だから彼の殺意は
たちの悪い風邪のせいで、更新が予定より一週間以上も遅れてしまいました……。
光の中は温かく、次第に薄れてゆくと、オリエッタは腹部にジワリと麻痺に似た感覚を覚える。
契約印を刻印されたのであろう事を察すれば、エドガーも微妙な表情になっている事に気付いた。
「どうかしました?」
「背中に印が付いたっぽくて」
オリエッタは不思議に思った。従属契約の契約印ならば、従えられた方だけに付くのが普通だ。エドガーが割って入ったこの陣は、もしや別の陣だったのかと疑問を抱く。が 、
「どう……して、生きてるにゃ?」
意外にも容易に殴り倒されたリーンが床から上半身を起こし、忌々しそうに二人、特にエドガーを睨んでいた。殴られて頭が冷えたのか先ほどまで取り乱していたのが嘘のようだが、それよりも彼女の抱いた疑問は尤もだ。オリエッタもエドガーの死体をその目に焼き付けており、現状が信じられない。触れている部位から伝わる体温は温かく、すぐ近くで心音を聞き取る事が出来ても。
「死ねねぇから」
オリエッタとリーンの声が「「……は?」」と重なる。
「死にたくても、死ねねぇんだよ。冗談抜きで」
「不死者……、そんなのあり得ないニャ…………」
「信じる信じないはお前の好きにしろ。けど――」
「ぴゃっ!?」
「俺達も、もう好きにさせてもらうからな」
オリエッタを抱えてエドガーが走り出すのを見て、リーンは後を追おうと立ち上がる。だが一歩踏み出そうとした時、床から天井目掛けて彼女を取り囲む氷の檻が出来上がった。
ガンッ! と。凄まじい勢いの蹴りを入れ檻を蹴破ろうとしたリーンだが、それは叶わず。
「どうして……」
と、そこで足元――氷の檻の向こう側に、ソレを見つける。
見た事の無い一文字。うねった一本の線で書かれている光る木札を。
物質強化。能力低下。その両方。
思考を巡らせるが、それらの魔法でこんなミミズの死骸のようなウニョウニョ文字を用いている記録を、リーンは目にした事が無い。が、
「……? なんで私、こんなに魔術知識があるニャ…………?」
思わぬ疑問が浮上した。
魔法が全く使えないわけでは無い。その手の書物も少しなら読んだ事がある。だが、自分が得意とする拘束魔法以外は今の今まであやふやだった。だと言うのに、多くの魔法知識が載った魔導書を流れるように頭の中で捲っている感覚は不自然極まりない。
首をかしげ、傾げ、そして――
「先ほどのように乱されては困りますね。君はしばらく眠っていなさい」
不敵な笑みは、リーンのもの。しかしその声は――その意識は、紛れも無くテオフィールのものだった。
テオフィールは、リーンと同じく木札を観察する。
「ふむ……。魔力の関係でしょうか」
リーンとは違うのは、一つだけ分かった事実が有るという事。だが、その一つはとても大きい。
「少しずつ光が弱まっている。――この檻、もうしばらくすれば自壊しますね」
***
「エドガー! エドガーってば! どこに向かっているんですか!?」
森の中をひたすら走るエドガーに、オリエッタは抱えられたままだ。
「河ッ!」
「有るんですか近くにッ?」
河が有るのなら、そこに飛び込み流れに身を任せるだけで逃走が簡単になる(溺死するかもしれないけど……)。何故なら獣人は泳げないからだ。
目を輝かせるオリエッタに、必死な形相のエドガーは「多分なっ!」と、力強く言ってはならない返しをした。
「うわーんッ!! 馬鹿と契約結ぶんじゃ無かったー!」
「誰が馬鹿だこの迂闊精霊! 一応、近くにあるのは事実なんだよ。さっき探知魔法使ったら反応あったから!」
「ああ、じゃあ安心ですね。っていつの間に使ってたんですか?」
泣いた直後に安心した笑顔を浮かべたかと思いきや眉間にしわを寄せ……と、表情筋が忙しないオリエッタ。
「丁度お前が手ぇ刺された時」
「こっちが拘束解くより前ッ!? 不死身の原理は全く分かりませんが、復活してたんならさっさと助けてく――」
――ザッ……タンッ!
この足音は――リーン。
「オリエッタ?」
キョトンと察しの悪い少年に内心舌打ちし、ずっと遠くから自分達へと近づく足音に気付いた彼女は舌打ちした。
「降ろしてくれます?」
「お前、脚に怪我してるから重いけど却下」
「一言すごく余計ですが、それなら急いでください。すぐに追いつかれます!」
「分かった――って言いたいとこなんだけど……」
「ん? ……うわっ」
……現実とは、如何に残酷か。
二人は、眼下の光景に目元を引きつらせた。
河?
そんなものは無い。川ですらない。広さは有り、湖と言っても良いかもしれないが、二人が感じたままを言い表すならば、それは‘‘窪地に溜まった池’’だった。
「勘違い……しましたね」
「うぐっ……くそっ、背に腹は代えられない! 飛び込んで向こうに――」
「絶対に嫌ッ!」と全力で首を横に振り、オリエッタはその酷い池を指さす。
「この水死んでます! 絶対に飲んでは駄目なヤツです!」
ツンと刺すようでいて鼻の奥にねっとり残るような酸っぱい臭い。茶色なのか灰色なのか区別出来ないところに黄土と橙の油っぽい何かが浮かぶマーブル模様。水面でプカプカしてる茶翅と触覚の付いた奴。
「生命力とキショさに関しては定評のあるアレが死ぬ池ですよ!? それに何よりも、貴方と無理心中っぽい事するのが嫌!!」
「俺ってばゴキ以下!?」
「目くそ鼻くそです」
断言された台詞に、エドガーのこめかみ辺りからピキっと小さな音が鳴った事は言うまでも無いだろう。
「投げ入れるぞコノヤロウ」
彼は、器用にも笑いながらドスの利いた声を出した。だが、オリエッタは鼻で笑う。
「ハッ、タダでは落ちません。道連れにしてやります」
至近距離で睨み合う二人。
しかしながら、それは長く続かなかった。続けられるわけが無かった……と言うのが正確な表現だ。死んでる池の存在により一瞬忘れかけていた追跡者の魔の手ーーあの拘束魔法の光が、カマイタチよろしく木々を薙ぎ倒し、二人へ迫ったがために。
目視するので精一杯だった二人の背中が一瞬で汗だくになる。そして――
「ひんっ!?」
ドボーンッ!!
切羽詰まった思考を短絡させたのが良くなかった。
エドガーは、放り込んでしまったのである。既にほぼ高確率で見つかっているのだから、無意味極まりないのに『オリエッタだけでも何処かに隠してヤツから逃す!』というトチ狂った考えに至り、……オリエッタを池に。
「酷い事をしますねぇ」
その声は、隕石が降ってきたかのような轟音と揺れの直後に響いた。舞い上がった木の葉の幕の中で揺らいだ影に、エドガーは必死に虚勢を張って笑みを作る。
「お前は俺一人で十分だって意思表示だよ」
彼は、自分の行動がいかに阿呆だったかを遅ればせながら知ったが、正直に言うとカッコ悪いので咄嗟に適当な事を言う。
「なるほど、では……その言葉が本当かどうか試してみましょうか」
刹那。リーンの顔で不敵に笑うテオフィールの足元から三本の細い柱――では無く、大蛇と芋虫の間のような長い生物が天に向かって勢い良く伸びる。それは氾濫する川の激流、或いは幾万の兵士達が放った矢のようだった。
怒涛の勢いで天から地へと落ちてくる三つの頭が、寒色系の粘液を纏わり付かせ滴らせて、開くと五芒星になる口内の千の牙を見せつけてくる。
エドガーの立っていた場所であり、背後に死んだ池しかない崖となっているその場所が崩れた事は、想像に難くないだろう。
***
「ねぇ、お兄様。マギーは、いつになったらお外で遊べます?」
テオフィールの記憶の中で、無垢な丸い瞳が彼を見つめていた。十三年も前の話である。
「いつになっても遊べませんよ」
「清々しい笑顔で意地悪な事言わないでください!」
ムキー! と、テオフィールと同じ髪色で、パジャマ姿の少女が子犬のように怒る。
少女のその顔を拝む事は、テオフィールにとって日課と言っても過言では無かった。
マギー。本名はマグダラ・フリングドルフ。彼女は生まれながらにして体が弱く、そして塔の上に隔離されていた。
「お兄様、今度お忍びで町へ行くならマギーはこの箱に入るので、こっそり背負って運んでくださいませ。自分で歩かず、そっと町の様子を眺めるだけなら良いでしょう?」
「駄目です」
「何故ですかケチ!」
「キミの言ってる箱が棺桶だからです」
マギーがワクワクしている表情で指差す箱を見て、テオフィールは軽く頭痛を覚えていた。ちなみに、その棺桶は『子供が頑張った夏休みの工作』感漂う……とどのつまり、マギーの手作りである。
「そんなの作ってるから熱がずっと下がらないんですよ」
「キャーキャー! 壊そうとしないでください久しぶりの力作なんです!!」
「何でこんな縁起でも無い物に力入れちゃったんですかキミは!」
踏み潰そうと足を上げているテオフィールの腰に必死にしがみ付いていたマギーは、「だって……!」と一際大きな声で何かを言いかける。
「お父様とお母様は、一日でも早くマギーに死んでもらいたいのでしょう?」
「……」
テオフィールは、何も言えない。それがマギーに限らず、どんな幼子にも分かる程に明白な事実だからだ。
病弱だというのに、狭くジメジメとカビ臭さがあり陽当たりも悪く、狭い部屋。食事は一日一回、冷たい物が届けられる。テオフィールのようにメイドも家庭教師も雇われていない。両親が会いにくる事など皆無だ。テオフィールだって、本当はマギーに会う事を禁じられている。
「お兄様、マギーの病気は何なんですか?」
「……」
「マギーがここに居なければいけないのは、生まれてからずっとマギーの中にいる病気のせいなのでしょう?」
口を噤んだままのテオフィールは、マギーが生まれる三日前に屋敷へ訪れた占い師の事を思い出す。占い師は冒険者で、彼らの住む町にふらりと三日滞在しただけだった。だが、たった一日でそれはもうよく当たると町中の噂になったため、最終日に何処かへ旅立つ直前の占い師を彼等の母親が当主不在の屋敷へ招いたのだ。
生まれてくる子について、ほんの少しだけでも知りたい。
ふわふわとした春の陽気のような笑みの母親の依頼を受け、占い師は星空を閉じ込めたような水晶玉を覗き込んだ。
まずは性別を言った。女であると。
次に、容姿を言った。貴女似で長男とも似ていると。
だが最後に、その在り方を言った。死をふり撒く存在だと。
母親の表情が消え、占い師は哀れみに満ちた表情だった。
『お腹の子は、ご主人との子ではございませんな? それどころか、人の子でも無い。悪魔の子でございます』
『ウソよッ!!』
ガタンッ! と、無作法にも椅子を倒して立ち上がった母親の形相は、テオフィールの中で永遠に残る事になる。
『あの人が悪魔な訳が無いわ! デタラメを言わないでッ。誰か、この無礼者を屋敷からつまみ出しなさい!!』
使用人の何人かが言われた通りに動く。しかしテオフィールを含めた多数は、腹の子が当主の子で無い事や『悪魔の子』という占い師の言葉に硬直していた。
『奥様! この助言だけはどうか胸の内にとどめておいて下さい!! その子を大衆の前に出してはなりませんぞ! 出せばたちまち、町は死の嵐に見舞われます! その子は、家族には害を与えない。ですからずっと屋敷の中に――!!』
使用人達に連れ出される最中、占い師の叫びが屋敷の中に響き渡った。
そうして母親は何も言わなかったが、使用人の口伝てにお腹の子が自分の子では無く悪魔の子だと知った当主の決断により、マギーの運命は決まったのである。
「マギー……キミは、別に病気では無いのです。今まで重い病気で人に移さないためにと、此処に閉じ込めていましたが違うんですよ」
覚悟を決めた表情でテオフィールが告げると、マギーはキョトンと瞬きした。
「え?」
テオフィールは決めたのだ。占いなどという曖昧なものに振り回されない――全てでは無いけれど真実を話そうと。たとえ種違いだという事は本当だとしても、この子が『死をふり撒く悪魔の子』で無い事は、証明しようと。
「明後日、一緒に街へ出かけましょう」
「本当ですか!」
「ええ、約束です」
表情をキラキラさせた妹を見れば、悪魔の『ア』の字も彼の脳内には浮かばなかった。
浮かばなかったのに――――。
「ア゛ア゛ぁアアアアア――――!!」
「血が、血が止まらない……ッ」
「ママ、どうしたの? ねぇ、誰か助けて! ママが冷たくなってくの……ねぇ誰かァ!!」
マギーと手を繋いで町へとやってきたテオフィールの目には、地獄と大差無い光景が映った。
口から泡を吹き出す花屋の店主。
身体中の皮膚を己の血液に破られている警官。
買い物途中だったと思われる親子の母親は道端に倒れたまま微動だにせず、娘は泣き喚いている。
「何だ……コレは」
それ以外に言葉が出なかった。直後に「きゃっ」と、マギーの小さな悲鳴を聞き、テオフィールは妹の様子を確認した。すぐ横をかけて行った少年の肩が軽くぶつかっただけで、町の住人達のような異変が見受けられない事にすぐホッとしたが、背後から聞こえた叫びにピンと背筋が伸びた。
「何? どう、なって……ウ゛ぐッ」
見てみると、今しがたマギーにぶつかった少年が膝をつき、片手の平を声を震わせている。
「大丈夫か!?」
テオフィールが駆け寄り、マギーが何気なく少年の隣にしゃがみ込んだ時だった。
「ぎゃああああああッ」
マギーが居た側から、少年の体が砂になった。
テオフィールは咄嗟に少年に触れ、魔法を使う。昔から物の本質を読み取る魔法が得意だった彼は、そうして原因を突き止めようとしたのだ。
視えたのは、決して信じたくない答えだった。
「お兄様?」
思わずマギーを見てしまったテオフィール。だが彼が口を開くよりも先に、少年が声を張り上げた。
「お前だ! お前に当たった所からおかしくなってった。お前、死神だなッ」
マギーを指差す少年の答えは、正しかった。
死をふり撒くという占いは、当たっていたのだ。
「お兄様、この子が変な事を……お兄様?」
マギーが何も言わない兄を不審に思った時、誰かが憎悪の瞳を彼女に向ける。
「その子、幽閉されてる長女か!」
「死をふり撒く子どもッ!」
「占い師様が言った事が当たったぞ!」
「クソッ! 隣にいる長男が連れて来たんだな、なんつー事を……ッ」
まだ動ける者達がマギーを射殺すように見た瞬間、テオフィールは彼女を抱えて走り去った。武器でも持ち出されたらたまったものでは無い。
「待て! その子供は置いていけ!」
「殺される前に殺してやるッ」
「どうして領主はそんなものを生かしてるんだ」
「悪魔!」
「死神!!」
走り去る中、妹に向けられる悪意という悪意。殺意の中の殺意。その罵詈雑言の嵐が去った時、マギーの顔から明るさや無邪気さの類を見る機会は失われた。
家へ帰ると、テオフィールはマギーと共に彼女の自室へ閉じ込められた。町での一件が、父親の耳へと既に入っていたのだ。
「ねえお兄様、何でみんな死んじゃうの?」
何度も何度も、妹は泣きながら尋ねた。何故簡単に周囲の人が死んでしまうのか。家族以外で、死なない人が一人くらい居ないのかと。
泣いて、泣いて。目元を痛々しく泣き腫らして。
挙げ句の果てには、父親に斬り殺された。
「もっと早くこうしているべきだった」
血塗れの室内で父親の声を聞いた瞬間、テオフィールは神を呪った。
ただ生まれてきただけで、生きていただけで、妹を死神にした神を呪った。妹が呼吸するだけで簡単に死んでしまう人々を呪った。泣き叫び、殺される妹を黙って見ている事しか出来ず、生き残った己を呪った。
だから復讐したいと強く願った。
愚か者である。神など関係無い。町にマギーを連れ出した彼が悪い。悪魔と浮気した母親が悪い。――分かっているが、認めたくなかったのだ。
そして、そこに付け入る者が居た。
「じゃあ、神様にならないとね」
背後から聞こえた女の囁き。
声の正体が誰なのかを考えるまともさは、既に焼き切れて存在しない。
「神様に復讐するなんて、ただの人間には無理よ。貴方に良いものをあげる。それを使って、いつか六人の精霊達を集めていらっしゃい。そうすれば、私が貴方の願いを叶えてあげる」
この時、彼は稀有な才による魔法を存分に活用出来る知識と魔眼を与えられたのだった。
***
そして現在。
「やはり死にませんか。それどころか……」
崩れた場所を一瞬にして氷でそっくりそのまま作ったエドガーに、テオフィールは冷やかな視線を送る。
エドガーの足元では、檻の時と同じミミズのような一文字が光っていた。
「ギャンブル魔法……ですか。そんなものを本気の殺し合いで発動させる馬鹿が居るとは思いませんでした」
妹がまだ生きていた時に現れてほしいと願った不死者。その存在一つあれば、妹を死なせないための誤魔化しが出来たかもしれないデタラメの怪物により、彼は復讐を邪魔されている。
だから彼の殺意は増幅した。
果たして、オリエッタは色んな意味で生きているのでありましょうか?
作者すら疑問に思っている今日この頃です。あの辺は日曜の某バラエティ番組を見ながら書いていました(笑)




