第五話
「親の借金苦で奴隷商人に買われたのを奴が買い取り、ギルドの下働きにねじ込んだそうだ」
黙り込んだ俺の気持ちを知ってか知らずか、ロブは補足する。
「よくそんなことまで知ってるわね」
「俺はここの連絡員だぜ?この町で転生者とその周りを洗うのが俺の仕事だ」
呆れるようなフーリアの声も、反対に得意げなロブの声も今の俺の耳は全て通り過ぎてしまう。
「話が逸れたな。この娘はギルドに住み込みで家事一般を任されている。事実上ギルド長の養女という扱いだ。気をつけろ、こういう奴は限られた相手以外には警戒心の塊だ。懐柔や誤魔化しは通用しないと思え。実際、勇者一行とギルド職員しかまともに話せんようだからな」
ロブの言わんとしているのはそこだったのだろう。
侵入した先で遭遇した場合極めて厄介だ。何しろこちらが隙を見つけるより先にパニックを起こすか逃げてしまうか、いずれにせよ大事になりやすい。
勿論、普通の神経を持っている者なら侵入者の話に耳など傾けないだろうが、変装して近づけば警戒が緩む場合があるのに対して、この手合いにとって他人は押しなべて敵か、少なくとも自分の生殺与奪を握る相手だ。
舌先に自信がある訳ではないが、話を聞いてくれないのでは変装の効果も半減してしまう。
だが俺の頭にあったのはそういう話ではなかった。
その話を聞いた時、俺は暗殺者のシンではなく、ただの浅井真になっていた。
そして今、俺は再びただの浅井真になっている。
「畜生。ありかよそういうの」
誰にも聞こえないように、口の中で噛み潰すようにそう呟いた。
俺の殺すべき相手は転生勇者。元ニートで俺の人生を壊してくれた張本人。危ういパワーバランスの上に成り立っている平和を破壊する者。
だが、目の前で寝息を立てている少女は、そいつに救われた。
奴隷として売り飛ばされればどういう人生が待っていたのかは俺には分からないが、おそらく今こうしてはいなかった筈だ。
机の上の、彼女宛の手紙に目を落とす。
差出人はギルドの若い職員。見える部分から判断するに、内容は陳腐な、しかし誠実なラブレター。
彼女がこれに対しどういう返事を書こうと思っていたのかは分からない。
たどたどしい字からも分かる通り奴隷として扱われていた彼女が満足に読み書きを教わっていたとは思えない。
返信の便箋には『拝読いたしました。お手紙ありがとうございます』という一文だけ書かれているが、実際には『必死に解読しました』とかの方が正確な表現であることは想像に難くない。
実際の手紙の文面より、辞書を見ている時間の方が長かっただろうという事が手に取るように分かる。
でもそれは、きっと彼女にとって幸せな事だ。
そしてそれを与えたあいつは、彼女にとって間違いなく大切な人間だろう。ロブの言っていたように、心を開ける限られた人間だとしても何も不思議では無い。
俺は、そいつを、殺せるのか?
奴が平和を破壊するとして、奴が俺の人生を壊したとして、元から平和でもなく、実の両親によって平穏な人生を破壊されている彼女を救った男を、はたして殺せるのか?
誰かの大切な人を俺は殺せるのか?
今までは、いや今も、あいつを殺すという気持ちはある。
あの日の面会で、泣きながら俺を罵った妹の顔は一生忘れない。
仕事を失って、家族を失って、塀の中で味わう孤独感、この世に居場所がなくなってしまったという事の絶望。
どれも忘れられない、最悪の思い出。
彼はあなたを殺しましたと、転生前に出会った男は言った。
確かにその通りだ。俺は奴の事は決して許せない。
だが、この子に罪はない。この子が悲しまなければならない理由はない。
「……糞め」
思わず呟いたが、彼女の起きる気配はない。
俺は踵を返して、冒険者や依頼者用のカウンターとは反対側の壁に据え付けられた大型のコルクボードに向かい、そこに張り出されているギルド所属冒険者の今月の行動予定表から奴と奴の仲間の予定を書き写す作業に入った。
何も今すぐ奴を殺す訳じゃあない。今俺に与えられた任務は、連中の行動を把握し持ち帰る事だ。
そうして持ち帰った情報をもとに計画を立てる。
いつ、どこで、どうやって襲えば確実か、最適な作戦を立てる。
それが終わったら次は……。
書きなぐり気味に必要な情報を書き取った俺は、逃げるようにして階段を上り、元来たルートを戻った。
そうだ。俺は逃げたのだ。あそこには居られなかったのだ。
「ようお疲れさん。つけられなかったな?」
「ああ……」
地下室に戻った俺をロブはそう言って出迎えた。
打ち合わせ通り途中の空き家で町人の格好に着替えた俺は、それでも尾行されていることを考え、宿には酒場を兼ねている玄関側から入り、バーテン役の連絡員に話をして裏へ回してもらう。
「よし、それじゃあ早速教えてもらおうか」
「……顔色が悪いぞ、大丈夫か?」
俺が出発する少し前、別の場所に調査に向かっていたフーリアが既に戻っていた。
彼女も同じ方法を採ったのか、行商人の旅装束に戻っている。
心配されるような位顔に出ていたのか。
「いや、大丈夫だ」
そうは言ったが、壁に掛けられた鏡に目をやると自分でも心配されるのがよく分かった。
頭を切り替えるつもりで鏡から目を離し、勇者一行の書き写しをテーブルに広げる。
「まず今後の奴ら三人の行動はすべて一致している。全員明日、明後日は町にいる予定で特にクエストを受注した様子はなかった。だが三日後からキュエルドー洞窟の探索に向かう事になっている。予定では五日間となっていたが、それよりかかるかもしれない。一昨日まで別の依頼でそれぞれバラバラに動いていたが、今日は三人一緒でハラオン峠に行っていた。ただのバミル鉱石収集クエストだ。困難もなく日中に終わらせている」
他の二人に見えるように書き写しをテーブルの中央にやり、該当箇所を指で追いながら説明する。
自分で説明しながら、こいつらは基本的に単独で行動する時間が極めて少ないという事に改めて気づいた。
奴は赤の少女こと魔導師のミリアと女剣士のアンジェとほとんどの場合において三人一組、場合によっては奴とどちらか一人の二人組で行動しており単独行動が見られない。別の依頼でバラバラに動いていた一昨日はまさに稀有な例外と言うべきか。
「成程、三日後か」
ロブが書き写しから目を離さず呟く。キュエルドー洞窟はここから徒歩なら片道一日かかるような遠い場所で、アーフェンのギルドの管轄ギリギリの場所にある。仮に早馬を飛ばしても半日では厳しいだろう。
「よし、わかった。フーリア」
ロブは次にフーリアに振った。
「さっきの話をもう一度こいつに聞かせてやってくれ」
「私は盗賊ギルドの方に探りを入れてきた。奴らと懇意にしている盗賊がいるという話をロブから聞いてね」
そう言って彼女は机に広げられた人相書きから一枚、抜け目のない印象を与える若い男の物をこちらに差し出した。
人相書きに書かれた人名を見る。『盗賊ギルドのフリック』成程、抜け目のない目つきは盗賊故か。
盗賊ギルドというものを最初に聞いたのはこの町に来る前の事だが、その時はかなり驚いた。
何しろ盗賊ギルドである。現実世界で『窃盗団のアジト』と看板を掲げている建物が存在するとは思えない。
その後、この世界における盗賊が現実世界におけるそれと大きく異なる性格をしており、窃盗犯と言うよりも斥候やトレジャーハンターと呼んだ方が近いような職業だった時には更に驚いたのは言うまでもない。
そしてこのフリックという男は、奴ら勇者一行と懇意にしているらしい。
冒険者の中にはそうやって盗賊と組んでいる者も珍しくないそうだ。
冒険者がどこかのダンジョンに向かう時には、まず組んでいる盗賊が先行してダンジョンの偵察を行いその情報をもとに探索を行うという方法らしい。
冒険者にとってみれば分け前は少なくなるが、安定した探索が可能となるというメリットがある。
むしろ冒険者ギルドよりずっと小規模である盗賊ギルドは、事実上冒険者ギルドの一部として扱われるケースも少なくない。
「だが一足遅く奴は昨日の朝町を発ったばかりだった。行き先は勿論キュエルドー」
キュエルドー洞窟との距離を考えれば今日には探索を始めているだろう。
フーリアがそこまで話すと、ロブはアーフェン冒険者ギルドの管轄地域の地図を広げ、東方の端にあるキュエルドー洞窟を指で示した。
「ここがキュエルドーだ。見ての通りここからはかなり距離がある」
その指がアーフェン側に滑り、南北に流れる川に当たって南下。街道近くの集落をぐるぐると指先が囲った。
「ここからキュエルドーに行く場合はここを拠点とするのがセオリーだ。道沿いに進めば半日で着く上に、洞窟との距離も近く、宿屋があるのはこの村だけだからな。恐らく先行したフリックは昨日のうちにここに宿をとり、今日は朝から洞窟に向かった筈だ。それで探索後は宿に戻って後から来る連中と合流……って所だろうな」
「三日後に連中が町を出てしまえば、次に戻ってくるのは早くても五日後だ。その後の予定は三人一組の行動ばかりで、単独になった奴を襲うチャンスは考えにくい」
フーリアが続ける。という事は、あと二日以内に決着をつけなければならないという事だ。あと二日で奴を……。
(つづく)
異世界転生者の奴隷解放する率は異常=転生者リンカーン説
冗談はとにかく、それではまた明日。