第三話
ギルドから離れた雑多な地区、所謂ドヤ街と呼ばれるような辺りまでやって来た。
普通こういう所を若い女性が歩き回るのはかなりの勇気と危機感の欠如が必要だが、フーリアは勝手知ったる自分の家、と言った感じでずんずん進んで行く。
「ここだ。少し待て」
俺に馬の頭を抑えさせ、正面突き当りの大きな廃屋に入っていく。
もともと何かの商店だったのだろうか、通りに面して大きなカウンターが設けられている。
フーリアはそのカウンターをくぐって建物の奥に首を突っ込むと、すぐにくすんだ白い旅装束の男を一人連れて出て来た。
「待たせたな。こいつだ」
俺を目線で示しながら、その男に紹介するフーリア。
男は既に中年と呼ぶべき歳だろう。皺の刻まれた浅黒い肌に錆色の顎ひげを蓄えている。
「ふうん……、まあいい。着いてきな」
男はそれだけ言うと、俺達の先頭に立って歩き出した。
向かうはドヤ街を少し門側に戻った繁華街だった。
ここの雰囲気は町の他の地域とは明らかに異なっている。
大きな町だけあってどこでも活気はある。だが他の地域にある活気とここの活気は異質なもののように感じた。
ここの活気はどちらかと言えば不健全な活気。繁華街の活気だ。
男はその中ほどにある宿屋を顎で示した。
「ここだ。馬車は裏へつなげ」
交易の拠点という立地条件とそれ故に各地から行商人が集まる町であるからして馬車を繋げるような大きな宿屋は他にもあるだろうが、ここはその大きさに見合うほどにぎわってはいないように思える。
言われるまま馬車を裏手に回して高い市壁と古い宿屋の壁に挟まれた場所に馬を繋ぐと、フーリアがそっと耳打ちした。
「貴方はなかなか好印象なようだよ」
そうは見えないだろうけど、と付け足して積み上げられたマンネアの袋の中から底の方に近いものを一つ掴み上げて抱えた。
後半部分は俺も同意だ。前半部分は予想外だったが。
「他の荷物はどこに?」
背中に尋ねた俺に、彼女は振り返らず宿の裏口を開けた。
宿の人間だろうか、そこから現れた男が二人軽く会釈すると、荷台から荷物を運び出していく――のだが……。
「手伝いますよ」
あまり慣れていないようで、どうしてももたつく。
仕方ない。昔取った杵柄という奴だ。
「……流石だな」
「まあね。どこに運んだらいい?」
肩をすくめたフーリアは俺を後ろにつけて宿の中に入っていった。
扉をくぐった先はこの宿屋の勝手口とも倉庫とも何とも言えない空間だった。
使われていない食器が古い食器棚に収められ、その周りには小麦や塩の入った麻袋、更に肉や魚の塩漬けを作っていると思われる樽がいくつかと、バケツやら箒やらが乱雑に置かれていた。
左側のボロボロで薄い木の扉からはおそらく厨房に通じているのだろう、鍋の音と何かを煮ている臭いが漂ってくる。
「その辺に積んだらこっちに来い」
麻袋の一団を指してそう言いながら、フーリアは右側の部屋へと入っていく。
マンネアを一袋抱えたまま。
「あ、おい。他の荷物は――」
閉まりかけた扉に呼びかけながら、俺はつま先を突っ込んで顔を入れると、四つの鋭い瞳が俺を迎えた。
薄暗い部屋の中に、顎髭の男とフーリア。そしてテーブルを挟んで見知らぬ二人の男。俺に目をやったのはその二人だった。
「気にしないでくれ。うちの新人だ」
顎鬚の男が男達に告げる。
「信頼できる男か?」
男達の片方、俺に近い方に立っていたスキンヘッドの男が鋭い眼光を俺から離さずにドスの効いた声を発する。
「その辺は問題ない」
顎鬚の答えに初めて彼の方を見たスキンヘッドの男。まだ何か言おうとする彼を、黒い口髭を僅かに蓄えたもう一人の男が片手で制した。
こちらは鋭い目つきに衣服の上からでも分かる引き締まった体と、正直俺よりも殺し屋らしい。
「まあいい……。始めよう」
口髭の男はそう言うと、それが合図であるかのようにフーリアがテーブルの上に置いたマンネアの袋に目をやった。
フーリアが指で俺に入ってくるように合図し、その通りにして扉を閉めると、今度はそれが合図であるかのようにテーブルの上の麻袋を開き、中身を取り出した。
出てきたのは、俺の知らないマンネアの葉だった。
「えっ……?」
マンネア自体はここに来る前に知っていたし、フーリアの家に転生した時にも見せてもらった。この世界ではポピュラーな植物だ。
だが目の前に置かれているのは、そのマンネアとは似ても似つかない別の植物の葉っぱ。
マンネアの様にライトグリーンで楕円形の葉ではなく、茶色っぽい、笹のように細いそれを、男達はしかし何の違和感もなく少量を手にとって口元に持っていき臭いをかいでいる。
「いつも通りだな」
「そいつはどうも」
口髭と顎鬚が言葉を交わす。スキンヘッドの男が足元からマンネア(?)の袋の横にアタッシュケース型の黒い鞄を置く。
と同時に俺の背後の扉がノックされた。
二度鳴らし、一拍おいてもう二度。一度目で開けようとしてフーリアに引きとめられた俺を尻目にスキンヘッドが扉を開ける。
先程荷下ろしをしていた男の片割れがスキンヘッドに小声で何か囁き出て行った。
スキンヘッドは元の位置に戻ると口髭に伝言ゲームの様にこれまた耳打ちすると、口髭が懐から別の小袋をテーブルに載せた。テーブルと袋が重々しい金属の音を立てた。
「確かに」
アタッシュケースと同様に中を確認した顎鬚が、この時初めて見せた笑顔でそう言った。
「これは一体?」
口髭とスキンヘッドが帰った後、フーリアに尋ねた。
何となく、何が行われていたのかは想像がつく。
ただ、それを否定して欲しかった。何か別の物であって欲しかった。これから暗殺なんて大それたことをやろうという奴がこんな事を言うのはおかしいかもしれないが、それでもそうであって欲しかった。
「想像つくと思うけど?それが正解よ」
それを見透かしたようにフーリアは答える。
外套を脱ぎ、男装の旅装束姿で、退屈だったとばかりにスラリとした手足をストレッチの様に動かしている。
「じゃあ、あれはやっぱり……」
「ミージクは貧しい国よ。彼らは少しでも金になれば何でもやる。たとえそれが重罪でもね。欲している者が居て、儲けが出るのなら彼らに倫理なんてものは存在しない。清く貧しく美しくなんて言うのは、所詮空想よ」
「そういう事さ」
口髭から渡された袋と鞄を持って部屋を出て行った顎鬚が、素手で戻ってきて言った。
「紹介がまだだったわね。ロブよ。この辺の連絡員ってとこかしら」
フーリアにそう呼ばれた顎鬚改めロブが右手を差し出した。
「よろしくな、シン」
「……よろしくお願いします」
最初の無愛想な態度ではない彼に、それ以上に自分が関わった出来事に戸惑いながら握手に応じると、彼はにっと笑ってフーリアを顎でしゃくった。
「おいおい。こいつには言われたと思うが、俺にも敬語は無しで頼むぜ」
そう言われて、フーリアと出会った時を思い出した。彼女が俺に最初に言ったのは、お互いに敬語は無しという事だった。
ロブはスキンヘッドの様に耳打ちした。
「誰が聞いているか分からないんだ。言葉遣いから個人や関係を割り出されたくない」
その理由を聞くのも二回目だった。
「わかりま――いや、わかったよ」
ついでに言うと俺のこの言い間違いも。
「さっきの連中はオルナハ一家。この辺のやくざ者を取り仕切っている。口髭の方はそこのナンバー2で、マグルフという」
ロブは握手を解くとそう説明しながら部屋の隅にあった本棚から一冊本を取り出して腕を出来た隙間に突っ込む。
かちりと音がして、本棚ごと壁が向こうに開き、ぽっかりと四角い暗闇が現れた。
「あいつは油断のない男だ。だからこそ信用できる」
ロブは暗闇に一歩ずつ沈んでいき、俺達もそれに続く。
急な階段は壁が閉じられることで完全に真っ暗闇になる。フーリアが壁を閉じると同時に俺を挟んだロブが明かりをつけた。
彼の手の中のランタンを頼りに階段を降りていくと、前方で扉の音がした。
ロブが先行し据え付けられた大型のランタンに火を入れたことが、ぼんやりと部屋が見えてきたことでわかった。
十畳はありそうな石畳のその部屋は、会議室や資料室と言ったような趣があった。
部屋の中央に大きなテーブルが置かれ、それを囲むようにして書類が隙間なく納められた書棚がそびえたっている。
「驚いたか?」
ロブが顔を見なくても分かるとばかりに書棚の一つから何かを取り出しながら言った。
「これで俺達がただの運び屋じゃない事は分かったな?あれはただの副業だ。パイプづくりを兼ねた……な」
そう言いながら振り返った彼はテーブルの上に町の見取り図と、何人かの人相書きを広げた。
「さて、本業のお時間だ」
(つづく)
【速報】主人公、異世界に来て犯罪しかしてない
次回からようやく暗殺者っぽいこと始めます。それではまた明日。