■■と現実の狭間
その後も、セリーヌの口から続けられた話は思いの外長かったが、要約するとこうだ。
ラヴィが力を暴走させ、シュベルク村はとっくに滅んでいた。草木は育たず、動物も生きて行けない不毛の地になった。
だが、百鬼夜行により流れた魔獣の血と大量に放出された聖剣の力で、村の跡地はどんなデタラメな大魔法も励起できてしまうほど魔力に満ちた土地になった。本来なら術式の構築段階で力尽きて死ぬような魔法を、九つは平気で起動出来るとセリーヌは言う。彼女はそれを利用して、ある女性の頼みを――自分の願いを叶えようとした。
セリーヌは、土地の魔力量を綿密に計算しながら来る日のために時間をかけた。事実を知る者を不必要に増やさないよう、大人数を要さない大魔法の術式を構築していたからだ。そして実行した。
一つ目、シュベルク村で百鬼夜行が起こった事実を人々の記憶から排除。
二つ目、聖剣が暴走したという記憶を、人々の記憶から排除。
三つ目、あたかも聖剣が、普通に城で生活しているかのように人々の記憶を改竄。
……此処で問題が起きた。
まだまだ大掛かりな魔法を行う必要があったのに、旅の死霊魔術師が、悪戯に禁書の魔法を近くの森でぶっ放したのだ。そのせいで、シュベルク村の魔力が森へ流れて魔素溜まり化した。
しかも、村のあった場所で、凍結状態になっていたラヴィにも影響を及ぼしてしまった。
「凍結……だと?」
黙って話を聞いていたラヴィだったが、その単語に信じられないという意味の呟きを漏らさずにはいられなかったらしい。
そんな彼に、セリーヌは曇った表情で頷いた。
「精霊術師には稀に起こる現象ですわ。全力も全力――体が無意識にかけるリミッターすら壊して、出せる力の一滴まで出し切った死にかけの主人を契約している精霊が守るのです。一命を取り留めた貴方様は、精霊が作った結晶の中で眠りにつきました」
――そしてそのまま、目覚めていません。
……何の冗談だ?
そうとしか思えないセリーヌの言葉に、当然ながらラヴィは言葉を失った。
眠ってなどいない。
今、確かに自分は気絶している。しかし、ずっと眠り続けている?
初耳だ。さっきまで、しっかりと目が覚めていた。剣を振るった。
それは誰もが知っている。今回の件に首を突っ込んできた赤の他人である少年と少女もだ。
と……、そこで彼は、気付いてしまった。
何故、気絶している自分がセリーヌと会話出来るのか? という事に。
***
「……は?」
静かに驚いているその声は、ラヴィ自身のものだった。
彼は、ロミルダの膝に頭を乗せて倒れていたはずだった。
だが今現在、彼の体は透けたままではあれど、ロミルダ達や対峙しているセリーヌ達の丁度真ん中辺りに立っているではないか。
ラヴィは、混乱気味に後ろを振り返る。まず瞳に映ったのは分かりやすく目を剥いているエドガー。 続いて声こそ出していないが、ロミルダとノエの驚愕している表情だった。
「お早うございますわラヴィ様」
だが彼等とは全く対照的に、むしろ今までで一番落ち着いた声をセリーヌがかける。
「……テメェが、何かしやがったのか?」
あまりにも不機嫌な表情と声色の彼に、セリーヌが「まさか」と上品に笑う。
「ラヴィ様は、起きようと思えばいつでも起きることが出来ますのよ? だって此処は、ほとんど貴方様の思い通りになる場所なのですから」
また頭の中で思ってる音が聞こえたが、今度は耐えられた。否、それどころか透けていた体が元に戻った。
明らかに、通常とは異なる様を目で確認したからか……。ゾワリと、服で隠れた部分には鳥肌が立ち、彼の顔色は青くなった。
「ふふ、ご安心ください。マリアが術式を完成させようとしているだけですわ――ああ、いいえ。もう完成したようです」
セリーヌが朗らかに笑うと、後方がカッと光った。
あまりの眩さに誰もが目を閉じざるをえない。
それが罠と言う間違いだったのか、それとも不可抗力故の事故か。
ソレは……、目を閉じたのと同時に濁流の如く流れ込んできた映像や声――‘‘想い’’を聞いた各々の感性によるだろう。
彼女はただ、護りたかっただけだった。
たとえ偽りでも、我が子が笑っていてくれるなら、……幸せでいてくれるなら。
間違いだと分かっていても、他人が傷付く事を予測出来ても、いくらでも非道になれた。
目を閉じた全員の脳裏に流れ込んで来たのは、まさにセリーヌが話そうとしていた事の続き――ある女性の記憶だ。
始まりは、その女性が百鬼夜行により死ぬよりも前、小屋で飼っていたアヒルが一匹だけ庭からいなくなり、探しに行った際に村と外を隔てる柵を越えた瞬間、魔獣に囚れた時だ。
魔獣達は飢えていたわけでは無かった。しかし、どうしてもシュベルク村で百鬼夜行を起こさなければならない使命感を抱き、ただそれだけに全ての思考を奪われていた。
そんな彼等に疑問を抱きながらも少しずつ喰われて行く苦痛には抗えず、百鬼夜行に利用され、完全に自分の人生が終わったと認識する間も無く視界が暗くなった矢先の事。
女性は、再び瞼を開ける事が出来た。自室の天井を拝む事が出来た。寝台から起き上がり窓を開けば、霞の中で朝焼けに染まる綺麗な村の風景があった。
視線をやや下に下げれば、チラホラと仕事をしている知り合いの姿まで見受けられる。彼女は、まさか全てが夢だったのかと、その場で固まってしまった。
しかし記憶はある。‘‘死’’という人にとって最大の恐怖体験に、心は未だ落ち着きを取り戻していない。
だが、その混乱はすぐに終わった。もっと正確には、新たな混乱が生まれた、と言う方が正しいかもしれない。妙なものがすぐ近く――かつて、ラヴィが聖剣を見つけた場所に立っていた。
青白い光の柱。雲まで届いているソレは、神秘的とも、不気味とも言える。普段なら、女性はそんな怪しいモノには近づかない。視界に入れる事もなるべく避ける。しかし、今回はフラリと足が動いた。家から出て雑木林に向かう最中、脳内から恐怖心と言うものが全て排除されているのか? と、女性自身とても不思議に思った。
――ソレを目にするまで。
女性はその光景を前に、呼吸が止まったような感覚を覚え、膝をついた。
一見、ただの白い水晶にしか見えないソレの中に、血で髪も、顔も、服も染まった我が子が居たから。
ソレが返り血だと分かるのに時間は要らなかった。何故なら彼の姿は、あの地獄のような夜の一部を切り取ったかの如く、そのままだったからだ。
――夢なんかじゃ無い。アタシは確かに死んだ。
最悪の瞬間がフラッシュバックしたのか、再認識と同時に吐いた。
心臓の音が脳を揺さぶり、体が震えて止まらない。
女性――ラヴィの母親は、それでも足元から顔を上げて、また水晶を見た。
一歩、一歩と……間近にソレを見に行く。
これは、人があって良い姿なのだろうか?
彼女の中に、そんな問いが浮かんだ。どこもかしこもボロボロの我が子。だが、付着している紅色は、ほとんど彼のものでは無い。返り血だ。
「ごめん」
思わず、謝罪の言葉。
「アタシのせいだね」
後悔先に立たず。
そんな事を口走りさめざめと泣こうが、何も変わりはしない。
そうとは分かっていても、母親は泣き止めなかった。
自分が捕まったのがいけなかった。
いくら苦しかろうが、息子が間違った選択をした瞬間、声を張り上げ止めさせるべきだった。
どこまで、不甲斐ない母親なんだ。
他人は、彼女を責めないだろう。
だが自分を責める事は何よりも簡単で、一度そうしたら切りが無い。母親はひたすら、己を責めて責めて責めた。しかし、何よりも強く、深く嘆いたのは……。
――大切にしていたものを自分の手で壊して、こんな姿になって、どれだけ辛かっただろう。
母親の手が、水晶にそっと触れた。
すると水晶の足元が小さな音を立て、間も無く割れた。
子供の倒れる軽い音が響く。
見れば、ソレは最後にラヴィが殺そうとしていた少女だった。
服はあまり綺麗では無いが、外傷は見当たらず、少女はただ眠っているだけだ。
母親は幼女に声をかけ、少し揺らして起こす事を試みる。案の定、少女は目を覚まし、そして周囲をキョロキョロと見渡した。
「魔獣は? 村の皆は!?」
――ああ、やっぱりそうだ。
母親は確信していた。この少女にも、あの夜の記憶があると。
何と言えば良いかは分からなかったが、とりあえず声を発しようとした時だ。
「え……此処は、ラヴィ兄さんの、夢の中……? 夢が、現実になろうとしてる場所、なの……?」
まるで何かの声を聞いたように……、そして聞いた事を繰り返したとしか思えない発言を少女がした瞬間、黒いものが母親の中で蠢いた。
なんとなく、彼女は現状がどうなっているのか想像できたのだ。此処――というのが、何処のどれくらいの範囲を正確に指しているのかは不明だが、村が確実に範囲内である事も。
「ソレは結局、夢なの……? そうじゃ無いの?」
だが少女――マリアは、そんな母親の様子には気が付かず、相変わらず見えない何かと話していた。
見えない何かが精霊だと判明したのは、その直後だ。
精霊曰く。
結晶にラヴィを入れ眠らせる事が、彼を死なせないために必要な措置であった事。しかし、死霊術師の魔術に反応を示して眠りが浅くなり、結晶内で夢を見始めた事。ラヴィの目が覚めたら、全てが元どおり――人が居ないのは当然、村の跡地とも呼べないものだけ残る事。
「お兄ちゃんは、いつ起きるの?」
――そう遠く無い未来。
その返しは、母親の耳にも届いた。
「嫌! じゃあラヴィお兄ちゃんを起こさないようにする! 起きたらお父さんもお母さんも居なくなっちゃうじゃない!」
泣きそうな顔で訴えるマリアだが、母親はその言い分に賛同出来ない。出来る訳がない。
だが、此処でたとえ夢でも生きる事を赦された村人達を消す道を選ぶなど、あまりにも冷酷だと思った。
思ったが――――『女性は母親になると、我が子のためにどんな事でも出来てしまう程強くなる』というのは、どうやら本当の事だったらしい。
彼女はマリアの前に立つと、目線を合わせるべく少しかがみ、そしてマリアの両肩に自分の手を置いた。
「マリア、おばさんはこう思うんだよ。ラヴィが目を覚まして、それでも村の皆が生きていられたら素敵じゃないかってね」
「……え?」
目を見開いたマリアの表情に、母親の中で先ほど蠢いた黒い靄が、膨らむ。
「ねえマリア、協力してくれない?」
マリアは困惑する他無かった。
ラヴィは剣も精霊も扱えた。だがこの母親は一般人だ。
協力とは何だ? いきなり何を言っている?
疑問符ばかりが頭の中で羅列した。だが何よりもマリアが恐れ、怯み、普通なら子供らしく喚いて逃げ出す足を地面に縫い付けたのは、彼女の眼に映る母親の尋常では無い様子。
「や……や、だ……」
しかし、マリアの口は拒絶の言葉を放った。その返事に、母親は頭の中が冷える。否、凍てついた――と言っても過言では無い。
マリアはもう一度同じ言葉を述べる。もう一度。またもう一度。
途切れ途切れに告げる二文字は、マリアの目に大粒の涙を滲ませ、そして流させた。
此処で一つ、補足すべき事実がある。それは、マリアの泣いている理由が、恐怖からでは無い事だ。
彼女は、最初の「嫌だ」の直後から、細い首を両手で絞められている。
「や……、ぃ、や……っ」
マリアの呼吸が止まったのは、そのすぐ後だった。
両手を離した母親は、そこで放心状態に陥る。自分のした事が、信じられなくて。
ダラリと。肩から先はおろか足からも力が抜けて、母親はその場に座り込んだ。たった今、人を殺した感触が手に残っている。母親は無性に自分の首も絞めたくなった。けれども、ソレをする気力がどうにも湧いて来ない。
我が身が可愛いのか――そうでは無い。本当に何の気力も無くなってしまったのだ。自分が本当は何をしようとしていたのかすら、忘れかけるくらいに。
「そこの人ー? もしかしてこの近くの村の人ですかー?」
それは若い女性の声だった。
成人女性なら、長い髪を肩につかないよう纏める事が主流のこの国では珍しい短い赤毛が印象的な女だ。
「ぅわお吃驚! 早速殺っちゃてる人がいるじゃない!」
随分と呑気に声をかけてきたかと思えば、倒れているマリアに気付いていなかったようだ。しかし、女は目を輝かせており、殺人犯と死体を見た人間が取るには、奇妙を通り越して異常な反応を示している。何しろその女は、マリアの死体を調べ始めたのだから。
「うんうん、ふむふむ……よし、セーフ! えーと、お姉さん……オバさん? 見た感じまだ若く見えるしお姉さんでいっか。良かったわね、私がこの辺り一帯に術式を施していなかったら、完璧に殺人犯だったわよ」
はて……? 何の事だ? と、母親は女の言っている内容がいまいち理解出来なかった。だが、女はケラケラと笑って、次の瞬間とんでもない事を宣う。
「だって、死者は首絞めただけじゃ殺せないもの」
母親はマリアを見た。すると丁度、咳き込みながら起き上がる少女の姿が視界に入る。マリアは自分の両手の平を覗き込み、そして指を微かに動かしながら「……生きてる」と、本当に言った本人にしか聞こえないくらい小さく呟いていた。
だが、女は反論する。
「ちゃーんと死んでるわよ。死因は絞殺じゃ無いけど」
「……だぁれ?」
「あー……、ニアでいいわ。ちょっと今本名言えないのよ」
投げやりともとれる言い方のニアという女は、「それより」と綺麗に微笑む。
「死んでみた感想はどう? やっぱり開放感とかあるの?」
一拍、間が空く。だが次の瞬間、乾いた音が響き渡った。
マリアが、わざわざ目線を合わせるためにかがんだニアの頬に平手打ちを食らわせた音だ。
「良いわけないでしょ! こんなの気持ち悪い! 元に戻してよ!」
有りったけの声で言い放つマリア。
一方で、ニアは叩かれた頬を押さえてしばし無表情を作っていたが、
「うん。可愛いから許す!」
意味不明な思考回路が導き出した答えをそのまま告げて、彼女の平手打ちをチャラにする。
「やっぱロリは最高よね。ショタも好きっちゃ好きだけど、私のストライクからは外れるのよ――――って、そうだそもそも声かけた目的忘れてたわ」
ニアは危ない発言と独り言ちた直後に母親の方を再び向いた。
「この近くに珍しい魚が釣れる湖が有るって聞いたんだけど、方角わかる?」
「……それは――」
聞かれた母親は、おそらく彼女が言っているであろう湖を頭の中に思い浮かべ、簡易的だがその方向を指差した。
「うん、ありがと。教えてくれたお礼に良い事を教えてあげましょう!」
まるでそれが、元々二人に近づいた目的だったかのような口ぶり。だが母親もマリアも、違和感には一切触れず、彼女の話に耳を傾けた。
「そこで寝てる彼、起こす必要は無いのよ」
ごく普通に、彼女は滑らかな口調で続ける。
「彼は夢を見ていて、その夢はこの周辺では現実になりつつある。要は実体を得ているって事でしょう? だったら、彼が、自分の出てくる夢を見たら、それもそのうち実体を得るのではなくって?」
二人とも、目から鱗が落ちた気分だった。その方法なら、村人たちが再び消える事が無く、ラヴィを結晶の外に出したも同然だから。
ニアは、少しづつ二人から離れて行く。
「この方法には、血がたくさん必要よ。最終的に精神を他の器に入れ替えるんだもの、禁術に近いわね。生贄無しは無理。……それでも覚悟はあるかしら?」
何故かは分からなかった。
だが二人とも、何の疑問も不信感も恐怖も抱かず、言葉の意味が決して解らないわけでは無いのに、彼女の問いかけに頷いた。
ニアは唇に弧を描くと「最後に――」と、付け足す。
「本当に成功させたいなら、聖女に協力を要請しなさい。彼女にも、一応言ってあるから♡」
そこで、オリエッタ達の脳裏に流れてきた記憶は、途切れた。
次の更新は明日です。




