黒歴史が爆誕していた件
白い朝日が天幕越しに差し込んだ。
魔道具テントの中でむくりと起き上がったオリエッタは、大きな欠伸の後、猫のようにしなやかな伸びをする。
魔道具のテントであるため、外見は普通の小さな三角錐だが、中は畳が八畳分の広さがある淑女の寝室だ。
どこから出てきたのか、というツッコミが絶えないこの魔道具。
家主の居なくなった屋敷から無断で持ち出したいわゆる盗品である。オリエッタ曰く、
「勇者が一般市民の家に土足で踏み込み、クローゼットの中を物色し、壺を割って許されるご時世……私達だけ怒られる謂れは無いでしょう?」
との事。何処情報だソレ!? とか何とかエドガーも言いたかったが、ヘトヘトなので野宿は嫌だった。かといってオリエッタが荷物を取りに行きたいからと一緒に戻った屋敷内を見回ってみれば、地下に骨が山ほど転がっているじゃないか。
安眠とかマジ無理、である。
そのため、素敵なテントを盗――ゲフンゲフンッ! 貰ったのだ。
さて、寝ている間に服を脱いでしまう癖のあるオリエッタは、まず最初に寝間着を探した。
若葉色の可愛い寝間着は、ベッドの下の青い絨毯の上で、クシャクシャになっている。
「またやってしまいましたね」
小さく息を吐きながら、彼女はベッドから降りて寝間着を手に取った。パンパンと細かいホコリを払うと、ふと自分が映っている大きい鏡に目が行った。
「少し……太りましたかね?」
はしたない格好で首をかしげるオリエッタ。
そんな時、手に持っている寝間着で隠れていた腹の一部がチラリと視界に入った。紫色の紋章の一部だ。
オリエッタは一瞬不思議に思ったが、すぐに昨日の事を思い出してエドガーとの契約の刻印だと判明した。
「どんな印が付いたんでしょう?」
中途半端な契約の儀式だったため、オリエッタは好奇心に任せて寝間着で隠れている場所も鏡に映した。
一方で、オリエッタが刻印を確認していた頃。
エドガーは彼女のテントの隣に同じ物を張り、いまだにふかふかベッドで熟睡していた。しかし鳥の声に呼び寄せられるよう寝返りを打ち、ゆるゆると瞼が持ち上がる。
――まともなベッドで寝たのは、本当に久しぶりだなぁ。
まさに理想的な清々しい朝を迎えようとした時だった。
「はぎ取り込めぇぇえええええ!!」
昔のエルフ狩りギャグ漫画よろしく、血走った目のオリエッタさんが襲来し、マウントをとって服を無理矢理剥ぎ始めた。
「キャアアー! イヤァアアー!! 痴女が出たぁああああああ!!」
絹を引き裂いたような女の悲鳴ならぬ少年の悲鳴に、テントの周りにいた鳥や獣達が逃げ出した事は、言うまでも無いだろう。
「で、朝から何しやがるこの痴女?」
そんなこんなで数分後。腕を組んで仁王立ちになるエドガーと、ベッドの上で正座するオリエッタという構図が完成していた。
流石に、自分に非があるとオリエッタも自覚しているらしい。申し訳なさそうな表情だ。
「私と貴方の契約が現実のものでは無いと確認したくて……」
「は? 何言ってんだよ。したじゃん従属契約」
「…………そっちなら、どんなにマシだったか」
大きなため息を吐いたオリエッタの言葉が気になり、エドガーは目を丸くしてどういう事か説明を求めた。
「説明して欲しいなら、確認のために貴方の背中を見せてください」
「ああ、それで服を無残な事にした訳だな」
最初から口で言えば良いのに。と、エドガーは後ろを向いてオリエッタに背中の刻印を見せる。
「あー……やっぱり」
この世の終わりのような声に、エドガーはひたすら不安を覚えるしかない。
「え、何? お前と俺の契約、なんかやばかったのか?」
「ええ、やばいです。黒歴史です」
「黒歴史!?」
オリエッタの方に向き直ったエドガーに、彼女は意を決した表情で告げた。
「貴方と私の契約、『夫婦契約』になっています」
エドガーは、ふっと意識が遠のくのを感じた。
***
夫婦契約とは、簡単に言うと愛し合う二人が相手に不貞をさせないよう縛り付ける契約である。もし不貞したりするとどうなるか……『酷い目に遭うよ』とだけしか、オリエッタもエドガーも知らない。それ程にくだらない雑学に等しい契約魔法なのだ。が、
「およそ十メートルが……限界ですね」
そのくだらない魔法に、二人はエラい目に遭わされている真っ最中だった。
やや重たい足取りで、離れていた二人は互いの方へと近付いて行く。
昨夜の予定では、今朝はテントを畳み、二人は別々の場所へ旅立とうとしていた。従属契約をしていても、エドガーにはオリエッタを従える気が無いし、オリエッタもエドガーに仕えようなんて微塵も思ってもいなかったのだ。自由万歳である。
しかし夫婦契約だと、距離が離れるにつれ酷い頭痛が二人を襲った。
「スティータに行きましょう」
距離を置いたら頭痛に苛まれると気が付き十五分。
最長でどれくらい離れられるのか実験して七分。
無意識に貫いていた沈黙を破ったのは、オリエッタだった。
「理由は?」
「この国で一番大きな図書館があるので」
「異議無し」
あまりにも自分達はこの契約魔法について知らない。
ならば情報収集だ。夫婦契約は決して解けない魔法では無いはず。そうでなければ、離婚したくなった時どうすんの? という問題にブチ当たる。
二人は、これまたテオフィール邸からかっぱらった地図で、スティータまでの最短ルートと食料等の調達場所をわりだし始めた。
***
所変わって、小さな村シュベルク。
そこに一軒だけ建つ宿屋は『夜の骨』という名前だ。
現在の宿泊客は、熟年夫婦が一組と頑固者の翁が一人、そして宿の女主人の友人姉妹とロクでなしが一人。
そんな宿屋で健気に働く少女、マリアは受付近くの席でダラけている男の話し相手をさせられていた。
「ランベルトさん」
「ラヴィでいいって。それよりマリアちゃん今日は午後から暇だよね?」
「私に貢ぐお金があるなら、いい加減酒場のツケを払った方がいいですよ」
マリアは、目線を宿屋の隅に向ける。
纏う防具は簡素だが、実のところそんな物の必要性を感じさせない筋骨隆々男が、蛇のような目をギラつかせてこちら――ランベルトを見ているのだ。
かれこれ三日ほど前から毎日。
「あれ、取り立て屋通り越して殺し屋じゃないですか?」
コソコソと耳打ちするようにマリアが問うと、ランベルトは「んあ?」と間抜けな顔で彼女が言う男を見る。
「あー、いや殺し屋じゃ無ぇな」
「分かるんですか?」
「うん。あれよく臓器売買してる人だわ」
「どんだけツケ溜めてるんですか!」
このロクでなし! という意味の篭った悲鳴じみたツッコミである。
ランベルト。通称『ラヴィ』。彼は九ヶ月前、ふらりとこの村へやって来た。
素性不明。目的不明。職業不明。不明不明で怪しさ満点の彼は、夜になると近隣の町にに出かけて飲む・打つ・買うと、つまるところ道楽にふけっているのだが、
「よぉラヴィ、昨日はウチの婆ちゃんの荷物持ち手伝ってくれたんだってな。これ、お前にやるってよ。婆ちゃん手製のベリーパイだ」
「礼はいいって言ったのに」
「菓子作り好きだけど食う奴があんま居ねぇんだよ。俺もこの前医者から糖分控えろって言われたしな」
「成る程。そういう事なら、ありがたく貰うわ」
宿屋の入り口から、可愛らしいバスケット片手に現れた熊のようなオヤジとのやり取りを見て、マリアは肩を竦めた。
そう。この男、道楽は好きだが中身は腐っていないのだ。
顔もそこそこ悪く無く、背も高い。本当に遊びだけどうにかなればマリアの理想に近いのだが……。
――女好きが過ぎるとこあって一生を添い遂げる相手としては、かなり、かーなーりー無理なのよねぇ。
今さっきまでマリアをデートに誘おうとしていた男は、上の階から降りてきた人妻を近くの湖に誘おうとしていた。
「お弁当も作ってもらって、いい感じの木陰でピクニックっぽく――」
「だからソレは俺の嫁だっつってんだろうが何度言わせる気だぁあああ!!」
そして、慌てて降りてきた夫に回し蹴りを食らわされると言うお決まりの流れに乗っていた。
「毎日毎日、懲りないと言うか飽きない人ですねぇ」
「旦那が怖くて綺麗なネエちゃん抱けるか」
「言ってる事最低ですよ」
マリアが冷めた目でラヴィを見るが、彼は全く気にしていない。
その様子にマリアが思わずため息を漏らした直後の事だ。
宿屋の戸に付けられたベルが小さく揺れて音を鳴らした。
入って来たのは……。
「もう! ですから言ってるでしょう? 貴方の服装ばっちぃから、着替えないと怪しまれるんですってば!」
「でも、無駄遣いじゃん! もうちょっと考えて使えよ。服よりも食料。もっと言えば足が欲しい!」
「馬も騎獣も食費爆上げするだけですよ」
物凄い言い争いをしている年端もいかない少年と少女だった。
「ツインを一泊でお願いします」
「え? ……ああ、はい。では203号室をお使いください。何かお困りの際は暖炉の近くに呼び鈴の紐が有りますので、お引きください」
慣れた様子でお金を払い鍵を受取ったオリエッタは、エドガーと火花を散らしながら階段を上って行く。その小さな背中達を、マリアは瞬きしながら見送るしかなかった。
「なんだか妙な子達ですね。保護者いないし……兄妹にも全然見えない見た目ですし」
「それよりも、着てるもんがありえねぇよ。特に嬢ちゃんの方がな」
ラヴィの台詞に、マリアは「ああ」と胸の前で手を叩く。
「そういえば綺麗な外套でしたね」
「綺麗なだけなら良いんだけどな」
「ふえ?」
彼の紺青の目には、完全に警戒の色が浮かび上がっていた。
今回はいつもより文字数が少なくなってしまいました。