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懐かしい未来で

作者: ゆいまる

 くだらない夏休みが終わろうとしている。

 テレビをつけると、高校野球のせいでお気に入りのドラマの再放送がなかった。「ちっ」と苦々しさを舌打ちにし、俺は投げやりにテレビのチャンネルを変える。

 変えた先のチャンネルは有料の衛星放送で、サッカー好きの兄が数年前に勝手に契約したものだった。

 延々と海外ドラマと映画を放映するそのチャンネルを、俺はまともに見たことはなかった。これを機に何か見てやろう……なんて気になったわけではなく、ただ、部屋から出るのも、リモコンの上のボタンを押すのでさえも面倒だったから、その画面で止めてぼんやりと眺めた。

 随分昔の、SFものだった。確かこれはそこそこ人気があって、シリーズ化したはずだ。主役の俳優がどこかの州知事に収まった後も、続編を希望する根強いファンがいて、もうすぐ何年かぶりに新作が映画化されるかするはずだった。

 まぁ、どうでもいいけど。

 俺はごろりと寝そべり、テレビの中で何事か必死の形相で叫ぶ金髪のおばさんの顔を眺めた。

 必死な奴なんか嫌いだ。

 高校野球で夢の甲子園とやらで炎天下の中プレーする高校球児も、親の反対を押し切って本当にサッカー選手にまでなりやがった兄も、テレビの中未来を守るといって未知の敵と戦うあのおばさんも、みんな、みんな嫌いだ。

 でも、一番嫌いなのは……。

「悠斗! いい加減にしろ! やることないなら手伝いくらいしろ!」

 俺は『俺』といいかけていや、この世で一番嫌いなのは『親父』だな、と思い返した。

 足元の方で母親となにかもめる声がする。ついで、階段を駆け上ってくる音が聞こえた。

 なんだよ、もう。浪人という名のニートをいじめんのがそんなに楽しいかよ。

 俺はけだるい体を起こすと、じっとドアの方を見つめた。

 二回目の医学部受験に失敗したのは半年前。別に、好きで落ちたわけじゃない。というか、去年は本気で、例えじゃなく血反吐を吐くほど頑張った。胃に穴が空き、精神的に追い詰められ眠れなくなり、体重も10キロ以上落ちるほど、俺は机にしがみつき頑張った。

 でもさ、頑張れば報われるなんて、世の中はそんな単純構造じゃないんだ。

 頑張ったって報われない奴はいる。

 夢は諦めなければ叶うという奴は、そんな自分の足の下に無数のこういう人間がいて、それを踏み台にしていることを知らないんだ。

 そして、俺は、その踏み台の一員ってわけ。

「悠斗! こら! 出てきなさい!」

 ドアが軋むほど叩かれる。

 そうそう、ここにもそういう輩がいるのを忘れてた。

「何してるんだ? どうせ勉強してないんだろ? だったら、父さんの仕事くらい」

「うるせぇよ!」

 俺はむかついて頭に敷いていた枕を思いっきりドアに投げつけた。

 それは無意味に勢いよくドアに叩きつけられるも、何のダメージをドアにももちろん親父にも与えることなく、床に落ちた。

「ほっとけっつってんだろ」

 俺は、お前の人形じゃねぇつうの!

 俺はなおもわめき散らす親父の怒声をにらみ付けながら立ち上がる。

 親父は薬剤師だった。そんなに大きくはないが、自分で薬局を構え、調合なんかもここでやってる。

 でも、俺は知ってる。親父が望んで選んだ道じゃないって事を。

 親父は本当は医者になりたかったんだ。

 親父の実家は大きな病院をしている。親父は本当はそこの跡継ぎだった。当然、医者になるべくして育てらたし、きっと本人もそのつもりだったのだろう。

 けど、現実はそうはうまくいかない。

 親父は何度も受験に失敗した。そのうち、親父の弟に当たる叔父さんの方が先に医学部に合格してしまった。親父の立場はなくなった。五度目の挑戦を前に、親父の心はすっかり折れ、結局そのときは医学部を受けずに薬学部に進学したんだ。

 そのときのコンプレックスが親父を支配している。親父自身は否定するが、どう考えても俺にはそうとしか思えない。

 今、病院は叔父が継いでいる。でも、叔父には子どもができなかった。だから、親父は思ったはずだ。自分の息子のうちどちらかを病院の跡取りにって。

 でも、兄貴はそうはならなかった。兄貴は勉強の成績も抜きん出て良かったのに、中学から始めたサッカーにのめりこんで、ついには家を出てまでサッカーの道を進むことになった。

 結果、もともと頭の良かった兄貴は、今や日本代表の主軸になっている。

 でも、俺はといえば……

「言いか! 聞け! お前には立派な医者になってほしんだよ! 幻滅させないでくれよ! 悠斗!」

 親父の期待にそむく勇気もなく、かといって自分の道を進む覚悟もなくて、何者にもなれずに部屋に閉じこもっている。

 なさけない……。

 いつしか握り締めていた拳が震えた。

 くそっ。

 振り返る。映画では未来から来た息子が母親を助けているシーンだった。

 家族なんて、家族なんて厄介な足枷でしかないじゃないか。

 視線を逸らす。耳を塞ぐ。目に映ったのは、真っ青な空だった。自然に涙がこぼれた。

 俺は、俺だ。

 俺は俺なのに、どうして誰も俺を見てくれないんだ。

「悠斗! ねぇ、一度お話しましょう。悠斗の将来のこと、お母さんもお父さんも心配なのよ」

 お袋の声がした。お袋も学歴コンプレックスの塊のような人だ。俺を洗脳するように「お兄ちゃんのようになるな」とけしかけた張本人だ。

 俺の心配? 嘘だろ。 

 自然に笑みがこぼれていた。

 お前たちは、ただ単に自分ができなかったことを俺にさせて、自己満足しようとしているだけだ。今のままじゃ、負け犬の自分の人生を認めることになるから、自分の生き方が間違いじゃなかったって確証がもてないから、だから俺を使って自分の人生を肯定したい、それだけなんだ。

 俺の、俺のことなんか、どうでも……。

 涙が頬を伝った。気がつくと、俺は窓枠に手を書けていた。

 どこまでも広がる空。

 誰も邪魔しない空。

 自由だ。そうだ、俺は自由がほしいんだ。

 そして、俺は、何かに導かれるように、外に飛び出した。

 そのまま屋根伝いにすべり落ちると、庭の木に飛び移る。思ったより難なく外に出られた。裸足のままだったけど、庭先においてあるサンダルがあったので問題ない。

 俺はまだ何事か叫ぶ両親の声から逃げるように、家を飛び出した。


 飛び出したからといっても、なにか行くあてがあるわけじゃない。

 ポケットに手を突っ込むと、学問をススメたおっさんの紙が一枚だけ居座っている、くたびれた財布といくつかの小銭がジャラジャラと入っていた。

 俺も子どもじゃない。たぶん自分のこんな突発的な逃避行は、このお札が色をかえ、残り一枚くらいになるあたりで、あの怒声の嵐を甘んじて受ける諦めを引きずり、また元の部屋に戻るんだろうなと見当はついていた。

 そして、きっとその後は、部屋の鍵は取っ払われ、俺は両親の失望のうちにフリーターになるか、親父の奴隷になるか、あの血反吐を吐く生活に戻るかの選択に迫られるのだ。

 舌打ちする。

 真上から照りつける真夏の太陽も、傍を通り抜ける肌の露出が多い女達も、汗をかきながらどこかへ向かう会社員も、皆嫌いだ。

 どうして、やつらはあんなに楽しそうなんだ。どうしてあんなに幸せそうなんだ。少なくとも、俺よりはマシだ。自由だ。自由の元に生まれついている。

 なのに、俺ときたら……。

 俺はそこで、恨むべくは親父一人ではないことに気がついた。

 親父はもちろんうざい。でも、元はといえば親父があんな大病院の息子に生まれなければ良かったんだ。

 あと、兄貴だ。自分勝手に好きなことやって、あまつさえ成功までしやがって。あいつが俺の兄貴じゃなきゃ、俺は一人、ここまで惨めな思いをして追い詰められる必要もなかったんだ。

 ふと、さっきの映画の映像が浮かぶ。

 家族。そう、家族なんてもんがあるから、人間は自由じゃなくなる。家族なんてうっとおしいものがあるから……。

「あの」

 後ろから声をかけられたのは、そんな風に世の中の『家族』という制度を恨みながら、センター街を抜けようとしていた時だった。

 始めは自分に駆けられた声だとは思わずに無視していた。

 でも、何度目かの後

「あの! さっきから呼んでるんですけど!」

 思いきり腕を引っ張られた。

 思わず俺はつんのめり、転びそうになる。

「? 何をすんですか?」

 俺は怒り半分に振り返った。半分というのは、その声の主が女の子だったから。悲しいかな、可愛らしい声に、俺は反射的に下心を作動させてしまったようだ。

 見ると、期待以上の可愛らしい女の子が俺の腕を掴んでたっていた。

 怒っているからか、表情は少し険しいものの、愛らしい大きな瞳に頭の高いIでくくられたポニーテール。年は高校生くらいに見えるが、細身で短パンにTシャツという姿のせいか、はたまた良く焼けた肌のでいか、とても活発そうに見えた。

「あなた。小倉悠斗さんですよね」

 なぜか怒ったような口調に、俺はこんな知り合いいたっけ? と記憶の引き出しをまさぐりながら頷く。

 女の子はまじまじと俺の顔を見ると

「今日、一日アナタにつき合わせてもらいます」

 とそういった。

「はぁ?」

 いきなり? これはラノベのラブコメかなんかか? 俺は彼女の強引かつ非常識な申し出に目を点にしながらじっと見つめる。

 しかし、彼女は俺が受諾するのを当然とするように腕を絡めると

「じゃ、どこから行きましょうか。そうね、手始めに良く遊びに行く場所、連れて行って」

 といった。

 さすがに俺も気味が悪くなり、その女の子の腕を振り払うと、一歩引いて顔を引き攣らせた。

「なんなんだ、君は。最近の女子高生はこんな悪戯をするのか?」

「悪戯なんかじゃないです。べつに、迷惑もかけませんし、何かを要求することもしません。ただ。アナタの一日を教えてほしいんです」

「どうして」

 っていうか、いきなり出てきて一日つき合わせろっていう時点で迷惑だし、結構な要求だと思うけど。

 しかし、女の子のほうは怯むことなく、切実な表情で詰め寄ってきた。

「どうしてもです! お願い! 今日しかないの!」

「今日しかないって?」

「とにかく、アナタのことを教えて!」

 その声にはふざけたい色は微塵もなく、またその目も泳いではいなかった。ただただ何かを思いつめたような表情で、僕は気おされる。

 一体なんなんだ。せっかく自由になった浪人生を捕まえて……。

 ふと視線を感じ周囲を見る。

 俺達のやり取りを道行く人が不振げに遠巻きに見ていたのだった。

 ぶが悪すぎる。

 俺はため息をつくと、そのこの手をとった。

「とにかく、ここから離れよう。話はゆっくり聞くから」

「本当に! じゃ、いいの?」

「いいって言ってない」

 そう言いつつ、彼女を引っ張り俺はセンター街から離れて行く。

 俺達を見ていた野次馬もばらけていく気配がした。

 俺は嬉しそうな彼女の顔をチラチラみながら尋ねた。

「で、あんた、名前は?」

「え?」

「名前くらい、教えるべきだろう」

 いくら悪戯でも。俺がそういって彼女を見つめると、彼女は少し困ったような顔をしてうつむいていた。

 歩きながら彼女を観察する。

 握っている彼女の右手の甲に痣があるのを見つけた。赤い、花びらのような痣だ。

「明日香」

「え?」

「明日香って名前」

「あ、あぁ」

 明日香か、意外と普通だな。

「じゃ、言ったからには今日は俺に付き合うんだね?」

「うん!」

 明日香は嬉しげに頷いた。

 変な子だ。俺は苦笑しながら足取りを緩めると、痣のある彼女の手を離した。 

 まぁ、家でどうでもいいテレビと腐るよりは、女の子の悪戯に付き合うほうがいいだろう。

 俺はそう結論付けると、その日一日を楽しむことにした。

 彼女は俺の良く行く場所に行きたいと希望した。普段の行動を教えてほしいというのだ。正直困った。ここ最近、浪人2年目が決まった日から、俺はほとんどあの部屋から出ていなかったからだ。一応、予備校に席は置いてはいたものの、出てはいない。たぶん、今頃は夏期講習の真っ最中なのだろうけど、まさかこの子をつれて行けるわけない。

 とりあえず、去年までよく行っていた本屋やゲーセン、ファーストフード店などをぶらぶらと回る。

 明日香という少女は、よほどの田舎から来たのか、それとも俺をからかっているのか、どこも珍しそうに見回しては「こういうところに来てたのかぁ」と呟いていた。

 そんなデートもどきが楽しかったのかどうかわからない。でも、時間だけは嘘のように早く過ぎた。

 あの、一時間、いいや十分を消費するのにもかなりの苦痛と疲労を感じる自分の部屋と、彼女と過ごす外の時間では、まるでその流れが違うように感じた。

 始めは何かの悪戯か詐欺かと警戒していた俺も、日が傾く頃には彼女の明るい表情や快活な話しっぷりにすっかり心を許し、まるで古くからの友人とでもいるような気になっていた。

 実際、今日始めてあった気は不思議としないのだ。

 たぶん、こんな事いうと、さえない浪人生のさえない口説き文句だといわれるだろうから黙っていたが、空が茜色にそまる川原に腰を下ろし、二人並んで缶コーラを手にする今、彼女との別れを惜しんでいる自分がいた。

「時間、大丈夫?」

 気持ちとは裏腹に、口をついて出た言葉は彼女をせかすような台詞で、自分のそんな不器用さに心の中で舌打ちしたくなる。

 彼女のほうはちょっと複雑な顔をして「ごめんなさい。長々つき合わせちゃって」と言うと、腕に巻かれた時計に目を落とした。

 俺もつられて時計を見る。

 文字盤の傍に彫られたアルファベットが目に付いた。それは4文字『YUKA』と記されている。

 あれ? 彼女の名前、明日香じゃなかったっけ?

「あの……」

「うん。あと、もう少しなら、大丈夫」

 俺がそのアルファベットについて尋ねる前に、彼女が顔を上げた。タイミングを逸らされた感じになり、俺はなんとなく他の質問をぶつける。

「門限とかあるんだ?」

「門限はあるけど、今日はそんなんじゃないの。あのね……」

 夕風が僕らの傍を駆け抜けた。

 緑色に茂った川原の草の上をその風が走り、夜を誘う夕暮れを引き連れてくる。

 耳に届く虫の音が優しく、夏の終わりが近いことを教えていた。

「私、実は家族と喧嘩しちゃったの」

「え?」

「将来のことでね。だって、酷いのよ。自分が子どもの頃はこんなんじゃなかった。もっと素直で、親の言うことを聞いたもんだって。でも普段は我慢してたの。けど今日ね、私のことであの人、自分の奥さんに酷い事言ったのよ。マジ、許せないって思った」

「あ〜、それ。なんかわかるかも」

 俺は苦笑すると、手元の草をちぎって投げた。

 それはハラハラと力なく風に運ばれ草むらの中へ消えて行く。

「俺もさ、実は今日、親父と大喧嘩したんだ」

「嘘!」

 彼女は目を丸めて俺の顔を見た。確かに、こんな偶然、嘘っぽい。もしかしたらさっきの言葉より口説き文句っぽいけど、本当だから仕方ない。

 俺は苦笑して頷くと、親父とお袋の絶叫を思い出して暗い気持ちになった。

「君は俺のことを知ってるようだから、もしかしたら知ってるかもしれないけどさ、俺、今、二浪中で」

「え? そうなの?」

 俺は情けない気持ちで頷く。

「医学部目指せって、煩くてさ。俺だって頑張ってないわけじゃないんだ。このままでいいって思ってるわけでもない。でもさ……なんか納得いかねーんだよ。俺って、親父の道具でも人形でもねぇ。俺は俺の道を、自分で決めたいのにって」

 遠くの鉄橋に電車が通る音がした。

 俺達の傍を何人かの浴衣姿の人が通り過ぎて行く。

 蚊取り線香の匂いが漂い、汗ばむ肌にそれが纏わりついた。

「わかる。アナタ……悠斗もそんな事があったんだ」

 彼女はそういって口を噤むと、自分の足を抱え込んで、ゆらゆらと前後に揺れた。そのたびに彼女のポニーテールも一緒に揺れて、俺はぼんやりとそれに見とれる。

「でもさ。本当に、医学部を目指したのは、悠斗の意志じゃなかったの?」

「え?」

 どきりとした。

 ずっとずっと隠していた、いや、自分自身でも見ないようにしていた何かを探り当てられたような感覚に、俺は目を見開き、彼女を見つめる。

 彼女はどこか遠くを見るような顔でそのまま続けた。

「本当に、いやなことなのに、何年も挑戦できるかな? 本当に、悠斗のやりたいことじゃなかったのかな? もしかして、本当は……」

 夕闇がその濃度を増す。彼女の顔が夜の影に飲まれ、はっきりとは見えなくなる。それでも、俺は息を飲み、彼女を見つめた。

 彼女の瞳がゆれ、俺のほうに振り返る。その目は真っ直ぐで……。

「私、わかった」

「え?」

「私、自分で言い訳してた」

 彼女はいきなりそういうと、にっこり微笑んで、それから少し分が悪そうに顔を歪めた。

「ごめん。私、アナタのことどうこう言えないよ。だって、私もそうだもん」

「そうって?」

「自分の不甲斐なさを家族のせいにして、逃げてるのよ」

 俺達の後ろを数人の子ども達が走っていった。

 遠くの方で大勢の人間が集まる熱気のようなものを感じる。頬の辺りに明かりも感じ視界の外に何かがあることを教えていた。

「自分がうまくいかないのを、ずっと人、特に家族のせいにしてた。私は頑張ったんだから悪くない。悪いのは妹のせい。お母さんのせい。生まれのせい。そして煩いお父さんのせいって。自分は本当はこんなはずじゃない。もし、自分で自分の道をもっと自由に選んでたら、こんな惨めな思いしないですんだのにって」

「それは……」

 俺は屈託なく自分の思いを懺悔する少女を見つめ、頬が紅潮して行くのを感じた。

 なぜなら、彼女が言っていることそれは、そっくりそのまま俺自身にも言える事だからだ。

 数度の失敗で腐り、挫けた自分を擁護するために、親を非難し、兄貴を非難し、生まれを非難していた。

 でも、でもだ。

 俺は本当に医学部に行くこと、医者になることが嫌だったのか?

 俺は親父の夢を受け継ぐことを疎ましく思っていたのか?

 確かに、そんな側面はあった。病院を継ぎたいとは一度も思わなかったし、他になりたいものがあるんじゃないかって迷いもあった。でも、でも、どこかで、俺自身が医者になる夢を持ち、親父の喜ぶ顔を見たいと思っていたんじゃないのか。

「良かった。今日は悠斗に会えて」

「え?」

 彼女はそう微笑むと、星が輝き始めている空を見上げた。

「ありがと。なんか、スッキリしたよ」

 そういう彼女の顔は清清しさに凛としていて、俺は自分の鼓動が高鳴るのを感じた。

 素性の知れない不思議な少女。でも、この出会いはもしかしたら……。

 俺が何かを口にしかけた、その時だった。彼女が「あ!」と声を上げ、時計を見る。

「やばっ。もう時間だ!」

「え?」

 彼女はなにやら酷く慌てた様子で、腕時計を外すと、俺の手を強引にとってその上にのせた。

「あのね。悠斗、頑張ってね。これから、色々あっても、家族のことだけは嫌いにならないでね。特に、私と同じ名前の人にこれからであったら、大切にしてあげて」

「は?」

「その人は、悠斗の一番の味方になる人だから」

 そういうと、彼女は俺に自分の腕時計を握らせた。

「これは約束の印。この時計、あげるから、今言ったことだけは絶対忘れないで」

「え? あ、あぁ」

 俺はキョトンとして彼女の顔を見た。

 彼女は微笑んで俺の上に痣のあるもう一方の手を重ねた。

 別れの予感がした。

 俺は焦って彼女の手を握り締める。

「もう、会えないなんて言わないよな? 俺、まだ君の名前しか……」

「また会えるよ」

 彼女はそういって目を細め、首を傾げた。

「本当に、今日はアナタに会えて、アナタを知れて良かった」

「じゃ」

「今日の日が懐かしくなる未来で、また会いましょう」

 その時、空がいきなり明るくなった。

 俺は驚いて空を見上げる。同時に天をそのまま揺らすような大きな爆音と振動がして、夜空に咲いた光の花に目を見張った。

 花火だった。

 いくつもいくつも息をつかせる暇もないほど次々と花火が打ちあがって行く。見ると川原の向こうの方では大勢の人間が影になっていた。そうか、さっきまで傍を通り抜けていたのは花火客だったのか。

 夜空に鮮やかに咲いては消えて行く夏の華。

 いつの日か、家族で見に来たことを思い出した。

 兄貴と、俺と、親父とお袋と。夜店で買ったお面をつけて、親父に肩車してもらって……。皆笑っていた。俺は、そんな皆の笑顔が好きだった。

 そうだ、俺はとっくに俺の道を選んでいたんだ。

「ねぇ、明日香ちゃ……」

 視線を下ろす。しかし、彼女の姿はもう、どこにもなかった。

 俺は慌てて立ち上がり、彼女を探す。

 しかし、花火が作り出す光と影の中で、彼女の姿だけ見つけることはなかった。彼女は忽然と現れ、そして忽然と姿を消したのだ。

 まるで、残像と切なさを胸に刻むあの花火のように。


 その翌年、俺は医学部に合格した。

 そして俺は医者になり、俺の道を進んだ。

 今、俺は、あの部屋から遠い遠い空の下、どこの国にも縛られない組織の中で、俺なりの人生の形で医師として日々を過ごしている。

 とはいえ、実際、夢が叶ってもその先も楽なものではなく、何度も挫けそうになった。

 迷いや挫折は常に付きまとったし、幾度も大きな壁にぶち当たった。でも、その時、彼女にもらった時計を取り出してはいつか未来で再会するという約束を思い出し、その時に彼女に顔向けできる自分でいたいと励みにしてやってきた。

 それに、意外にもあれだけ嫌っていた家族の支えも大きかった。「家族を嫌いにならないで」という彼女の言葉を守るようになったからかもしれない。

 両親とは病院を継がないことで衝突したが、最後の最後には俺を理解してくれた。兄貴も今となってはよき理解者だ。世界的なプレーヤーになった兄貴は、俺のいる団体への寄付を惜しまずし、また相談にものってくれるようになった。

 あの、部屋に閉じこもっていた俺が、十数年後にこんな場所にいるなんて、俺自身が驚きだった。

 きっと彼女に出会えたおかげだ。また会いたい。いつか、必ず。

 ただ、一つだけずっと胸につかえている疑問があった。

 時計の文字だ。

 あのアルファベットで4文字の『YUKA 』。彼女は『明日香』じゃないのか? 本当は『ゆか』ないしは『ゆうか』なのか? どれが本当の名前なんだ? 

 少し気持ち悪くもあったが、そのうち俺は考えても答えが出るものではないので、再会のときの楽しみの一つにしておくようになった。

 名前がなんであろうと、あの日の出会いは今の俺を支えてくれているのには違いがないのだから。


 そして、ついに遠い異国の地で俺は一人の女性と出会った。

「橘明日香です」

 派遣先で紹介された医師の中にその人はいた。

 彼女を見たとき、あの日の少女にどことなく面影が重なるのに驚き、ついで名前を聞いて二度驚いた。

 彼女だ。そうに違いない。快活な瞳に、凛とした表情。なにより、名前が一緒だ。期待は膨らみ、ポケットに忍ばせておいた時計を握り締めた。

 やっと、やっと彼女に会えた。伝えたいことがたくさんあった。聞きたいことがたくさんあった。何より、会えたことが嬉しかった。

 俺ははやる鼓動を抑えるように一息つくと、彼女に尋ねた。

「俺達、前に会った事あるよね?」

 しかし、明日香は首をひねり

「いいえ」

 と答えた。

 そんなバカな。俺の事、忘れたのか?

 俺は焦り、それでも、と彼女の手をとった。あの日の少女なら、痣があるはずだ。右手の手の甲。赤い小さな痣が。

 しかし、彼女の手には痣はなかった。

 愕然とする俺に、橘明日香は苦笑してこう言った。

「口説かれたことはあるけど、こんな風に強引なのは初めてですよ」

 と。


 数年後、それがきっかけとも思わないが俺は彼女と結婚した。

 明日香はあの少女ではないけれど、あの少女が言うように俺の一番の味方になってくれた。

 明日香は伴侶であり、理解者であり、パートナーだった。

 幸せな日々の中、あの時計の少女の事は夢だったのかもしれないと思い始めた頃、明日香の妊娠がわかった。

 そして俺は、ようやくあの日の出会いの意味を知る。

「良く、頑張ってくれたね」

「アナタ」

 俺は額を汗で塗らした明日香を撫でると、彼女の腕の中で眠る娘に目を移した。

 あどけない寝顔の傍に添えられた小さな手。きゅっと握り締められたその甲にあったのは、あの赤い印。

 あの日の少女は……。

「抱いてあげて」

 明日香に言われ、俺は頷きそっと抱き上げる。

 娘はうっすらと目を開けると、俺のほうを見てから、安心したかのように再び目を閉じた。

「懐かしい未来で会えたね」

 俺はそっと娘にそう呼びかけた。

 明日香が目を丸め「何それ」と俺を見つめる。

 俺は微笑み

「俺達の娘は家族思いの良い子になるぞ。ちょっぴり冒険好きかもしれないけどな」

 と答えた。母親思いの、良い娘。煩い父親の過去に会いに来た、行動的な女の子。

 俺は懐かしい思いであの日のことを思い出す。

 明日香は

「そんなのわかんないわよ。おかしな人ね」

 と笑うと、ゆっくり身を起こし、俺の腕の中の娘の顔を覗き込んだ。

 あの日があったから、繋がった未来。

 あの日の時計はまだ動いている。

「名前、どうする?」

 明日香が聞いた。俺はあの時計の名前を思い出し、そうして迷わずこう答えた。

「悠香。俺達の娘の名前はずっと前から悠香なんだよ」

 と。


=完=




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― 新着の感想 ―
[一言]  こんにちは、coachと申します。  「オタクヒーローと秘密のブログ」を読ませて頂いた者です。  上記の作品と比較すると、いえ、もちろん連作長編と短編を比較するのはよろしくないことかもしれ…
[一言] ストーリーはとても良かったです。最初の文章の入り方と、後の文章の入り方も繋がっていて分かり易かったです。ただ、自分のことを書きすぎて、少し、読んでいて疲れる気がしました。また、読んでみたいの…
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