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諧謔自虐伝  作者: 長月ゴルゴンゾーラ
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002


    ◆◆◆


「……起きます」

 午前八時半。真夏のボロアパートの一室にて、私は起床する。

 朝の体操を少し、そして歯を磨き、顔を洗い、シャワーで身を清める。

 ……今日の私はいつにもなく調子がいい。どうしてか、やる気が満ち満ち溢れているのだ。

 これは何かせねば。

 そう思い、久しぶりの作家業に勤しんだ。


 私は作家を目指しているフリーターなので、常日頃から時間は漠然とあるのだが、やはりどうしてもやり切れないというか、本当は堕落けたいだけなのかもしれないが、とにかくここ数年、バイトして、食って、寝て、またバイトして……――といった必要最低限の生活しかしてこなかった。

 両親は大学を卒業して、二年後に他界してしまったので、実質私には身の回りに生活を預ける人がいない。

 しかしその日以来、私は今まであった情熱が消え去ったのである。

 そして今日というこの日、その純情というか、空白の思い出を取り戻すように、私は執筆の題材を探す旅に出た。


 旅と言っても、電車で二駅、すぐの都会に向かうだけである。

 普段片田舎に住んでいるせいか、都会というのは、私に少し背筋を伸ばそうという気を起こさせる。

 この気性は数年経った今でも存在していて、私は変わっていないのだと少し驚いた。

 そして、安心感を得るために、かつてよく行っていたカフェに足を進めた。


 ところで、安心感というものは、一体どこから生まれるというのだろうか。

 こう言ったことを考えるのはいささか職業柄というか。

 ――いや、いまだ成りきれていない私が、そういった言葉を使うのは烏滸がましいと重々承知しているので、その指摘はご容赦してほしい。

 安心感。それは一種の快楽感情というべきだろうか。

 人が安心感を得る時、それは幾重のものの条件が重なって生ずる。

 お金が満たされたとき、愛を感じ取れたとき、別種の快楽感情が生まれたとき、それは様々だろう。

 しかし、それは紛い物なのだと思わされる瞬間だってある。

 例えば、借金をしたとき。或いは愛人と離れたとき。憎悪、嫉妬、負の感情がまとわりついたとき。といったある種それと反対の感情に、して裏切られたときだ。

 普通の人の安心感というのは、プラスを喜び、マイナスを拒む。

 何かを得る、それを安心感というのだろうか。

 ――否、私の思う安心感は違う。

 安心。それはプラスにもマイナスにも感情が動かされないときだ。何にも動じず、何にも動かされない。

 一括りにして仕舞えば、停滞だ。拮抗状態とも言えるのか。

 ――いや、それでは永遠と緊張していて、安心を得てはいないではないかと反論するものもいるかもしれない。

 そうではない。

 そういったある意味の緊張状態。それが安心感と言うべきなのだと、私は思うのだ。

 人は何かを得て、快楽――、安心を感じるが、私は違う。

 何も得ず、何も望まず、ただ波風立てない一日が送れると、私はそれを安心と感じるのだ。

 そもそも、何かを得ようと努力するから、失うのであり、そういうわけで、ニュートラルな状態――、常に均衡した状況に居られないのである。普通の状態、つまり実家のような安心感を覚えるからこそ、人は安心を得られるのであり、それ以外は、何者でもない。

 何かをしようとしたとき、何かを失うのは、至極当然の結果だ。世の中全てを、皿の端から端まで喰らえというのは、無理な話なのである。

 二兎追うものは一兎も得ずと言うふうに、古今東西、人間は――いや。生きとし生ける者全ては何かを得るために、何かを失っていたのだ。

 私はそれをも拒む。

 何かを失うなら、何も望まない。何かを得るのなら、私はそれを投げ捨てる。

 終わりがあるなら始めなければいい。終わりなきものなんてないのはわかっている。

 故に私は始めない。この強迫的観念が、私の確固たる意思に眠っているからこそ、安心は拮抗状態のみ存在すると考えるのだ。


 さて、そんな思考を侍らせているうちに、目的のカフェに到着した。

 そのカフェはルブランと云う。

 カフェのテラスで、紅茶とケーキを頂きながら、私は道ゆく人々を横目に眺める。

 早足で電話相手に謝る人、仲良く追いかけっこする子ども達、初々しいカップル、子ども連れの若い夫婦。

 近づいてくるかつての旧友……。

「旧友?」

 そして私は間抜けな声をあげた。

「――やあやあ、軽井沢くん。久しぶり。こうして出会うのは、二年ぶりじゃないかい?」

 えらく上機嫌に、その上馴れ馴れしく彼女は話しかけた。

「……久しぶり」

「まったく、せっかく心機一転、ここに資料集めしに来たってのに、えらく不機嫌だね……。調子はどうだい? 君は先の一件あってか、しばらく心ここにあらずって感じだったからね」

「……調子は、お前に会うまでは最高だったよ。――いやしかし待て。私はいつ、お前に、執筆を再開すると言ったんだ?」

「んん? 違ったのかい? 君がここに向かうときは必ず、何か書こうという気があるときだけじゃないか。それとも、作家業から足を洗って、真面目に働く気になったとでも?」

「……夢は諦めたわけじゃない」

「そうだろうそうだろう」

 旧友こと、釘波友は満足げな顔で大きく頷いた。

「……何の用だ。私は必要以上の会話するのは好きではないんだ。用がないなら、帰る」

「待ってくれよー。そんな焦らなくてもいいじゃないか。人生長いんだし。気長に行こうぜ。――あっ、自分も同じのをお願いします」

 友は自然に席につき、店員に注文した。

「…………わざとらしい」

「何のことだい? ――ま、ゆっくりしようぜ? ここはボクのの奢りだから、さ」

 友はイタズラっぽく笑った。



 私は今、旧友の釘波友と一緒にお茶をしている。

 見て呉れだけはいいので、側から見れば、私たちはお忍びの芸能人とその冴えないディレクターといったところだろうか。

「――君に頼みたいことがあるんだけど、いいかな?」

 突如、友は神妙な顔で、口を開いた。

「断る」

「……君に頼みたいことがあるんだけど、いいかな?」

 さっきの言葉が聞こなかったのか、はたまた無視しているのか、今度は笑顔で同じ質問を問い返した。

「断る」

「……君に頼みたいことがあるんだけど、いいかな?」

「……………………」

 ――どうやら、後者のようだ。

「……何だ」

「ええ⁉︎ もしかして受けてくれるのかい⁉︎」

「聞くだけだ。内容による。だからそんなに顔を近づけないでくれ。鬱陶しい」

「ひどいなあ。……ふふふ。そうか、聞いてくれるのかい。……ふふふ。嬉しいなあ」

「そんなニヨニヨするな。気持ち悪い」

 ほんと、驚いたり喜んだりコロコロ表情が変わるやつだな。面白くない。

「普段ならその言葉一発で殴っているところだけど、今回ばかりは許すよ! 友くんはとっても気分がいいからね!」

「………………」

 そうか忘れていた。こいつは結構凶暴なやつなんだ。

「――それで、何だ用事というのは。あんまり内容を引っ張るのなら私は帰るぞ」

「あ、そうだったそうだった。あのね。頼み事というのはね。友くんを題材に、小説を書いて欲しいんだ」

「……………………は?」

 あんまりに素っ頓狂ことに思わず耳を疑う。

「どういうことだよ。おま、お前を題材って……」

「訳がわからない、でしょ? そんなの、分かっているよ。ああ、もちろん。別にそれで」応募して欲しいとか、そんなんじゃないぜ? 友くんはただ、友くんを客観的に見たデータが欲しいだけなんだ」

「それでも訳がわからない」

「そうだろう。そういうものだからね。それにね。別に君だって損がある訳じゃないんだ」

「損しかない」

「いいや、得しかない。ひとつ、君はこのスーパー美少女の友くんを題材にできる。ふたつ、君は探していた書く題材が見つかる。三つ、君はかつての情熱を必ず取り戻せる」

「お前は美少女じゃないだろう……もうすぐみそ……――っ! 〜〜〜〜っ‼︎」

「……何か言ったかい?」

 満面の笑みで、足を踏んできやがった。しかもハイヒールだ。

 ただでさえ高身長なのに十センチヒール選ぶ意味がわからない。

「…………イエ、ナニモ」

「そう? それならよかった」

 踏まれた足を抱えて、座り直した。

「――行儀悪いよ」

「誰のせいだ」

「さあね」

 素知らぬ顔で友は紅茶を啜った。

「――ふう。それで、引き受けてくれるかい? 友くん題材計画」

「断る」

 しかし、僕の答えは依然変わらない。

「…………どうしてか聞いてもいいかい?」

「ひとつ、君を題材にしたところで金にならない。ふたつ、君は描く題材にふさわしくない。三つ、そういうのは根拠を基にしてからものを言え。それでも編集者か?」

 そう。彼女、釘波友は若手ながらも、大手出版社の一流編集者だ。

 入社してものの数年で重版作品を叩き出し、確実な地位を築いた。

「頑固だねー。軽井沢くんもさ。だったらお金だって弾むよ? 君だってこうして今に停滞しているわけにはいかにだろう?」

「…………」

 確かにずっとフリータでいるのは私も本意でない。

 私の夢は小説家。それはいつだって変わらない通過点だった。

「じゃあ友くんの言うことを聞くべきだ」

「……傲慢だなお前は」

「そうかい? ――でも、この傲慢さがないと、友くんはここまでのし上がれなかったと思うんだ。いいかい? 君に足りないのは情熱なんだ。かつてのあの頃の情熱、それを取り戻すために、君はこの場所に戻って来たのだろう? それだったら、肩慣らしとして、友くんを題材にしてくれたっていいと思うんだ」

「それとこれとは話が別だ。僕は好きな題材を好きなように書く。例え…………」

「――それがどんなに駄作だったとしても、かい?」

 知ったげな顔で、次の言葉を読んだ。

「…………分かっているじゃないか」

「そりゃあ君に口酸っぱく言われたからね。……話は変わるけど、さ。二年前のあの作品は、本当は賞を取れていたはずなんだよ。それなのに無能はわかってくれなかった……知っているかい? 数年後、同じ作品を当時の担当者に講評して貰ったけど、曇りなき眼で『この作品は素晴らしい!』って言いやがったんだぜ? ――はは、笑える。自分が担当したことすらも覚えていないのかよ。それに…………」

「――もういい」

 私は友の言葉を遮った。

「もう、いいんだ」

「いいや、聞くべきだ。君の作品は素晴らしい。あの作品をもう一度見せてくれ。友くんに、ボクに魅せておくれよ。お願いだ軽井沢くん。君の文才でボクを書き記してくれないか?」

 友は手を掴んだ。切実に、痛切な顔で私に訴えた。

「…………そんな顔をしても無駄だ。私は私の好きなように書く。それだけは変わりない」

「――じゃあ、少しイジワルな方法でお願いをしようかな」

 友はなにかを決心した顔で言った。

「なんだ金か? それとも地位を利用して、これから私の行く末を妨害しようってのか? そんなものは関係ない。金でも、権力にも、私は揺るがない。そんなもので出来たものなんて、何にも価値がないからだ」

 私は彼女のお願いに少し熱くなる――がしかし。

 私は彼女の言葉に呆気をとられることとなる。


「――実はボク、もうすぐ死ぬんだ」

 刹那、一夏の風が私の体を吹き抜けた。

「は?」

 しぬ? 死ぬってあの〝死ぬ〟か? 生命活動が停止し、この世から去るあれか⁇ 

 訳がわからない。今日一訳がわからない。

「だからね。友くん……ボクはさ、死ぬんだよ」

「ちょ、ちょっと待ってくれ……何を根拠にそんなことを…………」

「癌だって」

 友は私の困惑を無視して言葉を続ける。

「だから、癌なんだ。悪い細胞ができて、それが体に悪さする病気。それになっちゃったのさ。ボクはね」

「よ、余命は……あと、何年なんだよ」

「…………半年ももてばいいところだってさ」

「――っ」

 あまりのことに言葉に詰まる。

「しゅ、手術はしないのかよ。お前なら、お金に困っているわけじゃ……」

「無理なんだよ。もう、無理なんだ。気づいたときには手遅れだってさ。……あはは、困っちゃうなあ」

 友は笑っていたが、明らかにそれが空元気だということはわかった。

 私は何と声を掛けたらいいのかわからなかった。

「……あーあ。だから言ったじゃないか。素直に友くんのいうことを、聞いていればいいってさ」

「……ごめん」

「謝らなくてもいいよ。ううん。謝ってほしくない。――それじゃ。友くんは帰るから。あ、お会計は持つよ。感謝しなよ。ウリウリ〜」

 私の頭を少し撫でた後、彼女は徐にその場を立ち去ろうとした。


「――書く」

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