百鬼夜行
回想入ります。
人によってはちょっと今回、読み辛いかもしれません。
昔、ラヴィは城でとある占い師を看取った事があった。
魔獣の攻撃からラヴィを庇い、深手を負った美しい占い師は、柔らかい声音で、視えた未来について語った。
「貴方は、いずれ選択しなければならない。……まあ、人生とはそもそもソレの繰り返し――珍しい事では無いのだけれどね。でもきっと……貴方は自分の願望を抑え込めない。優しい人だから……遠く無い未来のその選択だけは――選べない」
彼は、否定の声を上げた。だが、その声が彼女に届いたかどうかは定かでない。彼女はもう、何も視る事も、語る事も出来なくなっていたから。
***
「ラヴィ!?」
突如倒れたラヴィに、ロミルダが駆け寄る。そうしてごく当たり前のように、うつ伏せに倒れた彼の体を仰向けにして、膝に頭が乗るようにした時だった。
ラヴィの体が、足から上へと、少しずつ透けて行く。ロミルダ、ノエ、エドガーは思わず息を呑んだ。しかし、ラヴィがそうなったであろう原因である少女――マリアは冷たい声を浴びせた。
「チッ……また引きこもったか」
温厚な宿屋の従業員の皮を完全に捨て去った彼女は、いつの間にかセリーヌの首から腕を解いている。
「…………また?」
彼女の台詞を聞き、一番に反応を見せたのはエドガーだった。
しかしマリアは、彼へ視線だけは向けたが、何も言わずに顔を背ける。まるで、お前と話す時間など無駄だと言っているようだ。
あからさまな態度に、エドガーが内心でカチンと来た事を察したのか、セリーヌがマリアのやや前に出た。
「初めてでは無いのですよ。核心に迫ると、彼はこうなるのです。元々、実在している方が異常な事ですが……」
――――ヒュンッ!!
細く、だがとても鋭利な音と、、セリーヌとマリアの首を何かが通過して行くのは同時だった。
「ふむ。……いきなり無視してくれちゃったお礼が出来たと思ったのですが、どうやら貴女方もそのクソと同類のようですね」
冷静に告げた首斬り処刑人もといオリエッタへと、エドガーがツッコミの如く「いきなり何やってんのお前!?」と、勢いよく振り向き目を剥いている。
「なるべく威力を落とした風の魔法で首を刎ねようとしただけですが? 何か?」
「空気読めないって言われて当然だよ! 何の前触れもなく首刎ねに行く奴があるか!」
「油断しきってる敵に『貴女の首刎ねて良いですか?』なんてお伺い立てる馬鹿を、私は知的生命体とは認めません」
「そうじゃなくって……!」
言葉が通じているようでまるで通じていない少女に、エドガーは頭を抱えざるを得ない。
しかしオリエッタは、そんな相方の苦悩など何のその。ブツクサと「でもそうなると……さっき避けたのは……」とか何とか、一人で考え事をしている。
そんなオリエッタの小さな声が、セリーヌの耳には届いたようだった。
「術式が完成間近なだけですよ」
一旦、苦笑を浮かべてラヴィを見つめ、そして再びオリエッタたちに視線を戻すセリーヌ。彼女は微笑んでいた。
つい今しがた憎悪を抱いた相手に。
情け容赦なく己を殺しに来た相手に。
いわゆる‘‘余裕に満ちた笑み’’だった。
「正直なところお二方には、散々邪魔をしくさってくださった謝罪を求めたいところなのですが、まずは事情をお話しでもしませんか? 私達に攻撃が当たらないのですもの、戦闘など無意味だとそちらもお分かりでしょう。それに、話してみれば、そちらも色々と分かって下さるはずですわ」
「「あ、興味ありません」」
オリエッタとエドガーの声が見事にハモる。更にオリエッタは「何の話かは知りませんが、貴女のような人の口から出た事を信じる訳が無いでしょう」と、胡散臭い物を見るような目になっていた。
「では、これならどうでしょう――――『紡ぐ。音よ、言の葉で遊ぶ道化を縛れ』」
ふわりと。セリーヌの手元でつむじ風が起きるや、彼女の右手の中指に青い石の指輪が嵌っていた。
「……分かりました。退屈しのぎに貴女の話を聞きますし、その内容が真実だと認めましょう」
あっさりとオリエッタが掌を返したのは、彼女が使った魔法を知っていたからだ。セリーヌが使ったのは、狐疑の精霊との一時契約。嘘を吐くと、指輪を嵌めている者がじわじわ焼け死ぬ――拷問と極刑の間みたいな魔法だ。有り体に言って、最悪の部類に入る魔法である。
「分かっていただけで何よりですわ」
穏やかな笑みを浮かべたセリーヌに共感しているかの如く、青い石が淡い光を放っていた。
***
「私個人の意見となりますが、この一件は『ただただ運が無かった』と、そう言えましょう」
声の主がセリーヌだと気付くのに、時間は要さなかった。特に慌てたりはせず、ラヴィは冷静に、その話に耳を傾ける。
「まあ……ラヴィ様が愚かだったと言っても良いのですが……」
しばくぞ腹黒女! と、もう少しで言い放つところだったのを、ラヴィはギリギリで押し留めた。
「不思議に思いませんでしたか? 何故ラヴィ様が実家に帰らず、宿屋で寝泊まりしていたのか」
その言葉が聞こえた瞬間、ラヴィはまるで空気が抜けて行くように、内に押し込んだ怒りがしぼむ音を聞いた。
あれ? と、彼自身が首を傾げる。
そういえば、何故この村に実家があるのに、自分はあの宿に居たのだろう?
それに何よりも、可笑しな事に気が付く。
「何故彼は、この状況下で母親の事を路傍の塵程も気にしていないのでしょう?」
彼女の言う通り――彼は、故郷を消される事を良しとしなかった。そこに住む村人を護りたいと思った。だが、そこに自分の母親の影が、無かったのである。
小さな頭痛を覚えて、ラヴィは片手をこめかみ辺りに持って行く。警報のような頭痛だが、何がそうさせるのか。
少しくらい引っかかりそうなものだが、ラヴィには思い当たる節が全く無く、ただ痛みに耐える事しか出来ないでいれば、そんな彼の耳元で囁くように、次のセリフが滑り込んできた。
「そろそろ勿体ぶるのは止めましょうね。答えは、彼の母親が、術式の余波でその存在感を消されていっているからですよ……大事な息子の心を護るために」
ラヴィは、何を言われたのか分からなかった。
彼の母親は一般人だ。魔法など使えない。
「使えませんが、基礎はある程度あります。だって、ラヴィ様が教えたんですもの」
それは何時の話だろうかと記憶を掘り起こす。
だが、彼の中にある一番新しい母の思い出は、彼女等によって王宮へと連れて行かれた誕生日の翌日、つまり――
「――『別れの日』だと、ラヴィ様は思い込んでいらっしゃる事でしょう」
まるでラヴィの心を読んだかのような言い回し。だが、偶然である。
「ラヴィ様は、自分がお母様と最後にお会いになったのが、あの大嵐の誕生日の翌日だと……本気で思い込んでしまった」
口惜しいと言わんばかりの物言いだった。
セリーヌは語る。彼がまるで知らない、彼の物語を。
ラヴィは、聖剣の称号を得るまでも、得てからも、頻繁に帰郷する事を許されていた。それはラヴィの力が、家族や知り合いの元で、精神状態を安定させていればいるほど発揮しやすいと、明確に数値化されたからだ。明るく人懐っこい性格だったラヴィは元々老人や子供に人気があったが、王宮で学んだ座学を友人にも教えている内に、友人達の親をはじめとした大人達にも、大切にされるようになった。そうしている内に彼も成長してゆき、頼まれ事を多くされるようになった。冒険者ギルドに頼むような凶悪魔獣の討伐など、いわゆる荒事の対処である。ギルドに頼むと金がかかるが、ラヴィに頼めばタダな上に準備運動感覚で済ませてくれる。無理も無い。いつしか、ラヴィは村全体のムードメーカーのような中心的な存在になっていた。
ところで、平穏な日々とは突然終わるものだ。それはシュベルク村も例外では無かった。そもそもラヴィが最初王宮に連れて行かれた名目に、敵からの保護が含まれている。『闇の者達』と呼ばれる明確な敵が、彼には存在する。故に『シュベルク村が彼等の襲撃に遭っている』という報せを受けた瞬間、ラヴィはすぐさま王都から飛び出した。
本来なら馬を休ませる事無く走らせ四日かかる距離を、彼は魔術師ギルドの転移陣を利用して数秒で移動した。
血と悲鳴、絶望。……それだけでは無い醜悪さ。
村は、彼が想像したよりも悲惨な状態になっていた。
彼の目の前で繰り広げられている惨劇が、『闇の者達』の襲撃では無かったからだ。
それは、未然に防ぐ事が不可能な圧倒的な暴力。自然災害だった。この世界で、初めてその災害の起きた場所が東の果ての国であった事から、ソレはこう呼ばれている。
『百鬼夜行』。実際には百以上……千、万……否、数える事自体が馬鹿馬鹿しくなるような魔獣の軍勢が一気に押し寄せ、魔獣以外の生き物を喰い散らかす――最悪にして最凶の神の気紛れ。
だが、そう記録にある百鬼夜行とは何処か違う気がした。
本来ならシュベルク村のような小さな規模の村は、既に見る影も無いはずなのだが、叫べる程度の生存者がまだ残っている。彼が念のため護衛にと置いていった精霊達のお陰、と結論づけるには異様な光景が、そこにはあった。百鬼夜行自体が頻繁に起こる現象では無いため、以前の記録が正確で無かった、若くは記録者の目に入らなかった可能性もある。よって『異様』と明言するのは少々おかしいが、ラヴィの全神経がそう訴えていた。
肉と骨を一心不乱に噛み砕いている魔獣達の顔が、欲望のままに食事をしていると言うより無理に不味いものを食わされているかのような、苦痛に歪んでいる事が、彼には異様に見えた。
しかし、地獄のような現実を前に考えている余裕は無い。ラヴィは獅子奮迅の勢いで魔獣共を斬った。一分一秒を惜しむかの如く手足を動かし、視界に入った魔獣を片っ端から斬り捨て、殴り飛ばし、踏み潰して転がした。
それでも、ラヴィは所詮人間だ。いくら鍛えているとはいえ、体力の限界が訪れるのは早かった。跳びかかって来た猿型の魔獣の心臓を、一突きにしたはずだったのだが、疲労から狙いが逸れていたらしく、まだ息があったようだ。剣が貫通した事で宙ぶらりんになったその魔獣は、蹴り上げる形でラヴィの腹を抉った。爪には毒があったのか、ラヴィは身動きが取れなくなりその場に倒れた。
――終わった。
魔獣共が群がってきた瞬間に、ラヴィの脳裏に真っ先に過ぎった己の結末。
だが、ここで不思議な事が起きた。予想していた痛みがいつまで経っても訪れず、蟻塚のように固まって動く虫のような小さな魔獣が、倒れている彼を上から覗き込んだのだ。そして――、
「ラヴィ」
――その魔獣の中に、人間が居た。
固まりの上部がモゾリと開き、彼のよく知る人物が苦痛に満ちた表情を浮かべて、彼に語りかけてきたのだ。
それは、ラヴィの母親だった。
ごめんよ。
ごめんよ……こんな母さんで。
か細い声で、母は泣きながら謝罪する。
涙は黒く、魔獣に呪われ、今まさに喰われている最中なのだという事が嫌でも分かった。
母は話した。なぜ話せるのか、そんな余裕があるのか――ソレは彼女を伝令に使うと、村を襲っている魔獣達が決めたからだ。
魔獣達の言い分は、『傷を治してやる。だから百鬼夜行を止めたければ、お前が残っている村人を全て殺せ。ソレが嫌なら母親を殺せ。ソレも嫌だというのなら、黙っていろ。邪魔をするな』だった。 村人達を殺すなら、母親は助けてやると最後に補足される。
どういう事なのか、ラヴィにはさっぱり理解できなかった。だが思考を巡らせるよりも前に、母が魔獣達のものでは無い――自分の言葉を告げた。
「母さんを、殺しな」
ラヴィは、自分の頭の奥が急激に冷えた事は、かろうじて分かった。だが微動だに出来ず、母はそんな息子にもう一度自分を殺せと告げる。
ラヴィは拒絶した。心の底から「嫌だ」と思った。母が最期の頼みだからと言っても聞かなかった。聞けるわけがなかった。
大切な実の母親と、温かい村人達を天秤にかける。
選ぶなどと、わざわざ言うほどの事でも無い。
彼の体が淡く光った。治癒魔法だ。どの魔獣が使ったかなど彼にはどうでもよい。つい先程まで守りたかったものを簡単に殺してゆく。一人でも多く、多く、多く、魔獣達の餌になる前に。
絶叫。絶叫。絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫絶叫。
ラヴィに斬られる者の。
片手で魔獣の口の中へ放り投げられる者の。
そして、ラヴィ自身の。
誰かが「裏切り者!」と泣き喚いた。誰かが「悪魔め!」と罵った。ソレでもラヴィは手を止めなかった。守りたかった大切な人達を、自らの手で殺め続けた。
心が壊れていく音を聞いて、しかし聞かなかったフリをして……自分には、傷つく資格など無いのだと刻み込む。
その結果……。
「兄さん……なん、で?」
最後の村人である小さな少女が、虫の息で彼に問いかけた。『兄さん』と呼んでいるが、彼の本当の妹では無い。ただの近所の子供だ。
少女の問いかけに、ラヴィは「母さんを助けたいからだ」と言い放つ。だが、
「おば、さん…………死んでる、よ……?」
少女の言い分に、ラヴィは目を剥いて背後を振り返った。
そんなまさか、と。しかし、この少女がここで嘘を吐く事でラヴィの意識を逸らし、逃げ出そうとするような性格で無いことを彼は知っていた。故に信じたく無かったが、確かめないわけにもいられず――見てしまった。
もはや、描写するのも憚られる――おぞましい姿になってしまった母親が地面に捨てられ、それでも尚魔獣の餌として蹂躙されている様を。
騙された。
そもそもなぜ信じた。
今自分がした事は、全て無駄。
ただ守りたかったものを壊しただけ。
人の道から外れただけ。
たくさんの感情で、胸の奥をドロドロに汚されたラヴィは――
「うわあぁぁああああああああああああ‼︎」
獣のように。理性も何もかもかなぐり捨て……聖剣の力を暴走させた。
今後の展開上不都合な部分が有ったため、一カ所だけ急遽切り取りました。
ですのでおかしな部分が大胆にあるかもしれません。もし見かけた方が
いらっしゃいましたら、いつでも感想の方で文句つけちゃってください。




