激昂する者
まだ死にたくない。
死ねない。
助て。
セリーヌ・ブランズの一日は、ベッドの上で己の両耳を押さえつける事から始まる。
毎朝毎朝。目覚めが近付き、眠りが浅くなってくると彼女の耳、……否、心が国民の強い思念を、セリーヌの意思とは関係無しに引き寄せてしまうのだ。苦しんで苦しんで、結局何も成せず絶望しながら朽ちる間際の声が多い。
セリーヌもそうだが、聖女となった女性達はコレを『呪い』と呼んだ。
大国に貧富の差は付きものだ。聖女一人がどれだけ頑張っても頑張っても、救えない命が圧倒的に多いのは、当然の事だ。
これ以上どうしろと言うのか、時には一の犠牲で千を救う決断も下さねばならない。全員を救う事など夢のまた夢。救えるものならば救いたい。救いたいが、何も出来ない。そう己の無力さに涙を流す聖女は、少なくなかった。
しかしその日、セリーヌの耳は、いつもと些か違う……変わった単語を拾った。
『護りたい』。
絶望の声とはどこか違う。更にセリーヌが引っかかったのは、その声だ。
どこかで聞いた事のある声だと彼女は思った。
いつもは絶対にやらない事だが、セリーヌは耳を塞いでいた手を放し、逆に声がよく聞こえるように神経を研ぎ澄ませた。
たくさんの絶望の声に頭が痛くなる。だが、砂の海から一粒の砂金を探り出すように、根気強く耳を傾けて……。
「…………え」
思わず目を見開き驚愕したが、数秒後に彼女はある決意をする。
誰かの暗示のような頼まれ事と、脳内で重ねながら……。
「大丈夫です。貴女の願いは、しかと聴きました」
セリーヌがシュベルク村の廃教会でラヴィと対峙するのは、この数年後の事だ。
***
「やはり貴方様は、不自然な点に気付いていらっしゃらないようですね」
「奇行しかしねぇテメェからすれば、常識人の行動は全部不自然に見えるんだろうな」
セリーヌは落胆したような目で、小さく「まあ、それなら邪魔にならないので良いでしょう」と、独り言を呟く。
「ノエ君、ロミルダちゃん。足止めをお願いします」
いの一番にラヴィを襲ったのは、ロミルダの戦棍による猛攻だった。武器のサイズから軌道は大雑把であるが、重く、そして早い――掠るだけでも重傷を負いかねないそれを躱す彼の口から、舌打ちが鳴る。
「ソレは使えなくなったんじゃねぇのかよ!?」
「ノエ君に急ピッチで直させました」
再度、祈りを捧げるセリーヌの声は淡々としていて、彼女の言葉を聞いたラヴィの「ああ! そういやアイツ天才魔術師だった!」という悲痛な叫びが木霊した。
***
結局、これは具体的にどんな魔法でせうか?
思い切って村の中心まで来てみたオリエッタとエドガーは、輝きが増す魔法陣を見上げながら、同じ疑問を脳裏に浮かべた。
「で……俺より学のあるオリエッタさんや、答えは出たか?」
「何で貴方そんなに偉そうなんですか」
「いや、俺も元クソ飼い主に魔法ちょっと教わったけど、流石にこの規模は教えられてないから。……原理の『げ』の字も分からないんだよ。だから完全にお前頼み」
「余計偉そうに振る舞える理由が謎ですよ……っ!? ……なんて、ツッコミ入れてる状況じゃ無いですし。……むぅ~~、よくよく見たら記憶してる魔法陣のどれにも掠らない! これもしかして貴方と同じ固有魔法ですか!?」
ウガー! と、今にもオリエッタは唸り出しそうだった。
ちなみに今現在、村の中央にはオリエッタとエドガーしかいない。村人は、一人も居ない。空の魔法陣を見て家の中に隠れたわけでも無ければ、村の外へと逃げ出した訳でも無く、忽然と姿が消えたのである。
だからオリエッタは余計に混乱していた。まだ魔法は発動していない。にもかかわらず、魔法が発動した後にあるべき結果が出来上がっている。『死者の村を消す』という目的が既に達成されているというのに、術の発動者はソレを止めていない。ならばこの魔法は、何の為に――何を殺し尽くす為に今も尚準備されているのか。
「実はあのクズ一人を確実に殺すためとか?」
オリエッタの思考を読んだかのようなタイミングで口走ったエドガーだが、彼女から返ってきたのは、無言で首を左右に振る動作だった。
「それだと手間と人件費の無駄遣いですよ。アレを確実に始末したいなら、自殺させるのが一番早くて楽です」
オリエッタがサラリととんでもない事を言ったため、エドガーは目を剥いた。
「あんなに甘々ぬっるいお花畑な脳みその持ち主ですよ? その辺の乳母車から赤ちゃん引ったくって、プニッと頬っぺにナイフでも刺しゃ、喜んで死んでくれますよ」
朗らかな笑顔を浮かべるオリエッタに対し、エドガーは引きつった表情を浮かべざるを得ない。
「ゲスエッタ……」
「んー? 貴方ってばドMなんですねぇ、『鼓膜を掻き混ぜてほしい』だなんて」
パァン! と。
頭の中でスタートダッシュの合図が鳴ったのか、エドガーは走り出した。
「そういう発想がゲスいつってんだよ!」
どこからともなく出した耳掻き片手に追いかけてくる悪魔から逃れる術は、果たしてあるのだろうか。……「諦めろ」という幻聴がなんとなーく聴こえて来るが、エドガーは無駄に綺麗なフォームで村の真ん中を突っ切って行く。
「誰かー!」
「助けを呼んでも無駄です!」
普通に考えれば遊んでいる余裕など無いはずなのだが、ちょっと普通で無いオリエッタの脳は、無礼者の処刑を優先したくて仕方ないらしい。
エドガーは死に物狂いで走る。が、調整に調整を重ねて造られた身体能力が極めて高いチート相手に、彼の全速力は通用しなかった。
ぐわしぃ! と……、首根っこを掴まれ耳の中に細い棒が入―― ドバァンッ!! ――る前に、二人の足元が爆発した。
流石に魔法陣までとはいかないが、高く高く煙が上がる。爆風で周囲の家の窓ガラスや屋根が割れたり飛んだりしているが、二人はオリエッタが張った結界により無事だった。
「もう、良いところだったのに邪魔したのは何処のお馬鹿ですか?」
「俺にとっちゃ助け舟だったけどないっだぁぁああああああ!!」
もしも漫画だったら、メタ発言をかますようなキャラが「良い子は絶対に真似しないでね♡」と言うに違いない耳掻き攻撃を喰らったエドガーの絶叫。それが随分と良い憂さ晴らしになったのか、オリエッタはニコニコ微笑んでいた。正に天使の微笑みである。
数メートル先の真正面で、異変が起きたにも関わらず。
異変――それは、人であった。
「あの……」
ややオドオドした様子で、一歩一歩、その『人』は近づいてくる。
死が蔓延したこの村で、数少ない生存者の少女。そして今現在、唯一の村人である少女。
『夜の骨』の従業員――マリアだ。
「えーと……大丈夫、ですか?」
スカートを両手で握って突っ立っているマリアの台詞である。オリエッタはその問いに対してにこやかに応えた。
「ご心配にはおよびませんよ」
一拍開ける。
続いた声音は、『冷たい』なんてレベルのものでは無かった。
「――だから、『赦す 存分に狂え 貴様が所望した赤い靴だ 死んでも踊れ』」
緻密で精密で複雑な、幾つかの魔法陣がオリエッタを囲むように浮かぶや、螺旋――否、最終的には六角形を描くように――六つの竜巻が吹き荒れた。
***
その時、セリーヌの表情は驚愕と憎悪に歪んだ。
「あの小娘……」
外見だけなら彼女も十分すぎるくらいに小娘なのだが、そんな些細なことを突っ込む人間は、今ここに居ない。
「こちらの苦労も知らず……どこまで野蛮であれば気が済むのですか彼女は……」
ゆらり、と。燃える火のように祈りの姿勢から立ち上がるのと同時に、彼女の背後が光る。
それはノエ、ロミルダと、ラヴィの戦闘が未だ終わっていないという事で、またノエが魔法を放った事を意味していた。
『いつまでやっているんだ』と内心でセリーヌは悪態を吐くが、空気から異変を感じ取り、切羽詰まった表情で叫んだ。
「皆様方、こちらへ!」
暴れるノエとロミルダに、セリーヌは自分の展開していた術式を一旦中断する。それは雷撃系の魔法をノエが放った瞬間であったのと同時に、
――――ッ!!
音。紛れもなく、それ以外の何物でもない自然現象。だが、そう言い表すにはあまりにも破壊的で壊滅的なもので、教会を俗世から切り離すように囲っていた森が、アッという間も無く更地になった。
彼等――ラヴィ・ノエ・ロミルダ――が、その正体を風だと認識するのに要した時間はおよそ三分。「魔獣の大群が通り過ぎた」と言われた方が、まだ納得出来る荒廃ぶりを見せるそこを、生温い風が通り抜けていったからだ。
時に、なぜ彼等が無事だったのかと言うと、
「おやまあ、全員を魔法で助けるなんて……聖女らしいところがちゃんとあるのですね」
――少し前まで、教会の大きな扉があった場所に降り立った赤目の少女の言う通り、セリーヌが結界の魔法を使って全員を風から守ったためだ。
「オリエッタ・アンフェール…………ッ」
恨みを込めて。怒りを込めて。
「殺してやる」と、目が告げていた。オリエッタのフルネームを口にしたセリーヌの声は勿論の事、瞳も表情も、彼女を構成する全てが憎悪に染まりきっていた。
「私の予定を滅茶苦茶にしてくれた落とし前、つける算段はございますの?」
「……っ。頭痛が酷いので、小賢しい殺気をぶつけないでくださいます? あとその言葉、ソックリそのまま返してやります」
しばし、無言で厳しい視線をぶつけ合う二人。
そんな彼女らの間を「うおおおおおお!?」と耳障りな喚き声が遮った。
気絶しているマリアを横抱きにしたエドガーが落ちてきたのだ。ちなみに、エドガーの足は大変な事になっているが、マリアは無傷だ。
「え……?」
『拍子抜け』という言葉が、ピッタリ似合う呟きを漏らしたのはセリーヌ。
「何をやっているのですか……」
続いて、呆れた溜息を吐きオリエッタが頭を抱える。
当然の事だが、彼女の言葉にエドガーは吠えた。十歳児の中では平均的といえど、発育の良い女子高生くらいの女性を抱えるには小柄な体型であるため、すぐさま重たいソレを腕から下ろして。
「何って! お前がいきなり竜巻で吹っ飛ばしたんだろうがよっ!!」
「だからって、何いらんモン助けてるんですか。アホですか」
「お前がな! ただの村人を瞬殺するのは――」
「ドアホッ!」
情け容赦無い乾いた音が鳴る。言わずもがなオリエッタがエドガーの頬をブッ叩いたからだ。
「あそこで今日まで生きていた上に、今誰も居ないあの村の唯一の人間ですよ! これの意味するところが『偶然』で片付けられますか!?」
――ヤベェ、やらかした。
オリエッタの台詞に、ようやくエドガーは気付かされたが、一足遅かった。
マリアの閉じられていた瞼が開き、口元と一緒にニタリと緩む。あまりにも毒々しい笑みで、間近でその表情を見たエドガーとオリエッタは、悪寒を覚えた。そして、当然ながらマリアは、その瞬間を見逃さず……、
「ご親切にどうも」
人形のように通常の人間の関節を無視した動きで、飛び跳ねるウサギのような俊敏さで、一瞬でエドガーの腕から離脱し、セリーヌの背後へ滑り込むように周って、その首を腕でへし折る体勢に入った。
「動くな」
ノエが鬼の形相となって動こうとしたが、静かに響いたマリアの声に足を止める。彼が何をしようとも、マリアがセリーヌの首をへし折る方が早い事は、火を見るよりも明らかだ。
マリアは空を見上げ、毒々しい笑みに恍惚の色を添えた。
「もう八割は完成しているのね。不安要素が少しあるけれど、私でもどうにかなりそうだ――わ!」
彼女が大きな独り言を最後まで言い切る前に、大鎌がセリーヌごとその首を掻っ切らんと横一線に凪いだ。
音も気配も無く、ただの一般人であれば当然目で追う事も出来ないほどの速さであったが、マリアはセリーヌを抱きしめて背後に跳ぶ。そして自分達を殺そうとした少女を、ゴミでも見るような目で睨んだ。
「空気読めないの? 今はサービスで避けてあげただけだけれど、普通は人質取ってる人間に危害加えようとしたら、人質に怪我させてるとこよ?」
「空気を読む必要性を感じません。私にとっては、どうでも良い人ですから」
大鎌を再び構えるオリエッタの言い分を聞いたマリアは、「あはははは!」と笑いノエを――否、その背後に居たラヴィへと視線を移した。
「ラヴィさん。この魔法、実は『時戻し』じゃ無いんですよ」
マリアが告げた時、ラヴィは黙っていた。
村が今どうなっているかはともかく、オリエッタが言った通り、マリアがただの宿屋の従業員では無いという面からの警戒。突然何を言いだすんだこの娘は……という混乱。『時戻し』で無いならなんの魔法なんだという疑問。何よりも、村に帰ってきてから今まで騙されていたという事から来る怒り。
複数の感情が混ざって、表情ですらどう反応すべきか、彼は迷わざるを得なかった。
一方でマリアは、ラヴィの事など構う事無く言葉を続ける。
「ただ……『皆幸せになりたい』っていう、それだけの魔法です」
だから、と。急に、これまでマリアの表情の大部分を覆っていた毒が失せる。
「ラヴィ兄さん、そろそろ本当の事思い出そうよ」
「……………………え?」
一瞬、ラヴィは複雑な感情に埋め尽くされていた頭が真っ白になった。
この少女は、自分を今なんと呼んだ?
否、違う。そんな事を疑問に思ってなどいない。
何故だ。何故自分は、初めて聞いたはずの少女の呼び方に既視感を覚え、体を震わせている?
ジメジメと、温いとも冷たい言い難い不快な汗がラヴィの体を流れる。
「思い出してよ。思い出せよ。じゃなきゃ私が馬鹿みたいじゃない!」
堪え切れない憤りに声を荒げるマリア。
だがそれを例えるならば『火山が噴火する』のように、綺麗には言い表せない。『真っ黒な泥が流れてくる』という方が似合いだ。
「思い出しなさいよ! アンタが――――」
続けられた言葉によって、ラヴィは無理矢理に鍵のかかった錠前を壊される音を、脳内で聞いた。
前にもありましたが、サブタイトルがしっくりきません。
どなたか良い案が有りましたら、ご意見下さると嬉しいです。




