第十三話
ボールトン兄弟馬具製造所。現在の潜伏先。
幌馬車で戻ってから今後の準備を行い、すべて整った時には陽は西に傾き始めていた。
全て、そう全てだ。これからすぐ、勇者がここにやってくる。
奴一人で、囚われのミリアを救いに。どうやってももう助けられないとも知らずに。
戻ってからすぐ、俺達はまずミリアを餌にするのにかかった。
袋の中から引きずり出して猿轡を噛ませたまま手足の拘束だけを緩めた。
狸寝入りをしている可能性もあったので所持していた魔術道具は全て手元に置いてある。その上轡で詠唱できなくしてある以上、こいつはもうただの娘だ。
「どうなってんだ?これ」
「流石に俺も脱がせたことはねえからなぁ……」
「時間がないのよ。私がやるわ」
女物の服に悪戦苦闘する俺達を押しのけ、フーリアは慣れた手つきで彼女の衣服を脱がせ、生まれたままの姿にしていく。
「これでよし、下着は……別にいいわよね」
それじゃ、と始末をつけようとするフーリアを俺は手で制した。
「どこかに血がついていたら怪しまれる。俺がやる」
「そう?ならお願いね」
そう言うとフーリアは幌馬車の中に消えた。
俺はぐったりしたミリアを引き摺り、奴を入れていた袋を持って別の部屋にむかう。
馬具製造所には元々は兄弟の生活空間だったのだろうあばら家が併設されていた。
荒れ果て、侵入した酔っ払いやヤク中や浮浪者どもが好き放題吐き散らし、まき散らしたかつてのキッチンは複雑で不快な臭いが染みついていた。ここの床を剥がしておけばまず見つからないだろう。
廃屋の中で、大の男が攫ってきた娘を裸にして床に転がす。
これだけ見れば、次に何が起こるのかは誰だって同じ答えに行きつくだろう。俺だってそうだ。
だが残念ながら、それは不正解だ。
俺は落ち着いていた。
自分自身でも恐ろしい程に冷静だった。
弁解しておくが、俺は同性愛者ではない。だがそれでも、目の前に転がした裸の娘に対して何の感覚もない。
割り切れ、仕事だ。
その言葉がずっと頭の中にある。
俺は前からここまで真面目に仕事をしていただろうか。
自分でいう事ではないのかもしれないが、勤務態度は真面目だった。
だが、仕事であれば何でもする訳でもなかったと思う。
今は違う。
俺は始末をつけた。血が飛び散らないようにして。
適当な床を剥がし、袋詰めして放り込んだ。
割り切れ、仕事だ。
「終わったぞ」
「ありがとう。こっちもいいわ」
幌馬車まで戻った時、中から降りてきたフーリアと出くわした。
彼女は今俺が運んでいた格好をしていた。
どこで手に入れたのか、鳶色のロングヘアーのかつらまで被るという念の入れようだ。
「……ちょっときついけどね」
確かにまだ発展途上と思われるミリアの服では、成熟した上に女性にしては背の高いフーリアには窮屈だろう。
「大丈夫だ。暗闇ではわからんさ」
そう答えて、今度は俺が幌馬車に入る。
中に用意されていたのは、ギルド侵入時に使った濃紺の装束一式。
それらに着替えて、最後の打ち合わせを行う。
目標は一人、勇者だ。
夕日に照らされた遠くの屋根の上で、何かが一定のリズムで光っている。
マグルフのいた部屋にいた俺は壁の穴からそれを読み取った。
勇者ハ一人。援軍ハ認メラレズ。
今のところ順調だ。
幌馬車を隠していた奥のガレージの中央に椅子を置き、そこにミリア役のフーリアが座っている。
勇者にはマグルフの部下に――正確にはその部下が適当に銀貨を握らせて雇った浮浪者に簡単な手紙を手渡してもらった。
内容はいたってシンプル。
ミリアを預かった
一人でボールトン馬具製造所まで来い
誰にも伝えるな
守れなければミリアを殺す
箇条書きでこれだけのシンプルな脅迫。
効果は十分だった。勇者はしっかりと条件通りに来た。
深呼吸する。作戦を思い出す。
相手は勇者だ。大量のスキルで強化された『ぼくのかんがえたさいきょうのゆうしゃ』だ。
穴の向こうに勇者が、その輪郭まではっきりと見えた。
それを確認してからフーリアのいる奥の部屋との境付近に放置されていたロッカーの中に隠れると扉が軋む音がして、そこから小さな足音が近づいてくる。
忍び足の様だが、まだ未熟だ。
部屋を物色する音が聞こえてくる。
それから暫くして、奴の背中が映った。
「ミリア!」
ミリア(フーリア)を見つけた勇者は一気に駆け寄った。
「しっかりしろ!もう大丈夫だ!」
奴はそんな風に叫びながらフーリアの手首の縄を解こうとする。最初から縛られていないとも知らず。
「この縄どうなって……おまっ!?」
奴の叫び声が何だったのかは分からない。
フーリアは立ち上がりざま、勇者の腹を懐剣で貫いて椅子の向こうに飛び退いた。
同時に俺はロッカーから出る。音をたてないように慎重に。
「お前……っ、誰だっ!、本物のミリアをどこにやった……っ!?」
手の中で懐剣をくるりと回して順手に戻すと、椅子を蹴りつけて勇者に襲いかかるフーリア。椅子を何とかいなして追撃をかわす勇者。
ロブの調べた勇者のスキルを思い出す。
流石に長剣のスキルを極めているだけあって身のこなしは素早い。躱しながら腰のそれを引き抜いて迎え撃とうとする。
俺は忍び足をやめ、腰の短刀を抜くとそのまま突進した。
「ぬああっ!」
「何っ……がっ!?」
肉厚の短刀が奴の体に鍔元まで沈み込んだ。
背中を蹴り飛ばして引き抜くと、反射防止のため炭を塗った刀身がぬらぬらとほぼ黒い液体にまみれていた。
だがまだ死なない。
奴の横殴りの斬撃を飛び退けて躱す。
まだ動き回るほどには元気なようだが、流石にスピードは落ちてきている。
「舐めんじゃ……」
横一文字に振り抜いたそれを大きく振りかぶった。
「ねえっ!」
叫びながら振り下ろしに……こない。
もう一度突進する。今度は先程よりも距離も近い。
奴は声を上げなかった。上げられなかった。下から突き上げるように鳩尾に差し込んだのだから。
奴の体が重くなる。暗殺スキルを極めた体が理解する。
手から力を抜く。奴の膝が折れる。
ぽん、と短刀の柄頭を押す。奴は仰向けに倒れた。
鴨居に斬り付けた長剣が少し遅れて主人を追う。がしゃんと床を響かせ奴の頭の横に落ちたそれは、すぐにフーリアによって彼方に蹴り飛ばされた。
スキルはあくまで後付けされた才能だ。
彼には様々なスキルが与えられていた。長剣もそのスキルの一つだ。
ロブに見せられた資料の中には、勇者のギルドでの実績もあった。
それによれば、奴が受け負った仕事の内、切った張ったがあり得たのは、ムーア平原の討伐依頼、セルムハ街道での商人護衛及びその帰りに受けたマハン街道の山賊退治。そしてアリシン遺跡での逃亡犯追跡。
全て屋外だ。長剣は屋内では振り回しにくいということに気付かなかったとしても不思議では無い。
結局、スキルは後付けの才能に過ぎない。
俺もあまり人の事は言えないが、それでもこの戦いに勝ったのは俺だ。
大の字になった奴の上に馬乗りになる。
血が床全てを染め上げていく。
血の噴火口となった奴の口がパクパクと動く。声もないが何かを言っている。
首にもう一振りの懐剣を宛がい、終わった。
(つづく)
遂にやった。
次回が最終回となります。
それでは、また明日。




