4話「こうして副業が始まった」
「お姉さーん、ほら。もうしまいましたから出てきてくださーい。せっかく作ったお粥も冷めちゃいますよー」
ガクブルガクブル。
四つん這いで枕を抱えて震える私に、死神くんがずっと優しい言葉をかけてくる。
「大丈夫ですよ。眼球くんもジロジロ見て申し訳なかったって反省してますから。お姉さんが可愛くてつい見惚れてしまったようです。だけど小胸だったことに気が付いてもう眼中にないと言っているので、お姉さんも許してあげてくれませんか?」
「小さい胸には夢と希望が詰まっているんだコンチクショー!」
猛抗議するため、思わず布団から出てしまうお馬鹿な私。そして嬉しそうに微笑むイケメンスマイルにときめきトゥナイトなお茶目な私。
なんやかんや、お外は暗い。実家から持ってきたデデニーな掛け時計を見れば、もう夜の七時を回ろうとしていた。お腹がぐーっと抗議しても不可抗力だ。
だけど死神くんは決して笑うことなく、朗らかに言う。
「ご飯にしましょうか」
立ち上がり、そそくさ準備してきてくれるのは有り難いに尽きるんだけど……あの、格安ちゃぶ台の上に、眼球くんが鎮座しているのですが。チラチラこっちを見ては、頭を下げるように黒目がちょこんと下げられているのですが。そんなプルプル震えないでよ! なんだかこっちが悪いことしているみたいじゃないか!
しかも隣に置かれた赤く四角い機械……ラジカセっていうのかな。そこからエンドレスに流れる緑の中をまっすぐ進むポルシェな歌声。
そして「どうぞ」と置かれたお茶碗の中には、黒い粥。焦げたわけではないらしく、よく目を凝らせば赤い液体が掛けられているようだ。
え、何この地獄絵図。無駄に芳醇な香りがするからこれまたミステリー。死体になるのは私か? むしろすでに死体(?)な眼球くんか?
「あの……もやしと卵はどこに?」
「あーよくよく考えたら病人にもやしは消化悪いから、また明日使うことにしました。卵は入っているので、栄養は満点ですよ」
イケメンの笑顔はずるい。こんな物騒な代物でも「さぁ、召し上がれ」と言われてしまえば、自然とスプーンを動かしてしまうじゃないか!
あぁ、こうなちゃ自棄よ。どうせ死ぬなら、イケメンの催眠にかけられて死ぬ! てかそれご褒美! そうだ本望いざ逝かん!
女は度胸とパクっと一口。口の中で爆発する旨味。旨味。旨味。だけどくどくなく、優しい味わい。だからスプーンの持つ手はドント・ストップ。
「美味しいですか?」
ちゃぶ台に頬杖つくイケメンをおかずに、私は完食してから答えた。
「うっまいですっ!」
「おかわりします?」
「ぜひ」
反射的にお願いして、私は陽気に二杯目を頬張ろうとした時――視線に入った。
あ、黒いマントと鎌が玄関の脇に置かれてる。わざわざ部屋の中じゃなくて玄関の置くなんて気を使ってくれてるんだなぁ、そんな掃除も週一回するかしないかの家だから気にしないでいいのに……と、そうじゃない。
このイケメン、死神だった。死神の与えてくる食べ物って……。
「ヨモツヘグリ……」
「おや。ずいぶん博識ですね」
死神の口角がニヤリと上がって――
いいいいやあああああああああいあいあ。食べちゃった! 食べちゃったよ、私。ヨモツヘグリって口に入れたら最期、二度と現世に戻れないっていうアレだよね。代表の果実はザクロ。え、この赤いのザクロだったのかな。そしてこの私の部屋も神様パワーで作った神隠し的な場所だったり?
てかなんで気が付かなかったの、私。米なんてなかったじゃん。なかったから激安インスタントラーメンで食いつないでたのに。ばか。私のばか……イケメンなんかに目が眩むから。
あぁ、死んだ。私死んじゃったぁ!
まぁ、死のうとしてたんだからイケメンの作った美味しいもの食べて死ねたなら問題ないのかもしれないけど、あ、そうか。死んだのか。え、本当に?
「私死んだの? まじ?」
「ははは。まさか。死人と動画実況しても面白みに欠けるでしょう? そんな勿体ないことしませんよ」
「……私生きてる?」
「生きてますよ。これもヨモツヘグリなんかじゃありません。お粥の材料は台所の奥の方に眠っていた缶詰とかです。お米もちゃんとありましたよ? 掃除まともにしてないでしょう?」
「本当? プレイバックできる?」
プレイバックってなんやねん――て我ながらツッコミたくなるけどしょうがないじゃん。もうこの曲何周聞かされていると思っているのよ。せめて他の曲にして。
だけど、そんなトンチなこと言う私に対して、死神くんは真摯に答えるのだ。
「何度だって言えますよ。あなたは生きています。僕が責任もって、あなたを生かします……どうしました? 心細くなっちゃいました?」
そして死神くんは私の隣に来て、抱きしめてくれる。頭を撫でてくれる。決して温かくはない。死神だから、なのかな。それでも、その包容感は他の何にも代えがたい。
「大丈夫です。あなたは生きています。明日も、明後日も。あなたの命は、僕が繋ぎますよ」
こんな子供扱いされたのは、いつぶりだろう。それが嬉しくて、死神くんの胸に頭を押し付けようとして……我に帰る。
「……動画のために?」
「はいっ!」
「いやそこで良い返事しないでよ! てか、証拠は⁉ 私、動画協力許可した覚えない!」
「しょうがないなぁ。眼球く~ん」
死神くんが呼びかけると、眼球くんの目から光が照射される。空中に映し出されるのは、とある屋上の光景。え、なにこの高性能プロジェクター。ハイビジョン映画観ているようなのですが。
そして、映像の中の私と死神くんの会話は、
『実況するのは、生者の人生です。死神パワーで隠し撮りです。それに好き勝手ツッコミを入れてます。もしご協力いただけたら、対象はあなたに選ばせてあげますよ。嫌いな人のあんな姿とか、気になる人のこんな姿とか、盗み見てみたいと思いませんか?』
『わかった……わかったから』
この場の死神くんが人差し指を立てる。
「死神とはいえ、これでも『神』と名のつくものです。神様との約束を違えるなんてこと、しませんよね?」
「……仮に違えたとするならば」
「さぁ、どうなるんでしょうねぇ?」
え、やだやだ怖いよそのにっかり感。イケメンだからこそ胡散臭さ満載感。やだよ~その笑顔だけであとで裏切られるフラグ立っていると思うのですが⁉
「というわけでして、最初のターゲットはどうしましょう?」
「……その嫌いな人のあんな姿やこんな姿ってやつ?」
「そうです。弱味握ってやりたいなぁって人はいませんか?」
ふと思い浮かんだのは、一見ゆるふわなあいつだ。受付秘書として正社員している同い年の女。小学生と時は同級生を、そして今はしがない派遣社員をいじめて悦に浸っているだろう女。
にこにこと私の言葉を待つ死神くんは、役目を果たした眼球くんを指先で撫でている。気持ちよさそうに黒目を細めちゃってさぁ……。まったく、こっちの気も知らないで。
なんでちょっと自殺しようとしただけなのに、死神と動画作る羽目になったんだか。てか、あんたの死のうとしてたんじゃないの? なんか意気揚々としているように見えてしょうがないんだけど。
まぁ……それでも、私だって人間だもの。恨みたい相手の一人や二人はいるわけで。
私は、その相手の名前を口にした。
「……津田真愛」
――こうして、私の副業『ノーチューバー』生活が始まったのだ。