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7話「今日もお空は――」


 翌朝、私の目覚めはすこぶる良かった。お目々パッチリ。身体スッキリ。ベランダで雀がちゅんちゅん鳴いていても全然イラッとしない。しかもお味噌汁のいい匂いまでしてきたらときめきしか感じない。


「あ、おはようございます。顔色もずいぶん良いですね。さすがに一晩で回復するとは予想外でした。やっぱり生者は単純でいいですね~。美味しいもの食べてたくさん寝れば、簡単に元気になるんですから」

「おかげさまで……?」


 嫌味なのかな? 私が馬鹿だと言いたいのかな? 喧嘩を売っているのかな? そもそもなんで当然のように今朝も死神くんがいるのかな?


 死神くんの格好は変わらない。今日も白シャツに黒いズボン。玄関の脇にはご丁寧にマントが畳まれ、鎌が立てかけられている。うん、このまま長居するようなら、ハンガーを買ってあげよう。最後のお給料が入ったらね。てか普通のハンガーでマントってかけられるのかな?

 そんなことを考えていると、かばんがブルブル震えている。まさか眼球くんが⁉ て一瞬驚いたけど、そんなわけない。普通にスマホに着信が入っているだけ。だよね、知ってた。

あ、会社から。派遣元からじゃない。派遣先の薬品会社から。

 生唾を飲み込んでから、着信ボタンを押す。そして恐る恐るスピーカーに耳を着けると、課長の気まずそうな声がした。


『あー、御手洗さん? 今どこにいるのかな?』

「あ、家ですけど……」

『そっかあ。それじゃあ、とりあえず時計の時間を教えてもらえるかな?』

「はい?」


 壁のデデニー時計を見やれば、短針は十、長針は六。


「十時半ですね」

『遅刻だね』


 そうですね。始業開始時間は九時だから、ばっちり遅刻ですね。

 でもね、課長代理。私クビになったんじゃないんですか?


「出勤……してもいいんですか?」

『具合悪い? いっぱい濡れてたから、インフルエンザにでもなっちゃった?』

「いえ、すこぶる元気です。階段スキップで上れそう」

『それじゃあ出勤しようか。僕、昨日は帰れって言ったけど、今日来るなとは言ってないよ?』


 私はなんとなく、死神くんを見た。


「お弁当なら出来てますよ」


 カーテンを開けてくれている死神くんに後光が差して、神様のように見えた。




 出勤するとなると、嫌でも通るのが受付だ。

 今日もお上品な制服を着た素敵女子たちが愛想笑いをしてくれる。

 しかも、そのうち一人は特別に声までかけてくれた。


「御手洗さん、よく眠れた?」


 彼女の胸のネームプレートには、私の知った名字が書いてある。

 『津田(TUDA)』。

 おかげさまで。それだけの言葉を、私は思っても口に出すことができない。




 遅刻したら、まずすること。

 当然、上司への謝罪だ。


「申し訳ございませんでした」

「僕の方こそごめんね。昨日は言葉が足りなかったねー」


 朗らかに笑うぽよんとした五十代半ばのオジサンが、私の担当上司の佐藤さん。年相応に髪も薄くて、年相応に歪んだ腹をしている、確か私と同じくらいの年の娘がいる課長代理さんだ。

 佐藤さんが「風邪引いてなくてよかったよー」と言ってくれている一方、課長さんはもっと偉そうな席で私を睨んでいる。

 ……うぅ、ですよね。問題起こした派遣風情が遅刻とか、ありえないですよね。どうせならもう来んなよ、て思いますよね。

 だけど、そんなのを一切気にしない課長代理佐藤さんは言う。


「それでさ、僕も仕事だからさ……ちょっと場所を変えてもいいかな。昨日のことを聞きたいんだ」


 その優しい口調の提案に、拒否権はない。だって『?』が付いてないもんね。提案のように見せかけた命令だ。だから私は「はい」と答えるしかない。

 そして空いている会議室で、課長代理と二者面談。課長さんが来なくて良かった~。どうもあの課長さんとこの課長代理さんは仲が宜しくないらしい。課長さんの方が若いから気まずいのかな。だけど、二人の間に何があったかなんて、派遣風情には知る由もないんだけど。


 ともあれ、課長代理佐藤さんは言った。


「それで? タバコ吸ったの?」

「吸ってません……」

「でも、受付の津田さんが御手洗さんはヘビースモーカーだって言ってたよ。幼馴染なんでしょ?」


 小学校の同級生は事実なので幼馴染になるのかもしれませんが、まったく仲良くありません。むしろ私は嫌いです。昨日だって「まぁ~たトイレで濡れてるの? さすが『トイレの花子さん』だね」と仰っていただきましたから。そんな昔なじみ、幼馴染なんて認めたくありません。

 てか、タバコなんて吸ってませんよ。というか、吸ったことありません。


「一応さぁ、ここご存知の通り薬品会社だからさ。たとえ部署が発注管理で実際に薬が手元にあるわけじゃなくても、社内イメージとかもあるしね。まぁ、そうじゃなくても喫煙所以外でタバコ吸ったらダメでしょ。マナーだよ」


 だから佐藤さん、私タバコ吸ってないです。てか、タバコ買うお金すらないですよ。税金かなんかでどんどん値上がっているじゃないですか。あんな高いもの買うくらいなら、一回でも私しゃガチャを回したいです。


 私がじっと項垂れながら、両手をギュッと握る。


「でもねぇ、昨日のスプリンクラーは全部御手洗さんの責任ってわけじゃないんだよね」


 どういうことでしょう?

 私が少しだけ視線を上げると、パイプ椅子に座った佐藤さんがスーツのポケットから取り出したピンクのタブレットケースをシャカシャカ振っていた。


「知ってた? スプリンクラーって、普通そうそう動かないんだよね。熱を感知してから放水されるはずだから……タバコの煙くらいじゃ、動くはずがないんだよ。その前に火災警報器が鳴るはずだしね」

「はあ……」

「スプリンクラーが作動したって真っ先に報告してくれた津田さんにも詳細聞いたんだけど、御手洗さんがトイレでタバコ吸ってただけって言ってたしさ。昨日点検に来てくれた人によれば、整備不良による事故だろうってことだよ。定期点検はやってたはずなんだけどね」


 えーと……この話はあれかな。もしかして――


「そういうわけで、御手洗さんへのお咎めはタバコは退勤してから外で吸おうねってことで。普段も真面目に働いてくれているし、派遣元へ報告はしないでおくよ。ただ、社内雇用のことは、ちょっと難しくなっちゃうかも」

「はい……」


 くそぉ。この会社に派遣されて一年半。このまま行けば社内雇用されて正社員も夢じゃないかもって思ってたのに……でも今日明日の食い扶持に困ることはなくなったらしい。良かった……良かったのかな?


「でもね、御手洗さん」

「はい」

「こういう時くらい、もう少しお話してね。人見知りをもう少し直さないと、どこへ行っても難しいと思うよ」


 そして佐藤さんは、ピンクのタブレットケースを私に渡してくる。


「まぁ、口寂しくなったらこれでも食べて頑張ってよ。残り契約期間内よろしく。それじゃあ、少し早いけど先にお昼入っちゃってねー」


 ……はい。完全なる内弁慶ですごめんなさい。


 立ち去る佐藤さんの背中を見届けて、私はもらったタブレットを見た。ピンクグレープフルーツ味。試しに開けて食べてみたら、少し崩れたピンクの塊は想像通り甘酸っぱい。




 そして早いお昼ご飯を食べるために、いつもの近所の緑道へ。

 当然受付の前を通らなきゃならないのだけど、そこでも優しい受付嬢件昨日のスプリンクラー事件第一発見者の津田さんが「御手洗さんもうお昼なの? 体調悪い?」と声をかけてくださる。


 ここで「お家で一人で呑む一升瓶は美味しいですか?」くらい返してやりたいところだけど、そこは内弁慶の悲しいサガ。そんな上手いことは言えません。


 だんまりで通り過ぎ、緑道の自販機でお茶だけ買って、近くのベンチでかばんを開いた。アルミホイルに巻かれた三角のものをゆっくり開けば、シンプルな大きいおにぎりの姿。

 食べても食べても、具は出てこない。

 だけどほんのり効いた塩味が、たまらなく美味しかった。

 これを食べたら、またタブレットを食べよう。やったね、今日はデザート付きだ。


 あーあ。今日も空が綺麗だなー。


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