第十一話
ボールトン兄弟馬具製造所。町のはずれ、市壁の根元にすがりつくようにして林立している、元職人通り、現貧民街にある馬具製造所――という名の空き家。
経営者兄弟が蒸発してはや数か月、立地からして他に使い道などない――ゴロツキのたまり場以外には。
向かう道すがら、遂に本格的な行動に出ることは何となく察した。
何しろ場所が場所だ。現実世界にいた時に見たテレビドラマなどでも大体の場合きな臭い話が行われる場所というのは定番があって、夜の港の倉庫や、広い地下駐車場ばかりが舞台になるような印象がったが、こういうのはこちらの世界でも同じらしい。
貧民街は空気が違う。
宿屋の周りや、すぐ近くのドヤ街も確かに健全とは言い難い空気があったが、ここは別格だ。
外部からの侵入者である俺達に向けられる“原住民”の目は――最大限好意的な表現をすれば好奇の眼差し。実態に即して言えば明確な警戒と敵意だった。
「合流すれば誤解も解けるさ」
そしてここでもフーリアは彼女ぐらいの年齢の女性に不相応なほど落ち着いて、衛兵が居て人の往来が盛んな大通りを歩くのと全く変わらないペースで進んで行く。
合流すればという事は、件の馬具製造所には誰かいるのだろうか。
まあそりゃあ、ロブはいるだろうが。
暫く俺達は遠巻きな視線にさらされながら土埃とゴミが舞う不潔な細い路地に入る。
ひっくり返った壊れた荷馬車で子供たちが遊んでいる。
数世帯共同使用の古い井戸で、女たちが口々に何か言いながら洗濯――と言っていいのか分からない雑な水洗いをしている。
道の隅っこに老人が蹲っている。
俺達が通りかかると、涎を垂らして大口とあけた顔を上げ、焦点の定まらないどろりとした目で追ってくる。
老人の前には、彼の口から滴れおちた涎が失禁のように広がっている。
「目を合わせるな。薬だ」
フーリアはその老人に思わず目をやった俺を小さな声でそうたしなめた。
汚い路地を抜けると不意に広い通りに出る。
もっとも広くなっただけで全体から感じるうらぶれた、薄汚い印象は変わらない。むしろ道の両脇に錆だらけのバラックが建ち並ぶことで却ってこれまでより貧民窟の印象を強くしている。
目的の馬具製造所はその道の突き当りにあった。
紀元前からあるのかと疑いたくなるようなボロボロの看板の文字は全く読めなくなっている。
もしこの辺の地理を打ち合わせの際に説明されていなければ、まず間違いなく分からないだろう。
近くのバラックの影から若い男がチラチラと様子を窺っていたが、それに気づいているだろうフーリアは全く気にすることなく馬具製造所のこれまた人類誕生時からあるようなボロボロの入り口に近づいていく。
入口付近に立っていたゴロツキが二人、俺達の姿を見ると何も言わず顎で中をしゃくり扉を開けた。
中に入るときにもう一度先程の男の方を見ると、既にどこかに行ってしまっていた。
「よし、来たか」
通されたのはどうやらガレージというか作業場の様な所だった。
馬具製造所と名乗ってはいるものの、鞍や手綱だけではなく馬車なども作っていたらしい。
製造中なのか解体中なのか分からない馬車の部品が転がる中にロブが立っていた。
そして口髭のナンバー2、マグルフも。
「ここに来るのは初めてか?シン」
「……ああ」
ロブは俺の顔を見ると、さも面白いようにそう言った。
「心配するな。我々の関係者だと分かれば、連中は手出ししない」
マグルフが付け加える。そう言えば、ここに何故こいつらが居るのだろう。
ロブはそんな俺の疑問を悟ったようだった。
「ここは一家の縄張りだからな。こういう時には重宝する。やはり持つべきものは良き友達だ」
ロブはそう言って笑うが、マグルフはピクリとも反応しない。
「さて、仕事の話だ」
ロブも笑みを消して真剣な、仕事人の顔に戻る。
「まずはよくやってくれた。既に知っていると思うが、ベッカーの件は既に衛兵隊があたっている。そしてこれも予想通り、疑いがかけられているのは奴と取引の合った連中だ。特に手口からして冒険者連中だな」
どうやら俺達が宿屋に戻ってここに来るまでに事件に進展があったようだ。
そして有難い事に俺達は全く疑いの目がかけられていない。
「俺もさっき冒険者ギルドの方に行っていたが、あいつと取引のあった冒険者は多いらしい。朝早くにも拘らず随分騒ぎになっていた」
俺達が戻ってくる時間はまだギルドの営業開始時間にはなっていなかった筈だが、どうやらロビーは開けられているらしい。
「そして、ここからが重要だが」
ロブは俺達が注目するために一拍置いた。
「勇者一行も物資の受け渡しが滞り、キュエルドー攻略を先延ばしにすることがほぼ確実だ」
思わずフーリアと目を合わせた。
作戦成功。
「そこで、こうして得られた時間を有効に活用したい。まず確認しておくが、物資に余裕がない以上勇者一行は余計な行動に出られないだろう。という事はどこかに行っちまう心配は無い訳だつまり――」
「隙さえ見せればいつでも……って訳ね」
フーリアの答えにロブは頷いた。
「それで、どうするの?何か考えがあるんでしょう?」
再び頷く。
「勿論、これだけじゃ態々呼び出したりはしない。こいつを見てくれ」
懐から取り出したのは二枚の人相書き。魔導師のミリアと剣士のアンジェ。どちらも勇者の仲間。
「勇者がどこにもいかなくなったとはいえ、こいつらが一緒にいる場合はかなり厄介だ。どちらもそれなりに腕は立つ」
そう言ってから左右の手にそれぞれミリアとアンジェを分ける。
アンジェの方をひらひらさせながら続ける。
「ところが先程、こっちの方が馬を駆って町を出て行った。今回の攻略延期を先に現地入りした盗賊に伝えるためだ」
朗報。つまり今勇者の傍にはミリア一人しかいない。
「つまり……」
言いかけた俺にロブはにやりと笑った。
「残された方の魔導師はミリアと言って、勇者との付き合いは奴がこの町に現れてからずっとで、勇者との関係もそれなりに良好だ。魔導師としての腕前はさっきも言ったように悪くはないが、如何せん魔術って奴はデリケートでな、剣術や体術の様に咄嗟に、と言うのは難しいときている」
そこでまた一拍。
「こいつを餌にする」
(つづく)
都合により、次回は明後日9/16(金)となります。申し訳ありません。
それでは、また次回。




