1話「アマチュア自殺志願者」
私の地元は自殺の名所だ。
東京外れの団地街。低くても十一階。高いと十七階まである高層団地から飛び降りた人は数知れず。あまりに自殺者が多いので、私が子供の頃に屋上は封鎖された。が、根性ある自殺志願者は、高層階のお宅にピンポン。開けてもらった瞬間にベランダまで猛ダッシュ。そしてそのままアイ・キャン・フライ。そのはた迷惑さと執念は、一周回って称賛ものだ。
だって、今の私にそんな根性はない。せいぜい長年の土地勘的なもので知っていた立て付けの悪い屋上扉を無理やり開けて、まぁ死ねそうだったら死んでみようかなぁレベルのアマチュア自殺志願者だもの。
仕事を早退した真っ昼間。ボブで切りそろえた髪が風になびく。屋上は寒いね。ずぶ濡れのスーツを着たまま、コートもない私には風が冷たすぎるよ。
空はこんなにも青々としているのに、見える風景は地味すぎる。綺麗な山々が見えるわけでもないし、観光スポットなるビルやタワーが見えるわけでもない。どうせ見下ろしても、葉っぱすらない桜通りをのんびり歩く派手なお婆ちゃんや、一体何しているのかわからないけどずっと座っている地味なお爺ちゃんが見えるだけ。保育園児の賑やかな声が聞こえるのはいいね。若者に幸あれ。私も世間一般じゃ、まだ若者の部類に入るんだろうけど。
そんな冬のある日、二十四歳派遣社員女性が死のうとしています。
名前は御手洗花子。自殺動機は、社会人になっても『トイレの花子さん』と虐められたため。
いやぁ、まさか社会人になって、小学校の頃のいじめっ子と同じ職場になるとは思わなかったよね。しかも相手は正社員でさ。またトイレで水を掛けられるとは思わなかったわ。まぁ、水道ホースじゃなくてスプリンクラーで、トイレで煙草を吸っていたとして規律違反を押し付けられたのはびっくり。相手も成長したなぁと、なぜかしんみり。
担当上司から今日のところは帰れって言われたけど、間違いなく契約切られるよね。あと数時間したら派遣元から「どういうことですか?」と怖い電話が掛かってくるに違いない。うろたえすぎて、思わずコート忘れてきちゃったよ。ここが職場と一駅の距離で良かった。さすがに濡れたままじゃ電車乗れないもん。タオルで拭け? はっ、そんな大きいの持ち合わせているわけがないし、貸してくれる友達がいると思って?
私が何をしたっていうんだろう?
しょうがないじゃん。私が小さい頃に死んだお父さんが「花子」て名付けてしまったんだから。
しょうがないじゃん。小学生の時に母親が再婚した相手の名字が御手洗さんだったんだから。
知ったこっちゃないよね。あんたの狙っていた男が「あの派遣さん好みかも」と言ったなんて。こんな小粒な目でどうやって色目を使えと。てかその男、婚約者がいるって話じゃなかった? そんなにヤリ捨て候補の女が羨ましいの? さっぱり意味わからん。
だけど、死ぬには十分の理由ではなかろうか。
奨学金がたんまり残っているのに、派遣はクビになりそうだし。狭い実家に帰ろうにも、血が半分繋がっている妹が受験生だし。弱音を吐ける友達なんていないし。彼氏なんていたことないし。イベガチャは上限まで回したのに推しはすり抜けたし。
私、頑張ったよ。よく頑張った。こんな名前でよく頑張ったよ。だからもうラクになっていいよね? そうだよね――それなのにどうしてフェンスの向こうで今にも飛び降りそうになっている先客がいるんだあああああああああああああ⁉
「ちょっ、待って! こんな所で何しているの? 扉閉まってたよねぇ⁉ 勘弁してよ何で自分が死のうとする前に人の死ぬとこ見なきゃなんないの寝覚め悪い……寝覚め? 死に覚め? なんだか知らないけどとにかく止めてくださーい‼」
「あー今から死ぬ予定の方ですか? お騒がせしてすみません。僕もちょっと死ぬだけなんで。あと少しだけ待っていてもらえますか? ほんとにちょっと。ちょっとだけなんで」
ホテルで信用してはいけない男ナンバーワンみたいな台詞を吐く白シャツ男は、正直すごくイケメンだった。目鼻立ちパッチリ。肌も白くて、猫っ毛の髪も色素が薄くて儚げ。えーと、外国人かな? まだ若そうだけど、モデルさんかな? てかこないだお迎えできなかった『ミハエル様』にそっくりだけど……とにかく、こんなカッコいい男の子がなんで死にそうになっているかな⁉
「いや、きみ相当カッコいいから! モテモテでしょ? リア充でしょ? それなのにどうして死のうとしているのよ。勝ち組じゃん。人生薔薇色じゃん。生きているだけで丸儲けじゃん?」
「いやあ、いくら見た目が良くても仕事できないと立つ瀬ないものなんですよ。最近動画再生回数伸びなくて……このままじゃクビ……だったらいっそ僕なんて死んだ方が……」
「いやいやいや、仕事なんて一日の半分じゃないですか! そもそも本来は一日の三分の一のはずだけど! でも残りの半分が楽しければフィフティーフィフティー! 人生はプラマイゼロとも言いますし、お仕事で苦労されている分プライベートを――」
私の必死の説得に、イケメンは自嘲するように肩を竦めた。
「はっ、死神にプライベートなんて」
「そんな投げやりにならないで下さい死神だって友達と飲み明かしたり恋人とデートしても……」
そこでふと、私の頭も冷たくなる。
「すみません。今、死神とか言いませんでした?」
「あ、はい。言いました。僕、死神なんです。足も影ないでしょ?」
「あ、本当だ」
よく見ればこのイケメン、太ももから下が透けている。そしてお天気だというのに、本人の言う通り彼から伸びる影はない。
ん? んんん? これは幽霊とかそういう類の……?
冬だというのに、背中にじっとりと嫌な汗を掻く。夢か現か幻か。それともすでに私も死んでいたか……いや、私の影はくっきりあるし、少し剥げたヒールも履いている。そろそろ足も痛くなってきたなぁ。
「申し遅れました。僕、こういうものです」
それはとても屋上スレスレとは思えない丁寧な会釈だった。フェンスをすり抜けて渡された名刺を、私も震える両手で受け取る。
ごく普通の白い名刺にはこう書いてあった。
あの世娯楽提供課所属 溺死(仮)=露喰薔薇――と。
読めない名前は次ページにて。
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