第三話 「そんなんじゃない」
G.A.第三話です。冒頭に少し暴力的なシーンがありますので、苦手な方はお気をつけください。
第三話では、パピィの策略によりG.A.が!お楽しみいただければ幸いです。
第三話 「そんなんじゃない」
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明治時代の旧名家である富沢邸には三つの書庫があった。ひとつは旦那様の、ひとつは奥様の、そしてもうひとつはお嬢様の。病弱なお嬢様は学問に長けていて、当時の名家の令嬢にしてはめずらしく年頃を過ぎても結婚はせず、毎日東京女子高等師範学校(東京女高師、現お茶の水女子大学)に通っては難しい本と顔を突き合わせているような変わり者、とのもっぱらの噂だった。
「私、でいいのですか」
おずおずとうつむきがちのお嬢様が手を差し伸べると、外国帰りの気障なスーツに身を包んだ男はその細く白い手を取り、もちろん、と微笑んだ。お嬢様にとっては人生で一番幸せな日であったかもしれない。彼女が心配の種であったから、人を信じやすい旦那様も優しい奥様も心から喜んでいた。そう、誰もがこれが幸せであると信じて疑わなかった。
やつれた青白い顔のお嬢様が息を引き取ったあと、不幸が立て続けに起こった。度重なる怪しい事故や人材の流出で富沢家が行っていた事業は滞り、ついには不渡りを出す直前になった。落ちた信用を回復するために旦那様は娘婿に助けを求めるほかなかった。そして事実上、富沢家は乗っ取られたのだ。旦那様も奥様も本家に居場所をなくし、最後にはきれいに追い出された。
許さない。
使用人であった私に旦那様がどんなにあきらめた表情でやり直せるよ、とつぶやいても、奥様がもういいの、と寂しく微笑んでも、私の怒りの炎が収まることはなかった。お嬢様の治療に関するあの男の裏切りの決定的証拠をつかんだとき、激しい憎悪が私の魂を飲み込んだ。
あの男を許さない。
書庫に残っている大切な本たち。そのお嬢様の本を処分しようとしている奢った背中に、私はナイフを突き立てた。男の気障なスーツが裂け、膝が硬い床を打つ音がした。男の返り血は生ぬるく、私の復讐の前に蒸発して消えてしまえと思った。それほど体の内部が熱く、熱く燃えて、目の前がただ真っ赤に染まった。
男の命を奪ってもなお、私は彼の禊を見届けるためだけに存在し続けている――――。
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真子が最近、学校から帰るとウキウキしすぎている―――そんな相談を大輔から持ちかけられ、GAは返答に困っていた。
「そうですね、楽しそうですよね」
「そうなんだけど、なんつーか、ウキウキのし方が女っぽいんだよ」
「はぁ」
「なんか知ってるだろ、GA?」
確かに知っている。先日、上空から楽しそうに会話する真子と山崎を観察(あくまで観察です、とGAは言う)したばかりだ。ただバロンに釘を刺されたため、さっさと駆逐できていないだけで、ほおっておけば壊れることはGAにはわかっている。
「ええ、まぁ」
「なにぃっ、それで何もしてないのかよ!同じ学校のやつか」
「ええ、まぁ。私が手を下すほどのことでもないかと」
「壊れんのか」
「ええ、そのうち」
「じゃ、ソレまではどーすんだよ?」
「それは・・・・・・」
GA は先日の真子の下手な芝居を思い出していた。運命の相手にめぐり合うまで純粋培養でいる必要があるわけではないのだが、真子がかわいくてしょうがないのと、なぜか大輔に弱いGAはついさっさと害虫駆除をいつもしてしまうのだ。が、そこに年頃の真子が異議を唱える理由はわからなくもない。その上、バロンが邪魔するので駆逐できてません、などという告白はGAのプライドが許すはずがなかった。GAが言葉を選んでいる間に、もうずいぶん芳醇な日本酒の香りを漂わせている大輔がもう一杯冷酒をあおった。
「俺はやだよ。俺のプリンセスがそこらの男と乳繰り合ったりすんのは絶対許せん!ちっくしょーこうなったら学校に乗り込んで・・・・あ」
大輔がニヤリと不敵な笑みを漏らした。
「いーこと考えた」
「朝礼を始めます。礼っ」
ざわついていた講堂が落ち着き、集まった生徒たちが腰を下ろすと、真子は隣の席を見た。山崎が真子の大好きなはにかんだ微笑を返す。
(ああ、なんか神様ありがとう)
クラス委員は自分のクラスの最前列に並んで座ることになっている。山崎が足を開いて座っているため、真子の右ひざ横に軽く山崎の左ひざ横が触れている。真子はそれが気になって気になって、まさに朝礼どころではなかった。遠くに進行役の先生の声がこだまして、真子の心はただふわふわとその振動に漂っている。
「・・・というわけで、臨時英語教員のアシュリー・グラント先生です」
ざわっと生徒たちが一瞬どよめいた。急な振動の変化に真子も我に帰り、ひざからステージに目を移した。ステージ中央に立っているのは、長い銀髪を煌めかせた背の高い青年。
「Hello, I am Mr. Grant, I am very honored to be able to teach at Akemi Gakuen (グラントです。明海学園で教鞭を取れることを光栄に思います)」
「げっ、GA!?!?」
間違いない。眼鏡をかけてはいるものの、ステージで自己紹介した臨時教員はGAである。
「銀髪だぜ、すっげー」
「ヤバイ、超かっこい〜!」
生徒たちのざわめきが真子を飲み込んだ。あんぐりと口を開けたままステージを見上げ、思わず立ち上がった真子に、
「Hi Mako」
とGAが笑顔で手を振って見せると、どよっと生徒たちのざわめきはいっそう大きくなった。
「あ、綾瀬の、知り合い?」
隣の山崎が驚いた顔で真子を見た。あ、あははは、と真子は弱弱しく笑って見せた。
「お嬢様」
ほとんどの生徒たちが教室に戻ったころ、真子はまんまとGAに廊下で捕まった。いつもと違う教師コスで麗しく微笑むGAはやはり人間とは思えない輝きを放っている。早い話が周りがほおっておかないほど目立っているのだ。ただ、生徒たちは真子とGAに遠慮して、通りすがりには好奇心にあふれた視線を投げかけるだけにとどまっているようだった。二人の会話は、ほか生徒には英語の会話として聞こえている。
「グラント先生、っていったいなに!?これどういうこと!」
「お嬢様が心配で。旦那様に仰せつかりました」
「やっぱりパピィ・・・・・・で、なんで心配なの?」
「最近お嬢様が妙に『女』だと旦那様がおっしゃいまして」
真子の顔がかぁっと赤くなった。あぁんのクソパピィ!!!と、真子は心の中で叫んだ。
「旦那様のご心配はごもっともだ、と私も思います。最近、お嬢様はまた綺麗になられました」
真子の顔がもう一段階赤くなった。すうっと人差し指の背で真子の頬を撫で、GAは表情も変えずにじいっと涼しい瞳で真子を見つめている。
「こんなハイエナの群れの中にお嬢様のような子羊を野放しにしておくような真似は到底私には」
「ハイエナの群れっていったいどんな学校よっ」
仮にもある程度有名な進学校である。ついでに制服がかわいいのでも有名だ。真子はパフスリーブの腕を組んだ。
「とにかく!ある程度距離を持って接すること!わかったわね、グラント先生!」
「わかりました、お嬢様」
にこっと笑ってGAが今度は真子の頭を撫でようとしたのだが、真子はそれを間一髪でかわした。
「だから、そーいうの学校ではだめっ!人目を気にして!」
「そうですか」
GAは本当に残念そうに、行き場を失った自分の右手で自分の髪を梳いた。するとベルが鳴り、真子は約束だからね!と急いでその場を退散した。真子が気がつかなかったのは、その一部始終を結構な数の観客が見ていた、ということだった。そして、その中には山崎もいた。
教室に戻っても、そのざわめきは収まることがなかった。耳ざとい女子生徒たちが噂を聞きつけ、それを広める。それを聞いたほかの女子生徒が真子に真相を確かめに来た。
「ねぇねぇ、あの先生、綾瀬さんのお父さんのお友達なんだってー?」
「あ、うん、まっまあね」
「えーやっぱすごいよねー、あんなカッコいい人ー」
「え、小さいころから知ってるから、カッコいいとかは・・・」
「もーさ、漫画みたいだよねー。綾瀬さんもグラント先生も絵になって」
・・・・・・まただ。真子の胸の奥がチリ、と痛んだ。
「そんな・・・ことないって」
「えーそうだよー!お父さんだって渋いし。私は見たことないけど、お母さんもすっごい美人なんでしょ?外人で」
「え・・・日本人だよ、ハーフだけど」
「ほらーハーフじゃん。なんか超違う世界って感じ。それに比べるとウチの母親とか泣きたくなる」
真子は彼女の母を見たことがあった。家庭的で、優しそうで、いつも家にいてくれているはずなのに。
「そんな、お母さん、すごく優しそうだよ?」
「えーウチの?ウチの母親なんか超平均だって。オヤジはハゲだし」
「そんなことないよー!いいじゃんそういうの!」
真子が無理にはしゃいで自らどつぼにはまろうとしたとき、救世主が現れた。
「真ー子ちゃーん、数学の教科書忘れたから貸ーしてー?」
「めぐみん・・・」
めぐみんの何も考えていない笑顔に真子は本当にほっとしたから、少し、表情が緩んでしまったかもしれない。
「うん、いいよ。ちょっと待って」
「・・・あ、その前にジュース買いにいこっ」
真子の顔がよっぽど情けなかったのか、めぐみんは真子の手を引っ張って教室の外に連れていった。山崎がその背中を見送って、さっきまで真子と話していた女生徒は何事もなかったかのように次の話題を探しにいった。
「真子ちゃん、大丈夫?泣きそう?」
自動販売機の前でめぐみんがボトルのお茶を真子に手渡した。
「何か、意地悪されたの?」
「ありがと。ううん、そうじゃないんだ」
真子は近くの階段に腰を下ろした。自分のジュースを手にめぐみんも真子の隣に腰を下ろした。ほんの少しの沈黙の後、真子は口を開いた。
「・・・・・・時々さ、私も普通だったらいいのに、って思うんだ」
小さいころからいつもいつも目立ってきた。肌の色が違うから。目の色が違うから。年頃がくると男の子たちが騒ぎ出した。両親が離婚したのはその頃だ。両親は優しいけれど、母は仕事でいつも家にいないし、父は店に命を捧げていて、夜は家にいない。真子に与えられた時間は圧倒的に少なかった。学校の友達と仲良くなっても、ある意味特殊な真子の家のことがわかるたびに、友達は驚嘆の声を漏らす。
『なんか超違う世界って感じ』
いつもそうやって、蚊帳の外に追いやられてしまう。誰にも本当の自分が見えていない気がして、消えてしまいそうだった。こんなに弱くて、情けなくて、どこにでもいるような、至って凡庸な自分。GAが現れたのはその頃だ。どんな自分でもちゃんと見守ってくれている存在を得たことで、真子はやっと寂しくなくなった。
「なに言ってんの。真子ちゃん至って普通じゃん」
そしてこの屈託のない友人のおかげでいつも救われる。あの時、いつものめぐみんがあの場に来てくれたことでどんなに救われただろう。めぐみんもこんなに女の子みたいな見た目のせいでいろいろ苦労はしているのだろうが、そんなこと微塵も感じさせない。「オレはオレ」のシンプルなロジックを体現している彼を真子が密かに尊敬していることをめぐみんは知っているだろうか。真子はめぐみんに笑顔を返した。
「だよねー。みんなも、ちょっとGAの見た目に慣れてないだけだよね」
「アレどういうこと?!オレも超びっくりだよ!大輔さん、なに考えてるんだろ?」
「・・・・・・パピィはパピィだからね」
パピィ、という呼び名ひとつとっても、小さい頃は肩身が狭かったことを真子は思い出した。パピィは大好きだけど、なんだかあの人のせいで苦労が倍になっている気がする。
(それにしても、なんでGAが具現化までして学校に?)
山崎君のことがばれていないと思っている真子は首をかしげた。その横でめぐみんはジュースを飲み干すと、リサイクル箱にきれいにシュートした。
「たぶん何か心配なんだろうねー。いいじゃん、おおっぴらにGAさんと話せるし!」
「でも、アタシのあとついて回られたらいやだなぁ・・・・・・」
「そしたらオレがこの世界が嫉妬する髪で妨害するから大丈夫☆」
めぐみんがつやつやの茶色い髪をふぁさぁっとCMみたいにかきあげた。それがまるで女の子アイドルのCMみたいで真子は思わず吹き出した。
「その手があったか」
「GAさんイチコロ!」
真子は心からめぐみんがいてくれてよかった、と思った。クラスが違うのがとても残念だった。めぐみんもようやく真子がいつもの笑顔で笑ったことがすごく嬉しかった。
「なにやってんのアンタ。いまさら人間の真似事?」
昼間だというのに相変わらずベルベットのスーツに身を包んだバロンがGAを職員室の上空から睨み付けた。
「プライドとかないの?」
「・・・・昼間に出るな。目の毒だ」
GAはバロンのほうを見ようともしない。その間にも職員室の女性教師からお茶をもらい、Thank youなどと愛想を振りまいている。
「グラント先生、日本語お上手なんですね」
「ええ、大輔、よく教えてくれます」
ご丁寧につたない日本語を極上の微笑と共に女性教師に返すGAにバロンはイライラしながら食い下がった。
「ナニよ、興味のない女にばっかり優しくしちゃって」
「お茶、おいしいです、ありがとう」
GAはバロンを完璧に無視するつもりらしい。
「死んで生き返ってもそういうとこは変わらないのね。真子ちゃんはいいの?」
・・・・・・まるっきり無視。GAは女性教師とたわいもない談笑をつづけている。
「もういい、アタシ真子ちゃんとお話ししに行こうっと。アナタの過去の・・・」
「あ、先生、Excuse me」
GAが女性教師に近づいて彼女の視界を覆うようにかがむと、バロンの頬数ミリ先を細い針のようなものが数本すり抜け、ドスドスドス、と天井に刺さって消えた。
「ひいいいっ」
『余計なことをしたら、殺す』
バロンにだけ聞こえる声がバロンを脅迫したあとすぐ、下からはたどたどしい日本語が聴こえた。
「ごめんなさい、糸くずあると思いました」
「あ・・・・全然、大丈夫です・・・・」
「もうクラスです、失礼」
GAが去ったあと、至近距離で見つめられた女性教師の腕が彼女の膝の上からポロリと落ちた。
同じようにバロンもGAの背中を蒼白した顔で見送った。
「天使のくせになんて極悪非道な・・・ああったまらないっ」
GA の赴任後初、グラント先生として真子のクラスの授業が行われた。クラスでは真子とグラント先生を好奇の目が見つめていたが、真子の心配は杞憂に終わった。 GAは完璧に教師役を勤め上げ、真子を特別扱いをすることもなく静かにクラスが終わり、GAは目を輝かせた女生徒達に囲まれて職員室に帰っていった。
クラス委員の真子は黒板を消すために前に出た。いつものように山崎が来ることを期待して軽く振り向くと、山崎はほかの生徒と話しこんだままだった。
(ま、いいか)
真子はそのまま黒板を消すと、自分の席に戻った。戻る途中で話を続けたままの山崎と目が合ったのだが、すいっと視線をそらされてしまった。ちくっと胸が痛んで、慌ててそれをかき消すように山崎に背を向けて席に着いた。
(たぶん、気のせい)
しかし、それは気のせいではなかった。山崎は明らかに真子を避けていた。