愛されなかったお姫様
「森の向こう側に居た宮廷魔導士逹は、全員生贄だったって事か……?」
記憶を覗き終えた直後、最初に口を開いたのはエドガーだった。
彼が何とも言えない表情でセリーヌとマリアを見るように、ロミルダとノエも、彼女等へと視線を向けている。
「ええ。私はそもそも、この国がこれ以上戦力を保持して高めて行く事に不満を抱いておりますの」
騎士の国。そう呼ばれる程、……呼ばれてしまう程に、一人一人の武人が力を持つシュタロという国の歴史の大半は、戦争で成り立っている。今は平和と呼べる方だが、それもいつまで続くか分からない。シュタロは屈強な武人が多い事で名を馳せていたが、あくまでもそれは、純粋な力の技術面や忍耐面においてだ。魔術やそれを扱う方面はそうでも無かった。むしろ、他国に遅れをとっていた。しかし前国王の数少ない優れた政策により、近年シュタロの魔術師の水準が上がってきている。
シュタロの戦力が今以上になる事を恐れ、早いうちに手を打とうと秘密裏に動いている国がある事は、ノエやロミルダも知っていた。
「ですから、罪悪感は有りますが今回、少しだけ処分する事にいたしました」
その声音には、感情というものが無かった。否、わざわざ呼称するほどのものが無いだけで、完全な『無』という訳では無い。まるで、何気ない動作のように、口にしたのだ。
――なるほど、こりゃ確かに『魔女』だ。
聖女では無い、と。エドガーは、セリーヌから感じた不愉快さをそのまま表情に出した。
「まあ、そこの残虐非道な大量殺戮兵器のせいで、彼らが生け贄用の術式では死ねませんでしたけれど」
「おい……」
彼女の言葉を遮ったのは、ラヴィの声。
セリーヌは首だけやや動かして彼を見る。
「母さんは何処だ?」
ラヴィのその疑問は、もっともな物だろう。今の記憶の中に出てきた主要人物であるマリアもセリーヌも自分の目の前に居るというのに、彼の母親だけ、何故かずっと姿を表さないのだから。
すると――
「ここに居るよ」
そう告げたのは、マリアだ。
マリアの口から告げられた言葉だ。
マリアの喉から発せられた声だ。
しかしその声は、今までの彼女のものとは、まるで違った。本来のマリアの声より低く、しかしとても柔らかな声だ。
「此処に、ちゃんと居るよ」
もう一度、マリアから発せられているのに、彼女のものでは無い声が響く。
「なん、で……?」
信じられないものを見た時の表情で、ラヴィはそれ以上何も言えなかった。
それが、彼の母親の声だったから。
「元々魔獣に食われすぎて死者の体でもどうにもならない呪いを持っていたし……、この子がどうにも物騒な事を考えるもんだからね。今は自分の体を捨てて、この子が馬鹿な事しないように内側から見張らせて貰ってもらってるんだよ」
マリアの顔が、申し訳なさそうに歪む。まるで多重人格――否、今は本当に多重人格と変わらないかもしれない。
故に今、彼女をマリアと称するのは不適切だろう。
母親は、ラヴィがよく知るものとは全く違う白い手で、彼の頭に手を添えた。
「ラヴィ、あと少しだよ。後は……アタシとその子が、贄になれなかった子達の代わりを果たせば、術式を完全に起動出来る」
セリーヌ一人の命には、それだけの価値があった。では、初めからセリーヌ一人が死ねば此処まで大掛かりな騒ぎにならなかっただろうに……と、誰もが思うだろうが、それはセリーヌが拒否した。 自殺願望がある訳では無いのだ。自分が死なずに済む手段があるなら、まずそちらを実行して当然だ。
そこだけ見ると、セリーヌはラヴィ一人のために命をかけるような安い女では無い事が伺える。どこか中途半端な覚悟で今回の騒動に加担したように思える。だが……、
息子の守りたかったものを、どんな形でも良いから元に戻したかった。
地獄の様な事実を消し去りたかった。
何よりも、また息子の声を聞きたかった。
我儘だ。ただの母親の我儘から全てが始まった。オモチャが欲しいと駄々をこねる幼児よりも、この母親の思考は稚拙だろう。愚かだろう。自分勝手が過ぎるだろう。
――そうやって息子のために全てを投げ出せる母親の姿が、セリーヌにはとても眩しかった。平民とは下賤な生き物であるという認識が、ずっとずっと頭の中にあったのにもかかわらず。
叶えたいと、そう思ってしまったのだ。
目が覚めたら、己のしでかした事から壊れてしまうだろう息子の心を、守りたいという気持ち。
生きていると言うより、眠っていると言うより、……死んでいるかのようにしか見えない結晶から息子を引きずり出して、辛い過去は忘れさせて、この先幸せになってほしいという気持ち。
だから彼女は協力した。
「俺は……ずっと……てっきりセリーヌの不況を買って、村が死者で溢れたのかと思った」
「濡れ衣にも程がありましてよ。ソレは死霊魔術師の仕業です。私、こう見えまして多忙な身なのです。しょぼい村を呪っていられるほど暇ではございません」
セリーヌが不満気に言うと、小さく彼は「そうかよ」と返す。そこでやや遅れて、母親の発言にあったおかしな事に気が付いた。
「なんで母さんも死ぬ必要があるんだ!?」
マリアの顔で、母親は笑った。とても不器用な笑みだ。
「アンタを一番よく知ってるのは、アタシだから……」
『だから』の、その先から……声がマリアのものに戻る。
「本当の仕上げには、貴方をよく知る人の記憶、それから強い想いが必要なんだよ」
けれど、
「私はさ、貴方が目を覚まして、歩いて、何もかも忘れて普通に生きる事なんて許せない。許せる訳が無い」
マリアが両手を自分の首を掴んだ瞬間、ラヴィは息を呑んだ。
「私の家族を殺した。私を殺そうとした。私を――私達をこんな風にした……! 許せない許せない許せない許せない!!」
「止めろよ! その体で首を締めてもただ苦しいだけだぞ!」
「分かってるけど! 貴方に殺される前に私は死にたいの! 普通の人みたいに死にたいの! 最初は皆が死者でも一緒に居られるなら良いと思ったけれど、そんなの所詮偽物よ!」
子供から少しずつ成長していく中で、マリアの考え方は変わっていった。これが、母親がマリアの中に入った理由の一つ。
「私達は、今まで死者であっても、貴方の見る夢の中の住人――まやかしに過ぎなかった。でも貴方が私の中の母親を殺したらッ、術式が完成して、私達は本当に死んだままになる! 貴方は何も知らずのうのうと幸せそうに生きるんでしょうね! 貴方が幸せになるなんて許さない!」
マリアは、今日という日が来るまで何度もラヴィを殺そうとした。
しかし殺せず、母親に体の主導権を半分奪われた。殺そうと思う度に母親に感情を制限され出来なかったが、よく考えて見ればこの方が都合が良い。
だって、母親の魂はこの術式の要。そしてラヴィ自身が母親を殺さなければ術は正常に起動しない。よって、ラヴィより先に殺せば――母親の魂を自分のものごと此の世から消せば術式の完成は――
「やかましい」
その場の時間だけ、この世の全てから置いて行かれたかのように、または切り取られたように、止まった。
「しかも、くっっっだらない!」
今の今まで黙り込んでいた少女の声と同じか、それよりも少し早く、日本刀がマリアの腹部を背後から突き刺していた。
「は……っ、ぁ?」
口の端から、トロリと血を溢れさせ、目を皿のように見開き、部割と汗を拭き出させるマリア。
そんな彼女の背後から日本刀を引き抜いたオリエッタは、軽蔑の眼差しを向けていた。
「全くもって見ていて不愉快。只でさえ不愉快極まりない女の顔見せられて最悪な気分だというのに……これ以上私を不機嫌にさせてどうするおつもりです? 冥府に送っても、顔面からグチャグチャに抉り潰してやりましょうか?」
口元が優雅に弧を描いているが、その目は一切笑っていない。
膝をつくマリアは、腹を抑えて痛みに涙をボロボロと零している。そして周囲の人間は皆、その光景に目を見開き固まっていた。
「どいつもコイツもアホの巣窟ですか全く、嘆かわしい。貴女方全員に、幸せになる権利など有りません」
オリエッタは、マリアとその中の母親に視線を向ける。
「どちらも自分勝手が過ぎますよ。ただの自己満足じゃないですか」
赤い瞳は、マリアをじろりと睨んだ。
「家族を消したくないっつったり、死者の体は嫌だと駄々を捏ねたり……。まあ貴方は被害者ですが、死にたいと思った事があり、死ねる手段を持ってるなら、他人巻き込む前にさっさと死にさないな――このノロマ」
そして母親へ。
「息子に、臭いものに蓋した生き方させる事が、正しい訳ないでしょう。大勢の命と大切な人を犠牲にしてまで生きる? 真っ当な神経持ってる方なら、そんな重荷は御免こうむります。ふざけんな」
ラヴィに視線を向ける。
「貴方は、このままで良いのですか。目の前で、大切な人が間違った事をしようとしています。しかも、それを貴方のためにやってる事だと申している……。で、自分を殺せとか抜かしてる訳――で・す・が、貴方はそんな事望んでるんですか? ……ま、母親の方は既にお亡くなりになってるようなものですけど、殺すのを良しとしてるんですが? さっきから大人しく話聞いてるだけですけど、貴方は何をどうしたいんですか?」
此処には、自己満足をしたいだけの者と、自分で考えて何かする事を放棄した者しかいない。
母親は、息子に目を覚まして欲しいと願った。
娘は、家族を失いたくはないが、出来る事なら死者の体から解放されたい。
息子は、ただ状況に流されて流されて、自分が何をしたいか……そんな簡単な事すら考えないでいる。
聖女は、母親に感化されて大量殺戮に手を貸した。
魔術師は、聖女の信者――否、奴隷。
戦棍使いは、精神異常者な聖女の操り人形。
己とエドガーを除き彼等についてそう結論づけたオリエッタは、深々と溜め息を吐いた。
彼らは皆、無意識の悪意で動いた。
その先に、自分が望む幸せを思い描いて。
かつて、花の咲き誇る庭先で高い壁とその向こうの空を見つめていたオリエッタは、幸せというものについて考えた事がある。だが、彼女の考えは非常に偏っている。
一人の幸せが、全員にとって幸せだとは限らない。彼等もそれは分かっていたのだろうが、結末の汚い箇所を見ないようにしていた。
そうして自分の望み、自分の望みだと思い込んでいる事を叶えようとした。
故に、彼女は、こう言う。
「勝手。本当に醜悪。あまりにも傲慢」
――人間の『幸福』とは、下らない。泥水以下だ。そして、そんな生き物で埋め尽くされている世界は、美しさのカケラも無い。
……黒く暗い、暗く黒い。
「本当、は……」
「ん?」
マリアの中の母親が、血を吐きながら告げる。
「未来を、見せてあげたかったんだ」
が、響かない。赤い目は、軽蔑の色を絶やさない。
例えそれが――
「前を向いて欲しかった…………過去の事は消せないけれど、ソレでも……過去を受け止める強さを持ってほしかったんだよ。でも……うちの子は、本当は…………とても弱い子、だから」
――息子を想う、母親の優しい本心だとしても。
「ラヴィ……。いつまでも寝こけてないで……さっさと起きな。いつまでも子供じゃ無いんだか――」
「長い」
オリエッタには響かない。
無情に、無造作に……高々と首が飛ぶ。
「『夢』という単語が出てくれば、簡単に推測できる事でしたね。彼が目を閉じ眠っている時は夢としての作用が強くなるから物理攻撃が通らない。けれど開いている時は、その逆になる……『術式が完成間近だから』? ……全く、嘘吐きさんですねぇ」
ただ状況を見て、事実だけを受け止めて、自分が死なないよう結果を導く。
それが彼女の生き方だ。現世でも、前世でも……。
「本当に下らない茶番に付き合わされました。残る厄介ごとの種は、貴女だけですね?」
現在の名は、オリエッタ・アンフェール。『怪物の御母』に造られた人工精霊。必要悪として、悪を狩る断罪姫だったにも関わらず、一夜で億万の命を土に還した大罪人。
前世の名は、桜櫃刹夏。名家に生まれるも父親からは見放され、義理の母親から執念深く虐待を受け、無様に事故死しただけの無表情の子供。
彼女は、一般的な幸せ――人が生まれながらに享受できる愛情や善意――『幸福』な瞬間を認識出来た試しが無いから。
遅くなってしまって申し訳ございません。
ようやく書きたかったところが書けました!
この物語の主軸がぼやけている理由、それは、主人公が『幸福』の「こ」の字も理解しておらず、興味はあるけどそこで完結している故に、まだまだ追求も何もあったもんじゃ無かったからなのです。
さあそろそろラストスパート! しかし、次は出来れば『だが無い』を更新したいです。




