第一話 「恋したっていいじゃない!」
第一話 「恋したっていいじゃない!」
「別に、男を作らせない、なんて言ってないでしょう」
長いプラチナの髪にすいっと指を通しながらG.A.は少し困ったように微笑んだ。その上品な微笑には目もくれず、真子はG.A.の前を猛然と歩いている。
「だって、きっかけすら許さないじゃない、アンタは!」
真子は振り返ってキッとG.A.を睨むと、またフンッとスカートの裾をひらりと翻して前に歩いていく。
「お嬢様」
「お嬢様、じゃないっ!アンタが仕えてた頃もこんな嫌がらせしてたの!?」
普段、真子はG.A.のことが好きだ。ある日突然ふってきた天使は、生前、真子に仕えていたらしい。
「いえ、あの頃はお嬢様とこんなにお話させていただくことはなかったので、今のほうが幸せです」
「アンタが幸せでどーすんのよっ!」
通常、天使には前世や生前と言ったものはないのだが、私はプロトタイプですから、とG.A.は説明した。簡単に言うと、G.A.は人間の魂を元に作られた天使である。地上に降りてきたのも魂魄浄化プロジェクトとかいうものに関わりがあるらしい。それから真子の前世が明治時代のとある富豪の令嬢であった事、そしてその家に自分が仕えていた事。真子をお嬢様と呼ぶのもそのせいである。真子にしてみればそんな細かいことはどうでも良かった。ただ、G.A.が毎日そばにいて守ってくれていることが心地よかった――――ごく最近までは。
睨みつけた真子の表情にG.A.は軽くため息をつくと、真子の後ろに流れるように歩みを進め、慰めるつもりで柔らかくうねる真子の髪に手を伸ばした。
「ウザイッ!」
ぴしゃっと真子に撃沈され、G.A.は手を引っ込めた。真子の機嫌が悪いのは先ほど起きた出来事が原因である。
ジャズミンという名の混血の母を持つ真子は外見的に目立つ方だった。ミルクティ色の肌に金色がかった茶色の目、柔らかにうねる黒い髪。日本人と言うよりネコ科の動物を思わせる強気な瞳、ふっくらとした唇。本当なら出会いには苦労しないはずだった。ところが寄って来る男性という男性が次々と何かしらの不幸、もしくは事故に巻き込まれ、あるいは何かしらの原因で真子から遠ざかるを得ないことになってしまう。そしてそれにはG.A.が深く関係していた。
そしてまた、先ほどのコンビニで悲劇は起こった。先月の文化祭で会った隣町の有名男子校の生徒と偶然再会したのだ。
「有明学園の美術部の子だよね?」
「あ、そうです」
「あのデザイン、君のだよね?」
「そうです・・・」
文化祭の展示会で、彼は真子のデザインを熱心に見てくれたのだ。展示会では少しだけ言葉を交わしただけだったのだが、真子は嬉しかったので、彼の顔を覚えていた。
「オレ、あれスゴイいいと思ったんだよね」
「あ、ありがとうございます!」
結構カワイイかも、と真子の胸がときめきかけたとたん、近くにいた客が「偶然、手を滑らせて」熱々のおでんを彼にぶちまけた。あっちー!とその彼が叫んで走り去ったあと、G.A.に対して真子の怒りが爆発した。
「こんなんでどうやって彼氏を作れって言うのよ!出会えないじゃない!ぜんっぜん出会えないじゃない、背後霊のせいでぇー」
「背後霊ではありません。天使です。それにあの方には彼女がいます」
「背後霊でなければ悪魔よ!リュークよ!りんごでも食べてればいいのよ!」
「リュークさんはたしか死神・・・・・」
「真剣に答えなくていいっ!」
真子だって、G.A.が背後霊でないことは解っている。さっきの彼に彼女がいることも本当だろう。それでも、その事実を自分で発見するまでやらせてくれてもいいのに!真子は唇を噛んだ。こうもことごとく真子に興味を抱く男の子を駆逐されてばかりいては、育つものも育たない。
「天使ならもっと役に立てばいいのよ、せめて明日の天気予報とか!」
「晴れ時々曇り、降水確率は14%です。お気づきではないかもしれませんが、ものすごく立ってますよ、お嬢様のお役に」
にこっと神々しくG.A.が微笑む。G.A.が冷静であればあるほど、真子のイライラが募る。
「どこがよ!男の子を追い払ってばっかりじゃない!」
「害虫駆除、です」
コレがG.A.の決め台詞である。真子も今まで何度となく聞いてきた。この言葉を聞くと、真子の父、大輔が決まって拍手をし、あおるように、そうだ!男なんかロクなヤツいねーよ、と言うと、ジャズミンが、オマエモナ!、と言い返す、というお約束が出来つつあった。
「なんの利益ももたらさない男など、害虫と同じでしょう。お嬢様が時間を割く価値すらありません」
「利益?!」
真子がぴたっと立ち止まった。
「利益ってなによ・・・・・・こんなんじゃアタシはどうやって恋愛するの?価値のあるたった一人を見つけ出すまで、何も知らないままでいろと言うの?もう十七なのに!デートすらしたことないのよ!」
「・・・はぁ、そうですねぇ」
芝居がかった真子の訴えに、G.A.は困ったような、それでいて面白がっているような表情で腕を組んだ。
「アタシ、このまま年取っちゃうの?恋は痛いんだってパパがよく言うわ。たぶんパパの好きな曲の受け売りだと思うけど」
大輔は好きが高じて日本酒を出すソウルバーを経営している。その名も「サムライシャフト」。なんだか若い女の子に説明するのは恥ずかしい意味だ、と外国人の常連さんが言っていた。パパは真子に「要するに侍に一本通った筋の事だ」と説明してくれた。恋は痛い、でも愛は優しい、といって日本酒を傾ける父を真子はいつも古臭いと思っていたくせに、今日はその古臭い言い分を使ってG.A.に訴えている。
真子はG.A.の方に振り返って懇願するような目で詰め寄った。
「胸が痛むような恋を経験しないで、どうやって運命なんか見つけられるの?ねぇ、G.A.!」
真子は一歩踏み込んで少し目を細めてG.A.を覗きこんだ。
「アタシ、アナタにこの人にしなさい、なんて言われて受け入れるの、絶対イヤだから!」
「ご安心ください。お嬢様の相手を選ぶ、というのは私の使命ではありません」
「じゃあ、アナタの使命ってなんなのよ?」
G.A.はもう一度、小さくため息をついて、やれやれ、と肩をすくめた。
「私の使命は、お嬢様が運命の相手を見つけるまで、そばにいてお守りする事です。害虫駆除はその一環。もし私が、私のことが見えない方についていたとしても、同じことをします。しかし」
「しかし?」
真子の金色がかった茶色の目が期待にきらめいた。
「お嬢様が自ら好きになったケースに関しては、多めに見ているんです。さぁ、よく考えて御覧なさい。今までにお嬢様から好きになったケースは?」
G.A.の質問に、真子が一瞬止まって考える。
「・・・・・・中学一年の時の西村先輩」
「おや?随分前ですね?」
少し意地悪な表情でG.A.が言った。確かに、最後に真子が誰かを好きだと思ったのは、随分前だ。
「まぁいいでしょう。それで?お嬢様は何かしましたか?」
「・・・・・・告白しようと思ったら、先輩の転校が決まって・・・でもあれは、G.A.のせいでしょう?」
「違います」
「え、そうなの・・・?」
「西村先輩の転校は不可抗力です。結ばれないことは私には解っていましたが、私は告白を止めなかったでしょう?」
「なんだ、アタシすっかりあれもG.A.が邪魔したんだって・・・・・・」
G.A.は今日三度目のため息をついた。長いプラチナの髪が揺れる。
「私はただの邪魔、ということはしません。私の行動の理由はお嬢様のため、というのが一番です」
G.A.の美しい顔に木漏れ日が薄く影を落としている。
「・・・・・・まったく。随分信用されてないんですね。こんなにお嬢様に尽くしているのに」
「だ、だって・・・・・・ごめん」
俯いた真子を見て、G.A.はふふっと笑った。今度こそ、と柔らかいクセっ毛を撫でる。
「大丈夫ですよ、お嬢様。大切なのはお嬢様が相手をどう思うかです。大切なのでもう一度言います。使命ですので私は害虫は駆除します」
「はい」
「でも・・・・・・」
「真子ちゃぁ〜ん!G.A.さぁ〜ん!」
G.A.の最後の一言をさえぎって道の反対側から声がかかった。いぶかしげに真子とG.A.が振り向くと、声をかけてきたのは、真子の同級生の野中恩だった。のなかめぐみ、と読む。道の向こうでぶんぶんと手を振っている。
「やっぱ真子ちゃんかー。遠かったからあんま自信なかったんだけど、こんな銀髪で長髪の人いないもんね、普通。あははー」
恩は真子の友人の中でただ一人、G.A.が見える。道を渡ってきた恩は軽く肩で息をしながら微笑んだ。微笑むと昔のアイドルみたいに八重歯が覗いた。
「みんな見えないからアレだけど、相変わらずG.A.さん目立ちますよ!ビジュアル系みたいですよ!」
「ビジュ・・・・・・恐れ入ります」
弱々しい苦笑いのG.A.にびしいっと恩が親指をつきたてた時、真子は恩に偶然出会ったことを嬉しそうに微笑んだ。
「めぐみん、なにやってるのこんなとこで?」
「えー、オレ?剣道の帰り」
めぐみんはれっきとした男である。めぐみという名前、なぜか遅れている変声期と色白でパッチリした瞳、という外見のせいで、周りからほぼ女の子だと思われているのだが、本人はあまり気にならないらしい。めぐみんという呼び方にしても、つけたはいいがもしかして女っぽすぎて本人は気にしてるのでは、と真子が聞いてみたところ、
「えー、別にカワイイならいいじゃん?どう呼ばれても結局オレ男だし!」
と、実にあっけらかんとしたものだったので、めぐみん、で決定した。実は剣道部でも一、二を争う強さを誇っており、乙女な見た目に反して性格は男らしくさっぱりしているのが面白い。
「めぐみん、お茶する?」
「うん、お茶いこっ」
めぐみんと並んで歩き始めるまえに真子はくるっとG.A.のほうに振り返り、続きはあとで、と口パクと目配せで伝えた。G.A.はまたにこっと微笑んで、頷くと、また流れるように真子とめぐみんの後ろをついて行ったのだった。
歩道橋の上に三人が歩き去った後を見つめる男がいた。
「ふっ、相変わらず微笑むくらいしか能がない男が・・・・・・」
眼鏡の下の瞳がきらりとひかり、唇が不敵な笑みで歪む。よく見れば、男の足は地面に触れることがなく、微妙に浮かんでいた。
「見てなさい、G.A.・・・・・・」
男はそう呟いて両腕を広げると、指の先から昼の空気に溶けていった。