第二話 「じゃましないで」
第二話「じゃましないで」
「ふ〜ざっれいで〜、ふーざっれいで♪」
空っぽの店内に鼻歌に合わせてきゅっきゅっとガラスを磨く音がこだまする。窓から光が差し込む時間のサムライシャフトは大輔がBGMにかけているアイズレー・ブラザーズを除けばえらく静かだ。綺麗になったハイボールグラスを並べると、次に徳利を手に取った。常連客でにぎわっているのもいいが、愛するこの場所を全く独り占めしている時間も悪くない。大輔は上機嫌でまだ誰もいない店内に目を走らせた。
ソウルミュージックにどっぷりと浸かったのは留学していた大学時代だった。寮のルームメイトが流していたマーヴィン・ゲイと衝撃の出会いをして以来、大輔の人生はソウルと同義語になった。留学後、証券会社で一儲けしたのを元手にさっさと脱サラ、マスターの座に収まった。早々に夢を手に入れた大輔が次に探したのは、それを分かち合える誰か。そんな時、店の奥の小さなステージに女神が舞い降りたのだ。
「ちわっす、大輔さーん」
不意にカランカラン、とドアの古ぼけたベルが鳴り、大輔は我に返った。
「ああ、いらっしゃい」
それは女神と自分の遺伝子を受け継ぐ最愛の娘と相変わらず満面の笑みを浮かべためぐみんだった。
「ハイ、パピィ」
真子は大輔の頬にただいまのキスをした。母のジャズミンが出張でいないとき、学校帰りにサムライシャフトに立ち寄り、くだらない話やそうでもない話を大輔として、お客が集まり始める前に家へ帰っていくのが習慣になっている。最近はそれにめぐみんが加わって少しにぎやかになった。いつものようにめぐみんがカウンターに腰掛けながら嬉しそうに大輔に話しかける。
「また調子のイイ曲かけてますねぇ!」
「わかるかい、めぐみん」
「もっちろんっすよ!オレも渋いオヤジになったらこーいうの聴きたいっす」
カワイイ顔で相変わらずニコニコしているめぐみんを見て、このままだとカワイイおばさんになりそうだなー、と大輔は思ったが、あえて口にはしなかった。
「GAは?」
「いるわよ」
真子が振り返るとカウンターにふわっとGAが現れた。美しく微笑むとプラチナの髪が緩やかに肩に着地する。
「旦那様」
「おう、GA。今日も悪い虫は付かなかっただろうな?」
「全く。今日もお嬢様は清らかなままです」
「・・・・・・そういう言い方、やめてもらえない?!」
握りこぶしをわなわなと振るわせる真子に気付かないフリをして、大輔はいつものようにてきぱきと今晩の店の用意をし始めた。
「そういえばめぐみんは、いつになったらアンクルDと呼んでくれるのかなー?」
「ええー、またそれっすか」
「そうだよ」
「勘弁してくださいよー、恥ずかしいですよー」
めぐみんは半分困ったような半分嬉しそうな顔で頭をガシガシと掻いた。GAはただにこやかに人間のオス二名を見守っている。
「旦那様のアンクルD願望はなかなか成就しないですね」
「なー、そろそろ誰か呼んでくれてもいいのに」
不服そうながらも大輔はめぐみんにソフトドリンクを用意し始めた。めぐみんは少し唇を尖らせた。
「だって大輔さんの呼び名がいっぱいになっちゃうじゃないですか。パピィ、マスター、旦那様・・・・・」
「男はたくさんの顔を持つもんだ。でもね」
大輔はめぐみんの前にとん、とグァバジュースを置いた。
「芯は一本だ」
にやっと大輔が笑うと、めぐみんが感極まってカウンターをダン、と叩いた。
「そーれがサムライシャフトってやつですね!」
「まーそうかな」
「勉強になりまっす」
おだてられ好きの大輔はめぐみんをとても気に入っていた。めぐみんがご褒美代わりのグァバジュースをおいしそうにストローから飲み始めると、隣に座るGAがいつものようにめぐみんの髪を撫で始めた。
「にゃー」
「よしよし」
人ならざる美貌のGAには弱点があった。普段はとても礼儀正しいGAなのだが、髪の毛、というものに目がない。自分の髪、真子の髪はもちろん、最近ではめぐみんの髪も積極的に撫でるようになってきていた。するとめぐみんはいつも調子にのって鳴き声を出す。見とれるように美しいGAが優雅な長い指でめぐみんの素直な栗色の髪を弄ぶと言うのはなんとも色っぽい光景で真子も最初は当惑したのだが、最近では慣れてきていた。グルグルとめぐみんの喉が鳴ったかと思われたとき、GAは携帯に見入る真子に気が付いた。
「お嬢様、どうなさいました?」
ギク、と真子の肩がはねた。
「驚かせてしまいましたか。申し訳ありません」
「う、ううん、いいの。あー、あの、クラス委員のミィーティングだって」
「ほう?」
「今日7時からだって・・・宿題あるのに、困っちゃうよねー」
「真子ちゃんいっそがしいねー」
GAの手の下からめぐみんが言った。真子はえへへへへと笑って、話題を変えた。
午後7時、制服から普段着に着替えた真子はまさにドアを出るところだった。
「お嬢様、本当に一緒に行かなくてもよろしいんですか?」
「うん、ただのミィーティングだもん。すぐ帰るしブレスレットしてるから大丈夫!」
「そうですか」
いまひとつ不服そうなGAを残し、真子はドアを飛び出した。もう時間に遅れている。うだうだと何を着るか選べなかったため遅くなってしまった。
(いそがなきゃ!待ってるかなぁ)
真子は背の高い彼があのはにかんだ笑顔を浮かべて待っているところを想像してくふふふふふ、と思わず顔をほころばせていた。向かうファミレスで待ち合わせをしているのは、クラス委員の山崎信一郎。確かにクラス委員の用で会いに行くのだが、真子がウキウキしてしまうのには理由があった。山崎とは、真子がもう一人のクラス委員転校による繰り上げ当選した時からよく話すようになった。細い銀縁メガネの奥の利発そうな瞳と冷静な薄い唇。前は近寄りがたい存在だと思っていた山崎は実は頭がよくて優しくて、笑うと少し恥ずかしそうで。
『僕の塾のあとで遅い時間になっちゃってごめんね。でも楽しみにしてる』
先ほど届いたメールの文面を思い出してまたいっそうニヤニヤする。クラス委員会議の大儀名分を振りかざし、まんまとGAを家において外出できたものの、ブレスレットをしているため無茶はできない。ブレスレットはいわば真子とGAを結ぶ印。
(平常心、平常心)
ブレスレットは発信機に近いもので、真子の居場所をGAに知らせているのと同時に呼び寄せるための目印でもある。もし真子がGAを呼びたい場合、ブレスレットに手を当てて念じるだけでいいという非常に便利な代物なのだが、真子が念じなくともGAはいいタイミングで現れるのだ。真子はブレスレットの何に反応してGAが現れるのかまだしっかり把握していない。なのでとりあえず落ち着く事に決めて、待ち合わせのファミレスに着くと前で立ち止まり、自動ドアの反射で髪と息を整えてから足を踏み入れた。
その時、上空、というかいわゆる異空間から真子を見守っていたGAは軽くため息をついた。
「なるほどねぇ」
驚異的視力でファミレスの中を見るとまさに真子が背の高い神経質そうな少年のテーブルに着いたところだった。
「あんなにいそいそと衣装選びをしていれば怪しさ全開ですよ、お嬢様」
初々しく微笑みあう若い二人を見下ろしながらGAは頬杖をついた。
「全くずるがしこくなったというか、相変わらずかわいらしいというか・・・」
「そしてアナタは相変わらずのストーカーぶりだわ〜、おお怖い」
GAがキッと声のするほうを振り向くと、黒いマントを翻しながら鈍く月光を反射するベルベットのスーツに身を包んだ眼鏡の男が浮遊していた。
「バロン・・・なぜお前がココに・・・・・・」
バロン、と呼ばれた男の名前はG.B.(ガーディアン・バロン)。GAは否定するかもしれないが、GAの同類で、人間の魂を元に製造されたプロトタイプ第二号である。
「おーっほっほ、お久しぶりね!ストーカー行為だけじゃなく、人相も悪くなったんじゃなくて?!」
GAはうっとおしそうにバロンを睨みつけた。
「お前も悪趣味は変わっていないようだな。そんなスーツ、どこで買えるんだ?」
「うるさいわねっ!ほっときなさいよっ!」
バロンが黒いレースの指なし手袋に包まれた拳を振り回すと、黒いフリルのブラウスが袖から覗いた。
実は出会った当時、バロンはGAを大変慕っていた、というかぶっちゃけ惚れていた。見目麗しく万能な同類に夢中になるのは難しくなかった。ほんの少し冷たいところもたまらなくて勝手に心の中で運命の相手と決め付けていたのに、ある日、GAは忽然とバロンの前から姿を消したのだ。真子という人間の為に。
「まだ真子ちゃんを男から遠ざけてるの?無駄な事はやめなさいよ、どうせアンタとは・・・」
「何しに来た?用がないならさっさと帰れ」
冷静さを取り戻したGAが冷たく言い放つ。バロンは少しひるんで顔を引きつらせた。
「ふ、ふん、真子ちゃんだってもう大きいんだから少しは自由をあげてもいいんじゃないの?あの男の子、悪くないわよ」
「あんな神経質そうな男、彼女に合うはずがない」
「決め付けてるのはアンタの方じゃなくて?忘れたの?私達の仕事はくっつける方なのよ」
「それは・・・・・」
もう一度、GAが驚異的視力でファミレスの中を見ると、真子は嬉しそうに山崎と会話を続けていた。
「ふん・・・・・・」
「私はあの男の子推すわよ」
「余計なことはするな」
「アンタこそね」
二人の間にバチッと火花が散った。GAはバロンと睨みあったままで眉間に皺を寄せた。バロンが山崎を推す、という事はGAが彼を駆逐するために働きかけても退けられてしまうという事だ。何も言い返さないGAに気分をよくしたバロンは睨みあった視線を外さないまま、不敵な笑みを浮かべた。
「そんなに熱く見つめられると、昔を思い出しちゃうわ」
のわーっはっはっはっは、と月夜の空に笑い声を残してバロンは消えていった。バロンの気配が跡形もなく消えると、GAは舌打ちをしてファミレスのほうに向き直った。するとちょうど二人が店を出てくるところだった。驚異的聴力が二人の会話を耳に運ぶ。
「遅い時間になっちゃってごめんね」
山崎は真子が気に入っている例のはにかんだ微笑を浮かべた。
「ううん、大丈夫。山崎君もお疲れ様」
「はは・・・オレさ、綾瀬ってもっと近寄りがたいのかと思ってたよ」
「あー、アタシ、顔キツイからね」
「いや、そんな意味じゃなくて・・・」
山崎は一呼吸置くと、いっそうはにかんで目を細め、頭に手をやった。
「もっと、前から話しかけてればよかったなって」
その言葉に、真子の胸がきゅん、と痛んだのと、GAが上空で「けっ」と言ったのはほぼ同時だった。
「ほんとに送らなくていいの?」
「あ、いいの!アタシの家近いから」
(下手に家の近くまで来られてGAに見つかったら元も子もないし)
真子はえへへへ、と笑って小さく手を振った。
「また、明日ね」
「うん、明日」
山崎も手を振って自転車にまたがると、交差点の向こうへ消えていった。真子は山崎の背中が見えなくなるまで見送ると、歩き出すのももどかしく、携帯でめぐみんに発信した。
「めぐみん!どーしよおおー!」
「どーした、真子ちゃん!?お腹すいた?」
「山崎君!クラス委員の山崎君!」
「なに、山崎がお腹すいた?」
めずらしく恋のときめきに占領されている真子はめぐみんのかみ合わない返答にもお構いナシだった。
「ああああー、どーしよおおー!」
ウキウキとした足取りで家に向かって歩いていく。上気した頬に夜の風が冷たくて気持ちよかった。
GAはそんな真子を見下ろしたまま、複雑な表情のままふわっと夜空に混じっていった。