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勇者死すべし  作者: 九木圭人
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第六話

 「そこで、だ」

 「こいつは?」

 ロブが新たな人相書きを取り出して俺とフーリアに見せた。

 フーリア同様俺も見覚えのない男だった。

 白髪の短髪で中肉の男。フリックのような俊敏な印象はない。


 覗き込んでいた俺達にロブが紹介する。

 「こいつはよろず屋のベッカーといって、冒険者相手に商売をしている男だ。奴らはこの男から冒険中に必要な物資を調達している。さっきお前さんの報告を最初に受けた時から考えていたんだが、連中のアキレス腱になり得るのはこいつ以外にはないと思う」

 勇者一行のアキレス腱になるというのは、どういう意味なのか。

 ――何となく想像はつくが。


 「お前さん方がくる前日に保険としてこいつの所に少し探りを入れたんだが、思った通りキュエルドー攻略の前日に大量の物資を連中に捌くことになっていた。生活用品、食料品、回復薬に探索用アイテム、ついでに勇者用の新しい盾も」

 「盗賊ギルドの方に探りを入れてもらえると嬉しかったわね。一女性の意見として」

 ため息交じりにフーリアが横やりを入れる。

 「ああいう連中は俺よりお前の方が適任だ。この後もここで仕事する身としちゃあ、あそこの連中に禁断の恋に目覚められても困る」

 どうやらフーリアは俺と違うやり方を採ったようだ。まあ、彼女ならそれが十分な威力を持つことは想像に難くない。


 「さて、今言ったように勇者一行はこいつに物資の供給を依存している。シンの情報からして小規模とは言えこれまでクエストをこなしてきたという事からも、今回奴から供給を受けられなければ、キュエルドー攻略自体を延期せざるを得ないだろう」

 「それで、いつやるの?」

 「俺の調べでは勇者への引き渡しは明後日の夕方になる。明日一日を準備に費やしたとして、明後日の早朝だ。奴は毎朝夜明けにファイアル寺院に礼拝に向かう。寺院前の直線で狙撃、でどうだ」

 「ちょっ、ちょっと待ってくれ」

 とんとん拍子に話を進めるロブとフーリアに俺は慌てて止めに入った。

 それは違う、それだけはやってはいけないような気がした。


 「どうした?」

 四つの目がこちらに集中する。

 「いや、だから。こいつはただの商人だろう?」

 二人は黙っている。先を続けろという事か。

 「俺は勇者を殺るためにここに来た。こいつはただ勇者と取引のあるだけで――」

 「つまりお前さん、無関係の人間を手に掛けたくないと?」

 ロブが重々しく、慎重な声を出す。


 「ああそうだ。俺は奴が、勇者が憎い。けど、それで他の人間を不幸にしていい訳じゃあないだろう?そいつらは関係ないじゃないか!」

 一瞬だけ、二人が目配せしたのが分かった。

 フーリアがすぐに目を俺に戻し、俺を正面から見据える。

 卓上のランタン以外の明かりがないこの部屋で、ゆらゆらと蠢くその炎に照らされた顔は、美しいがどこか作り物のような印象を受ける。

 言い逃れは許さない。曖昧な答えを認めないという強い意志を感じる眼差し。

 「あの奴隷娘に仏心を起こしたか?」

 「あ……いや……」

 ぐさりと、心臓をピンでとめられたような錯覚を覚えた。

 フーリアの声は冷たく、感情の感じられず、そして俺の本心をしっかりと正確にとらえていた。


 そうだ、俺はあの子を見た時から迷っている。

 勇者への、あの男への恨みがなくなった訳ではないが、奴がこの世界で一切誰にも関わっていないという訳ではない事をあの子に知らされた。


 そして彼女が今幸せそうであるという事も。


 勇者は憎い、だがその周りはそうではない。

 ロブが小さく溜息をつく。フーリアは俺から目を離さない。

 「奴隷の話をしたのは失敗だったかもしれねえなぁ……」

 ロブの呟きが、時間が止まったような薄暗い部屋の中に響いた。


 「シン。貴方の気持ちも分からないではない」

 少しの沈黙を挟み、フーリアはゆっくりとそう言った。

 「貴方やあの勇者のいた世界では、きっと奴隷制はタブーなのだろう?だが、この世界ではグレーゾーンではあるが黒ではない。あの娘も恐らく自分でわかっている筈だ。『自分が並はずれた幸運の持ち主だっただけで、奴隷は他にも文字通り売るほどいる』と」

 「それはっ」

 言いかけた俺をフーリアが片手で制した。まあ聞け。

 「聞いたことはあると思うが、あの勇者をのさばらせておけば、やがて現在の危うい均衡は崩れる。力の均衡が失われた先にあるのは平和ではなく混乱だ。そして混乱は、あの娘のような奴隷を大量に生み出す」

 理屈の上では分かる。奴隷は経済的、政治的、様々な要因で生まれるだろう。住む家を失った者、職を失った者、故郷を失った者その他諸々。

 「成程、貴方の言う通り関係ない人間を巻き込まないという姿勢は立派だ。だがそれで勇者がキュエルドーに行くのを、手をこまねいて送り出したとしよう。次に奴が貴方の理想通り、単独で隙を見せるのはいつになる?勇者は奴だけではない。一人一人にその条件を適用できるまで時間をかけていたらどうなる?山ほど生み出される奴隷に対して、その全員に“並はずれた幸運”を誰が用意できる?あの娘に対して月並みな感情を抱くなら冷静になってくれ」

 これも、理屈の上では分かる。だが、見ず知らずの相手を殺せと言うのは……。

 再び沈黙が支配する。

 何か言い返さなければ、無関係の商人を殺すのを何とかして回避しなければと考える。

 だがどんなに考えてもそんな名案は浮かんでこなかった。むしろその逆、フーリアの考えの方が遥かに合理的であるという思いが、一秒ごとに強くなっていく。


 どれだけ沈黙が続いただろう?体感的にはもう一時間もそうしているような気がした頃、わざとらしい咳払いが一つ。

 「兎に角、明日は早朝のあの辺に慣れておいてくれ。こちらは必要な準備をしておく。いいな?よし解散。明日まで休め」

 それを合図にフーリアは俺から目を離しテーブルの上のランタンの灯を消した。

 一瞬で完全な暗闇が生まれ、すぐにロブが持っていた小型のランタンの光が浮かび上がってくる。


 部屋を出た俺達は、それぞれ宛がわれた宿の部屋に戻り休むことになっている。

 昼間は気付かなかったが、今いるこの勝手口兼倉庫には食器棚の裏に客室のある2階に上がるための小さな階段が設けられていた。

 そこをあがると二階の一番端、2階用の物置という事になっている部屋に出る。

 なっていると言っても、実際にそうなのだが、関係者以外立ち入り禁止という事にして鍵をかけてあるため、仮に部外者が近づいてもこの階段を発見することは無い。


 「割り切れ、仕事だ」

 俺が宛がわれた部屋のドアノブに手を掛けた時、肩にポンと触れてフーリアがそう言った。

 いつもと同じ平坦で感情の読めない声だが、どこかしら思いやるような、同情するような柔らかいものを感じたのは、俺の思い込みだろう。

 振り返った時には既に、向かいにある彼女の部屋の扉はピタリと閉じられていた。


 部屋は表向きは流行っていない宿屋らしく、薄暗く、黴臭く、質素だった。

 唯一良い所があるとすればちゃんとベッドで寝られるところだろう。と、部屋の隅に丸められているハンモックを見て思った。流石にあれではなかなかぐっすりとはいかないだろう。

 これまた黴臭く、薄い煎餅布団に横になると、ギシリと背中で音がした。

 蜘蛛の巣が複雑な形に張った天井を見ながらさっきのやり取りがリピート再生されている。

 俺は勇者を殺すために転生し、フーリアやロブに出会った。

 奴が憎い。そして奴はこの世界にとって混乱をもたらす。

 ――その過程で誰かを幸せにしてもだ。


 逆に考えよう。

 奴は誰かを幸せにする。奴のお蔭で誰か幸せになる。

 あの奴隷の娘は奴隷ではなくなった。

 ベッカーとかいう商人は良い顧客を得た。

 ――だが行き着く先は混乱だ。

 その混乱の最中で、彼女や彼が無事でいる保証はどこにもない。

 そしてさっきのフーリアの話に戻ってくる。

 大勢の奴隷が生まれる。その全員を誰が救ってやれる?あの元奴隷の娘がまた再び奴隷として囚われ、ベッカーと言う商人が職を失った時、それは誰が救う?

 フーリアに言わせればこの世界で奴隷はグレーゾーンだそうだ。

 グレーゾーンという事は、つまりそれが無ければどこか成り立たないという事だ。

 表向きは平和な今でもそうなのだ。それが崩れれば、どうなるのかは分かりきっている。


 「あなたは線路のポイント切り替えに立っている……」

 ふと口に出した。

 アメリカの大学の哲学の授業だかで一時期日本にも紹介された話。

 トロッコ列車が暴走していて、このままでは線路上の五人の線路作業員を轢き殺してしまう。

 あなたは彼らに危険を伝えることは出来ないが、その線路のポイントを切り替えて暴走トロッコを待避線に逃がすことができる。

 だが待避線にも一人の作業員が居て、彼にも危険を伝える事が出来ない。

 彼ら六人がいずれもトロッコの接近に気付いていない時、あなたは五人を助けるために一人の待避線にポイントを切り替えるか?それとも一人を殺さずポイントをそのままにしておくか?という問題。


 一人を救うために五人を見殺しにするか。五人を救うために一人を殺すか。

 商人を殺せば勇者を殺せる。それによって見えない大勢を救うか。

 見える商人を殺さずに見えない大勢を危険に晒すか。


 さっきのやり取りがまたリピート再生される。

 頭の中にここに来てからのいろいろな顔が現れて回り出す。最初に出会ったフードの男が、フーリアが、ロブが、マグルフとその手下のスキンヘッドが、元奴隷の娘が、ぐるぐる、ぐるぐる。


 「……よし」

 俺はベッドから起き上がり、サイドテーブルの水差しから直接水を喉に流し込んだ。


 このトロッコ問題に答えは無い。

 水差しを置いて深く息をつく。

 しかし落としどころはあった。

 フーリアの言葉を反芻する。


 割り切れ、仕事だ。


(つづく)

本線と待避線両方見れる位置にいる人間の声が聞こえないという致命的な状況で監視もおかずに線路上で作業する作業員の危険予知能力の低さについて。

という訳で?また明日。

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