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諧謔自虐伝  作者: 長月ゴルゴンゾーラ
3/9

003

 消えゆく彼女の姿に堪らず、ふとその言葉が出た。

 私の言葉に友の足も止まる。振り返った彼女は、とても意外そうな顔をしていた。

「へ?」

「書く。書かせてくれ。君を、友を小説の題材にさせて欲しい」

 友は私の言葉に、

「失敗しちゃったな……」

 目を逸らして小さく呟いた。

「書かせてほしい。消えゆくお前の一瞬を私に書かせてほしいんだ」

「――っ」

 その時、友の顔はどうだっただろうか。あまり覚えていない。

 だが、何かを思い出したように、とても辛そうな感じだったことは覚えている。

「き、気にしないでいいんだよ? ボクだって、それを脅しネタにする気はなかったんだ。端からボクを題材にするしてほしい気持ちはゼロだったんだぜ? ほんの冗談、友くんジョークだよ。――じゃ、じゃあ、君もせいぜい頑張りなよ。……今しばらくお別れだ」

「断る。そもそも、友が言ったんじゃないか。『イジワルな方法でお願いの仕方をしようかな』――と。それなら、友は書いてほしかったんだろ? そのお願い、私が引き受けよう」

「だから、それも冗談だって。もういい加減、そのくらいのことぐらいわかってくれよ。ボクと君の仲だろう? 昔からの腐れ縁じゃないか」

「わからない。……いや、この何十年の付き合いだからわかる。お前は、友は、本気で私にお願いしていた。そしてあの宣告も本気の目だった。それぐらい、私だってわかる。――逆にお願いさせてくれ。私に、友を小説の題材として、書かせてくれ」

「…………ほんと、君には付き合ってられないよ」

 呆れ顔で彼女は言った。

「そのセリフ、二年前も聞いたぞ?」

「…………」

 友は黙って私に近づいた。

 最初、殴られるのかと思って(主に腹部を)警戒したが、それは杞憂に終わる。

 友は、私に抱きついのである。

「――もう馬鹿。そんなこと言われたら断れないじゃないか」

 私を見上げて、友は答えた。その顔は満面の笑みだった。


 私はカフェを後にして友の家に招待された。

 さっきのカフェのすぐ近く。都内の一等地に、彼女はマンションの一室を購入していた。

 白基調で統一された明らかに高級そうな家具たちに目が眩む。

 友は昔から勉強もスポーツもできたし、友人もそれなりにいたはずだ。そうして着々と、人生を謳歌してきたのだろう。

 しかしそれは表の話。生まれつきからかなり偏食家で、決まった通りにものが進まないと、すぐに癇癪を起こす。その憂さ晴らしにどれだけ自分が付き合わされたことか……。

 この白基調の家具も、彼女の偏屈さによるものだった。

「小説といってもどんなのを書けばいいんだ?」

「それを考えずに言い出したのかい?」

「……友は確か、自分自身を客観的に見たものがいいとか言っていたよな? それなら、私が語り部の小説がいいのか? ジャンルを決めてくれ、ジャンルを」

 友の言葉を無視して、紙とペンを渡す。おおよその構想を決めるためだ。

「そうだねえ……そこは君に任せるよ」

「は?」

 無責任な言い草に少し腹が立った。

「あくまで『君が書きたい』っていう体でしょ? それなら友くんが口を挟むようなことじゃないと思うんだ」

「お前なあ……はあ……」

 私はこれ以上の反論をやめた。

「――まあ、それに友くんはね。君の作品が見たいんだ。君の作品で、友くんの作品でもある。それってとても素敵なことじゃない?」

「…………」

 友は、何考えているのだろう。

 突如、死の宣告をされて、わずか半年の命しかないことを知らされる。

 確かにあったはずの今日が、明日が、確信を持てなくなる。明日死ぬかもしれない。今日死ぬかもしれない。眠れぬ夜もあっただろう。

 きっと老後のことを考えていたはずだ。

 私でない誰かと結婚して、幸せになって、息子娘と喧嘩して、いつしか孫の顔を見るようになる……そういう当たり前の幸せがなくなったのだ。

 私は今でもかけるべき言葉が見つからない。ただ、友の顔を見ることしかできない。

「――また考えごと?」

 友は私の顔を覗き込んだ。

「ああ。すまない。ちょっと、構想を練っていんたんだ」

「……ふーん。それで、どんなのにするか、決まった?」

「……まだあんまり……でも、なんとなく、今なら書けそうな気がする」

「そ。それじゃ執筆に取り掛かる? ――あ、そういえば……」

 何か思い出したように、持っていたカバンの中身を漁った。

「はい、これ。使ってくれていいよ」

「これは……」

「そう。パソコン。君が使っていたの、もう古いだろ? ほんのお気持ちさ」

 渡されたのは最新型のノートパソコン。

 最近コマーシャルでもよく見かける高性能と評判のものだった。

「――ありがとう」

「お、素直に受け取るんだね。友くんは嬉しいよ」

「…………」

 私は黙ってパソコンの電源を点けた。初期設定などはすませてくれているようだ。

 重いもの、渡されたな……。

 私はパソコンの軽やかな電源音とは裏腹に、違う別のものを背負わされた気がした。

「――そういえば、ここで執筆するのかい?」

「あ、ごめん。邪魔だよな。今日は帰る」

「いや、友くんはいいよ。君のことだから、ひとりで取り掛かるのかと思っていただけで」

「……パソコンだけ貰って足早に帰るのもよくないだろ」

「ははっ。それはそうだ」

 それに、今はなんだか一緒にいたい気分だった。

 明日訪ねた時にはもういないかもしれない。その焦燥が私をそう思わせた。

「まあじゃあ、キリがいいところで帰ってくれて構わないよ。友くんは少し風呂に入ってくる。――あ、いくら友くんがパーフェクトボディだからって、覗いちゃダメだぜ?」

「……誰がお前の裸を見たがるかよ。さっさと行ってこい」

「はいはい。……でも、どうしてもっていうなら、こっそり来るんだぜ?」

「早く入って来い!」

「あはは、こわーい」

 無邪気な子どもみたく、そそくさと入っていた。

 ――ったく。あいつはそういうとこ抜けているんだ。

 私だって男だ。少しは気を遣って欲しい。

 ……いや誰があいつの裸が見たいものか。

 あいつとは幼少期からの仲であり、そういった感情はまったく、ない。

 なんなら小さい頃は風呂を一緒にしたことだってある。

 耳をすまさなくとも、そこからは水栓の音と、流れる水の音。

「…………シャワー、聞こえるんだよな」

 私は愛用のウォークマンを取り出し、執筆作業に取り掛かった。



「――軽井沢〜。おーい。軽井沢ったら」

「…………うん? ――うお! お前なんて格好してんだよ!」

 ウォークマンを外して、友の方に顔を向けると、そこには素っ裸の釘波友がいた。

「服を忘れたのさ。ちょっと、そこ、どいてくれない」

「うわああああ‼︎ 近寄るな! 私に見せないでくれ‼︎」

「だから、そこに服のタンスがあるの。恥ずかしがってないで、さっさとそこ退けて」

 友は私を手で退けて、服に着替えた。

「見ちゃった見ちゃった見ちゃった…………」

 友に背を向けるも、さっきの光景が頭にこびりついて離れない。

 成人女性の裸? そんなもの、生まれて初めてだ。

「何をビクビクしてんだい。今更って感じだろ?」

「私たちはそんな不健全な仲じゃねえよ! ――あ」

 友の言葉に私はつい言い返す。その拍子に友の下着姿まで目の当たりまでにした。

「…………さては、軽井沢。お前変態だな?」

 友は悪戯っぽく笑った。

「お前のせいだろ‼︎」

 私はまたバッと背を向く。心臓の高鳴りは止まらない。

 必死に考えをずらすも衣擦れの音でまったく頭が回らない。

「――ん。もういいよ」

 友は着替え終わったのか、そう言った。確かに音はしない。

 だから、私は後ろを戻った。

 すると、依然下着姿の友がいた。しかもなぜかグラビアアイドルのようなポーズで。

「――だからなんで着替え終わってないんだよ⁉︎ 服を着ろ! 服を! お前はさっきまで何していたんだ!」

 私は背を向けて抗議した。

「いや、さっきの下着なんか気に入らなくてさ。こっちの白と白どっちがいいと思う?」

「知らねえよ! 頼むから早く服を着てくれ!」

 私は素数を数えてさっきの光景をなんとか忘れようとした。

 二、三、五、七、九……いや違う。九は素数じゃない。――十一、十三……。

 素数は素晴らしい。自身の数と一でしか破れない数だ。

 全ての数は素数で表せるという仮説が正しければ、その完璧さはなお強調される。

「もうこっち向いていいよ」

「本当か? 嘘だったら私は帰るからな?」

「大丈夫だって。本当に履いたから」

「……裸ジーンズだったら、許さないからな?」

「……ちっ」

 舌打ちしやがったぞこいつ。

 裸ジーンズって何年前の需要だよ。油断も隙もないやつだな。おい。


「――コホン。とりあえず、もう晩飯にしようぜ」

 一悶着のその後、気づけば日は傾き、夕焼けチャイムが聞こえる頃になっていた。

 集中して執筆に取り掛かっていたので、友に声をかけられるまで気づかなかった。

「……もうこんな時間か」

「そうだよ。君って、我を忘れたら何をしても気づかないタイプだよね。おかげで見ているこっちも楽しかったよ」

 友はなぜか、ペンやらピコピコハンマーなどの小道具を片付けていた。

 ……なぜ? 

「――何も、していないだろうな?」

「なにもしていないさ。ちょっと好奇心に駆られただけで」

「それは何かをした言葉だろ……はあ、私はもう帰る。じゃあな」

「せっかちだなあ。話は聞いてくれたっていいじゃないか。晩御飯一緒に食べよ?」

「遠慮しとく。ていうか、そういうのは意中の相手にでもしとけよ」

「意中の相手なんて……いないもん」

 友は伏し目がちに答えた。私はその意図がすぐにわかった。

 そうか、友はもう死ぬ。恋に現を抜かしているわけにはいかないのだ。

「そっか……ごめん」

 すぐに謝った。今の発言はあまりにも無遠慮すぎた。

「――勘違いしているようだけど、単純に好きな人がいないってだけだからね? 好きだった人は、いるけど」

「…………そうか」

 友の言葉に私はうまく返せなかった。

 友の好きな人、一体それはどんな人だったのだろう。少なくとも、私ではない誰かということは間違いないはず。

 悶々と私の脳は掻き乱され、少し思考に浸った。


 私は人を好きになったことがない。これまでよく、人に釘波友との関係性を問われたが、私からすればそんなの当然お断りだ。

 幼馴染とは言い難いが、やはり長く付き合っている人とは、あまりそういう感情にはなれないというのは、皆もわかることだろう。

 釘波友は良いやつであり、私の一生の親友だ。俗にいう心の友というものである。

 そもそも、好きとはなんたるか。

 私はその意義を正したい。

 好き――それは相手を好くこと。気にいること。と、ネットではヒットしたりする。辞書で調べても大概そんなものだ。

 他にも、自由気ままにとかそんな意味はあるが、今回は恋愛絡みの話として定義する。

 再度繰り返すが、私は人を好きになったことがない。

 修学旅行の夜のテンションさえも、世相の浮ついた話にさえも、私にはそう言ったことは一切口にできなかった。

 好きとはなんなのか。辞書で調べても、人に聞いても、私には理解しがたかった。

 その人のことを思うとキュンとなる。胸が締め付けられる。いつも頭の片隅にその人がいる――そういった説明を受けても、やはり私には縁のない話だと他人事のように捉える他なかった。

 また好意という感情を私は向けられたことがなかったので、受動的にも得られることはできず、こうして今も独り身でいるわけだが。

 しかし、ゆくゆく考えれば、私の信念がある限り、恋愛はできないと思う。

 得ようとも失おうともしない。常に拮抗状態を望む私にとって、恋愛というものはまさに犬猿の仲というものだろう。

 恋愛というものは、一時の快楽と失望の連鎖であり、それが延々と続く。

 意中の誰かの一挙手一投足に常に惑わされ、拐かされ、そしていつしか結果がやってくる。

 そういうふうに、続く地獄の苦行なぞ、するべきでない、したくもないと、私は思う。

 恋愛なんて――、という言葉は使わない。別に恋愛する人にまで非難する気はさらさらない。

 が、私は見も聞きもしないので、どうぞご勝手に、だ。

 三度繰り返すが、私は恋愛をしたことがない。それはきっと、私のカルマなのだろう。


「――軽井沢?」

 そんなことを考えているうちに、また友が私の顔を覗き込んでいた。

「すまない。考え事だ」

「いいけど、そういうのはなるべくひとりでして欲しいものさ。その時の君は少し怖いからね」

「そうか。以後気をつける」

「その言葉、何回目だよ……ほんと、君ってば変わらないよね」

「お前も変わっていない」

「そう。人間って案外そういうものさ」

 友は立ち上がって、カバンを拾い上げた。

「――晩御飯、食べに行こうぜ。これは割り勘な」

「……わかってるよ」

 本日のディナーは高級料理店とかではなく、学生時代によくお世話になったファミレスだった。

 久しぶりの外食はいいものだと、私は思った。

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