第一話
俺は次の事を知った。
法律は弱者に優しいが、誰が弱者か決めるのは法律だ。
つまり、法律は理不尽な依怙贔屓を前提にしてできているという事だ。
例えば、信号が青だから法定速度を守って車で進入したら突然信号無視して飛び込んできた男を轢き殺して業務上過失致死で懲役刑を受けるとか。
交通量の多い道路で、視覚障碍者用に音声案内まである信号を無視して人が突然脇目も振らず道路に向かって飛び込んでくるのかもしれないと考えて運転している奴がいたとすれば、つまりそんな常軌を逸した行動が当たり前に起こり得ると本気で考えているような精神状態の奴が運転免許を取得できるのだとすれば、その方が問題あると思うのだが、生憎運転手は絶対強者であり、強者には法律上発言権はない――すくなくとも俺の経験上は――であり、強者は弱者に対して一切の反論を許されないのであって、偉大なる交通弱者様を死なせたとなれば、それはもう運転手という凶悪で残虐な交通強者は一生をかけても償えず、仕事は無論、家庭も失っても当然である――具体的には去年父に先立たれた母親が、息子が人殺しとしてお勤めしていると知らされて心労で倒れ、実の妹に「あんたのせいで母さんが死んだ!この人殺し!」と泣きながら罵られたりだ。
そうだ。俺は人殺しだ。
いや、人殺し”だった”。
今はただの自殺者だ。
俺は刑務所内で死を選んだ。もう生きている必要なんかない。
決して裕福な家ではなかったし、決して学がある方でもなかった。
紆余曲折あって運送会社に就職して二年目、仕事にも慣れてきて、大した額ではない給料でも何とかやってきた。
信号と言う当たり前の物も、大量の車とその騒音という当たり前の物にも気が付かないで道路に突進するアホタレが現れるまでは。
おかげで俺の人生は滅茶苦茶だ。
仕事をなくし、家族は壊れた。仮に刑期を勤め上げたとして、前科者がまともな仕事に就くなんていうのは夢物語に等しい。
もう生きている必要もない。
その筈だったのだが。
「……どこだここは?」
俺は目を覚ました。真っ白な部屋で。
窓もないこの部屋で俺は一人立っていた。いや、窓だけではない。扉も無ければ、ここがどこなのか分かるものは何一つない。
「浅井真さんですね?」
ぼうっと部屋中を見渡している俺に背後から声を掛ける者がいた。
「この度はご愁傷様です……もっとも、ご本人に申しあげるのはいささか奇妙に感じられるかもしれませんが」
久しぶりに番号以外で呼ばれた俺は、その奇妙な男の方を見た。
身長の高いその男は黒いフードのような物をかぶっていて、その下の顔は見る事が出来ない。
「申し訳ありません。これが決まりでして、また私の名を申し上げる事も出来ません。申し訳ございませんが」
顔を窺っていたことに気付いた彼は、苦笑交じりにそう言った。
「さて、あなたは混乱なさっているようですね。『自分は死んだはずなのにどうしてこんな所にいるのか』と」
男は淡々と話を続ける。
そこに一切の動揺はなく、さも当然のことのように話を進める。
「確かにあなたは自ら命を絶たれました。ここはいわば生と死のはざま、あの世とこの世の中間地点とお考えください。時にあなたは異世界転生と言うものついてご存知ですか?」
突然に色々な情報が入りすぎて何が何やらさっぱりわからない。
俺は死んだという事は自分でもわかっている。そして俺は今あの世でもこの世でもないところにいる。 生来、幽霊なんてものは信じていなかったが、今の俺はもしかしたらそういう存在なのだろうか。
そして男の言った異世界転生という言葉。当然ながらそんなもの初耳だ。
「あなた方のいた世界とは別の世界に死者が生き返ることです。あなたはそれに選ばれたのです」
そう言うと男は指をパチンと弾く。
次の瞬間、俺の前にいくつもの液晶画面のような物が現れ、次々と映像や文章を表示している。
それによるとどうやら、現実世界で死んだ者がRPGのような異世界に生き返り、本来なら長い修行や研究の末に手に入るような能力を最初から与えられ、その地で英雄として迎えられる。そして、何故か転生するのはニートや引きこもりが殆どだという。
「それで、俺を異世界で英雄にしてくれるというのですか?」
確かに生きていても、俺はニートだったかもしれない。
もう働く事なんか出来はしないだろうし、勉強する意思も目的もなかった。
前科者の烙印は消えないし、壊れてしまった家族はもう戻らない。
生きて頑張る理由などどこにもなかった。
だが、そんな俺の、少し嘲笑した問いを男は真面目に首を振ってこたえた。
「いいえ。あなたは英雄にも勇者にもなりません。むしろその逆」
俺が注目することを狙ってか、男は一息置いて、努めて厳かな声でこう言った。
「そうした英雄を抹殺して頂きたい」
ぐわん、と殴られたような衝撃があった。
抹殺。つまり殺す。
口にするのは簡単だが、それを人に依頼するというのはあまりにも異常だ。
「ターゲットはあなたの轢き殺したニートの若者。尤も、今は勇者として頭角を現しているそうですが」
「ちょ、ちょっと!ちょっと待ってくれ!俺に人を殺せってのか!?」
「嫌ですか?」
「あっ、当たり前だ!そんな事出来る訳ない!」
当然の拒否を示す俺に、男はそれがさも意外そうな声を上げた。
こいつは狂っている。俺の全身がそのことを理解した瞬間だった。
「ですが彼はあなたを殺しましたよ?」
男は僅かに口元を歪ませてそう言った。
「……は?」
「ですから、彼はあなたを殺したのです。彼が何故あの日あなたの前に現れたのか、知りたくありませんか?」
これを言えば相手は必ず納得する。男の声はその自信に満ちていた。
「あなたのいた世界とは違う世界――つまり異世界ですが、現在ある大陸で二つの勢力による混乱が起きようとしています。一つは大陸西方に位置するドランバル帝国、もう一つはその帝国と対立する周辺諸国により結成された自由連合。両勢力はこれまでの長きにわたり、険悪ながらもけん制し合う事で辛うじて均衡を維持する武装平和を続けていました」
どうもきな臭い世界らしい。
「ですがこの数年、自由連合が信奉する神は帝国の信奉する神を邪神と呼び、彼らを滅ぼすために禁じ手を使った。即ちあなた方のいた世界から死者の魂を呼び寄せて蘇らせ、均衡を崩すために投入し始めた。成程、筋書きとしては悪くない。邪神を信奉する悪の帝国と戦うための神の尖兵という訳です」
男の声には妙な迫力と言うか、魅力があった。
そんな夢物語と突っぱねてしまう事も可能な荒唐無稽な内容なのにも拘らず、そうすることが躊躇われるのだ。
勿論、この常軌を逸した状況であればこそそう思うのかもしれないが。
「さて、人間と言うのは多かれ少なかれ英雄願望を持っている物です。日常的に人から評価されずにいる者なら尚更の事、そんな彼らに一足飛びにその夢を叶えられるといって近寄れば、それもそう言った者達に親しみやすい世界での話となれば……、異世界に転生する者達が何故ニートや引きこもりが多いかお分かりになりますでしょう?彼らは容易く現実での死を受け入れる。異世界を救う義勇兵に憧れて」
「じゃあ、あの日俺が轢いたのは……」
男は大きく頷いた。
「自由連合の神は目を付けた人間に生前それとなく伝えます。そして彼はおそらく死後、今のあなたの様な立場で、彼に都合のいい女神に会ったでしょう。そこで彼女からこう言われたはずです『あなたは現実世界では死んでしまいました。お願いです。どうか異世界を救ってください。そのために必要なスキルをこちらで用意しますから』と、彼はそういう物語に憧れを抱いていたのでしょう。即ち、現実ではただのニートだった自分が異世界に転生してやることなすことパーフェクトで公私ともに充実した人生を送る。何の苦労もなく、簡単に。……恐らくその時、あなたのことなど何一つ考えていなかった。自らの不注意が他人の人生を破壊したのだという事も」
「そして転生して勇者になった?」
「その通りです。彼の頭ではこう考えているでしょう『暴走トラックに轢かれて異世界に転生したらチートスキルで大活躍して女の子にもてていやぁ転生してよかった』と」
暴走トラック、その言葉が俺の心のどす黒い感情を最大限に刺激した。
暴走トラック。トラックの運転手が歩行者をよけるのが当然で、本来どんな状況でも歩行者をよけるべきで、それをしなかったトラックが暴走トラックで、歩行者は決して悪いことは無い。そんな意味のこもった言葉だ。
「彼の様な人間にとって、悪いのは全て他人です。周りが悪いからニートになって、周りが悪いから引きこもって、周りが悪いからトラックに轢かれて死んだ。皆周りのせい。親や、友人や、教師や、社会のせい。自分はそんな哀れな被害者で、その自分にもやっと運が巡ってきた。ここからが本当の俺だ。今まで誰にも認められず何もせずくすぶっていたのは俺じゃあない。……どうです?なかなかの屑野郎でしょう」
俺をその気にさせようというのだろう。男の言い方は少し偏見もある気もする。
だが、そう言われて許せないのもまた事実だ。
何も男の言葉に一字一句賛成するという訳ではない。もっともっと単純な理屈だ。
「……分かった。やろう」
もっと単純で簡単な理屈。
「俺の人生をぶっ壊した野郎が、のうのうと幸せになるのは許せない」
ただの嫉妬だ。
(つづく)
男もすなる異世界転生といふものを(ry
という訳であまりよく知らないのに手を出した異世界転生もの。一応既に書き終えているため、毎日更新を予定しております。
それでは、何卒広い心でお付き合いいただきたく存じます。