袋を放り投げる。再びべしゃっと潰されたシオンは、血の気の引いた青い顔で鬼教官を恐る恐る見上げた。


「殿下、鼻の下が伸びすぎです。どうせ『臣下から愛されている俺のアイシャ、尊い』とか思ってたんでしょう?」

「ち、ちが……お、()()()のアイシャが尊いなと……」

「ふふっ、よくできました。さすが殿下は物わかりがいい。とっても優秀ですよ」


 乙女が見たら卒倒しそうなほど美麗な顔でうっとりと微笑むが、シオンには鬣を逆立てて獲物を追い込む獰猛で無慈悲な獅子に見えたのだった。




 ⚜




「――というわけで、口裏合わせの協力お願いします!」


 キリッとした眉の前で手のひらを合わせて頭を下げるテンに、呆れ顔のソフィアは溜息を吐いた。桜の館のすみっこに人知れず呼び出されたので何事かと思ったら。桃色のツインテールの先を指先でくるくるといじりながら、唇をへの字に曲げる。


 二人の付き合いはそれなりに長い。侍女に必要な知識と技能を習得したソフィアがアイシャを追って聖都のタウンハウスへ移ってから、剣の稽古にやって来るテンと毎日のように顔を合わせていた。それも軽い会釈などではなく「ソフィア、今日もキレーだな!」などと一丁前に口説いてきたのだから(たち)が悪い。当のソフィアからは「高貴なマセガキがまた何か言ってるわ」くらいに思われていたので、それ以上何も進展することはなかったのだが。

 とにかく、テンにとってソフィアはアイシャの侍女である前に、三つ年上の頼れる綺麗なお姉さんなのである。


「もう、いったい何をどうしたらそうなるんです?」

「だって他の男の(モン)に剣を向けるなんてできねーじゃん」

「アイシャちゃんはテン様と初めて会った時からシオン様の婚約者でしたけどぉ?」

「え? あー……たしかに」


 言われてみれば、ルーカスから聖都のタウンハンスで行われていた訓練に誘われて出会ったあの時から、アイシャは第二皇子の婚約者だった。今では考えられないくらい冷遇されていたけれど。だが昔と今とでアイシャの肩書きは何も変わらない。なのにどうして剣が鈍るのだろう。


「ははーん……さてはテン様、ようやく自覚したんですね?」

「何を?」

「アイシャちゃんのことが好きだって」


 テンは一瞬、したり顔のソフィアが何を言っているのかわからなかった。

 誰が、誰を、何だって?

 脳の歯車が欠けてしまったみたいに、ギギギギ、とぎこちない音を立てて思考が停止する。


「は……えっ?」

「前と違って女の子として見てるから剣を向けることができないんでしょう? でも惜しかったですねぇ。もうちょっと早く自覚してたら、テン様がアイシャちゃんのお婿さんになる未来もあったかもしれないのに」


 七聖家同士の婚姻は皇家の近親婚と似たような理由で、特別珍しいことではない。魔力の資質を保つため、そして七聖家同士の結束を高めるために有効な手段である。実際、シオンと復縁する前にアイシャの婿候補が密かに選定された際は、ロイと並ぶ有力候補としてテンの名前が挙がった。だが本人にしてみれば、可憐な唇からペラペラと語られるのが自分の話だなんて、にわかには信じ難い。


 健全な十八歳男子のテンは、女の子が好きだ。好意を寄せられたら純粋に嬉しいし、値段の張るプロのお姉さんと楽しいこともしている。好みの異性とすれ違えば戦場以外なら必ず声をかけるほど本能に素直だ。そんなテンの人生で最も長く近くにいた女の子は、間違いなくアイシャなのだが。


(いやでもアイシャだぞ? あのアイシャ!)


 後から剣の稽古を始めたテンに手合わせで負けたのが泣くほど悔しくて、騎士団の大人と同じ基礎訓練を始めた脳筋なアイシャ。


 淑女教育も疎かにするわけにはいかないと言って、コルセットをつけたまま剣の練習をしてその日の朝食を綺麗に撒き散らした真面目でアホなアイシャ。


 南部制圧でとある戦線を蹴散らした際、カッセルの兵の返り血と汗と泥で汚れた状態で家臣たちと祝勝の酒を煽り、馬用の天幕で馬糞まみれになって目覚めた残念すぎるアイシャ。


(アイシャはアイシャでしかないし、むしろ可愛さも兼ね備えたソフィアの方が断然俺好みだし、だからそういうんじゃなくて――)


 そんな風に脳内の誰かへ言い訳していると、不意に白銀のドレスを纏った美しい姿が思い浮かんだ。ミオの葬礼の儀で一緒にダンスを踊った時の記憶だ。


 爪先を踏んで脛を蹴る大胆なステップを披露して恥ずかしそうに赤面した美貌。

 厳威ある騎士服では一見わからない身体のメリハリ。

 腕に抱いた華奢な腰と、しなやかな素肌の背中の感覚。


 あの時、自分は何と言ったか。


 ――アイシャって女の子だったんだなぁ。


 そこまで思い出して、とうとうテンは黒い頭を抱えてうずくまった。


「うわ、あ、ぁ……あ゛~~っ……」

「あれ? もしかして……」

「今、やっと気づいた」

「うーん……遅すぎ!」


 ソフィアはあえて快活に笑い飛ばし、テンの広い肩を慰めに叩くことしかできない。なぜなら不可能なはずの復縁を成し遂げたアイシャは今まさに幸せの絶頂で、テンがようやく自覚した片想いが成就するのは、レティガント大陸が突然真っ二つに割れるくらいあり得ないことなのだから。

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