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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ファンタジー短編集

落下男の迷宮譚

 素っ裸の男が落ちたのは、帰らずの迷宮ダンジョンの深層だった。


 かなりの勢いで落下した先は、小からぬ溜め池。真っ黒な水の中に飛沫をあげて沈み込むと、程なくして、


「ぶはぁっ!」


 と水面に顔を上げる。そのまま上を睨みつけると、銀色の魔導板が揺らめきながら掻き消えた。


 迷宮都市の最重刑罰である〝死刑〟を生き抜いた者のみに与えられる、特別刑罰エクストラ・パニッシュメント。それがこのダンジョン送りの刑だ。


 男は手足を動かして、必死に沈まないように顔を上げながら、絡め取ろうとする吸血藻を払いのけ、陸地に泳ぎつこうとした。


 その右足に、吸血藻の粘着蔓ねんちゃくつるがまとわりつく。一生懸命足を振るって脱出しようとするが、粘着蔓は離れるどころか、その先端から微細な毛針を生やして、男の皮膚に咥え込ませた。


 こうなっては、太さ1メートルにも及ぶ水中茎から逃れる術は無い。ジワジワと溜め池の中心部に引き寄せられようとした男は、一度大きく息を吸うと、脱力して身を引くに任せた。


 そうしながら、己の身の内に絶えず流れる、魔力を想起する。


 彼の流派では、人間を筒に例えて、そこに流れる微細な、極極小さな物質が、魔力を運ぶと教えられていた。その背中に走る筒に意識を注ぎ込むと、周囲の微細な状況が頭の中から消えて行き、それと時を同じくして、全ての情報が筒の中に満たされていく。


 そして己の足を捉える植物の意識が集まる一点。その極地を魔知覚の内に捉えると、絡め取るように筒をシェイクした。

 複雑に混ざり合う魔力の渦に、魔法的に灼かれた植物の核は、あがらいようもなく意識を刈られる。


 そこにシェイクし終えた〝魔力と核のカクテル〟を充填していくと、男を引っ張っていた蔦が、今度は男を水面上に持ち上げ、溜め池の淵へと運んでいく。


 なるべく急がなくてはならない。吸血藻を操りながらも、男は油断なく周囲を警戒した。吸血藻の核は一つではない、彼が乗っ取ったのは、この粘着蔓を含む、ほんの二、三本の蔓を操る、部分核の一つに過ぎないだろう。


 案の定、他の核が操る蔓が男を追って迫ってきた。一足先に地面に着地した男は、操っていた蔓を切り離すと、腕に一巻きして走り出す。


 全身の筋肉が痛む。それもそのはず、死刑直後に即迷宮に落とされたのだ。死刑執行省の操る火園魔法フレイム・フローラの、魂までをも焼き尽くす業火。そこから回復の行によって復活した体には、所々ケロイド状の火傷痕が残り、体液に潤みながらヒリヒリと自己主張してくる。


 背筒の意識置換でそれを無視した男は、魔力的支配の及ぶ内に、粘着蔓を作り変えると、体を覆う衣服を作成した。ネチネチと粘液を滴らせる蔓は、網目を作り、短パンと袖なしの肌着へと形を変える。


 分量的にそれ以上の長袖などは無理で、しかし膝と肘を守りたい男は、サポーター状に肘膝当てを作ると、その中に蔓の先端に埋め込まれていた毛針をしまった。


 このまま魔力を極微量づつ流し続ければ、粘着蔓は彼の体の一部が如く、自在に操れるようになるだろう。無手だった彼に出来た最初の装備に、ほんの少し満足した。


 走りながらも膝が笑う。それを出来たばかりのサポーターでギュッと締め上げるが、骨の芯から来る痛みに、走る足も止まった。


 ここまで来れば、吸血藻の蔓も届くまい。それよりも今度は、迷宮を徘徊する他のモンスターに気取られてはならない。


 微細に震え続ける全身を折り曲げて、角に身を伏せた男は、回復の行、そして灼識しゃくしきの行によって消費された己の魔力を確かめるように、背筒の調子を確かめた。


 魔力の循環が鈍っている。これは早々に魔力を行使出来ない事を意味していた。背筒の中で乱雑に撹拌される、魔素一つ一つを整理するように、流れを整えていく。


 それにしても……腹が減った。死刑執行前日に、粗末な牢屋飯を食べたきり、先ほど飲み込んだ汚水以外、何も口にしていない。


 回復の行によって操作した肉体は、かなり衰弱しているが、それを補えるだけの栄養が決定的に欠乏していた。


 地面についた手から、整えた魔力の波動を少しずつ放って、その反響を背筒に受ける事で、周囲の状況を探知する。


 これは……かなりの勢いで移動するモンスターが二体、直線的に動いたかと思えば、反転して絡まり合っている。どうやら争い合っているようだ。こいつらを食うしか無いな……


 他のモンスターに気を使いながら、音を立てないように、ゆっくりと二体の元に近づく。


 角から見える紫の飾り尾毛びもうは……ヘル・ラプトルと呼ばれる、二足歩行の小型亜竜か。別名ベースメント・キラー、地下室の殺し屋と呼ばれるだけの殺傷能力を誇る、体高1.5メートル、全長3メートルのモンスター。迷宮狩人ダンジョン・ハンターが最も出会いたくない類の捕食者だ。


 その相手は、迷宮鼠と呼ばれる、大型のげっ歯類系モンスター。全身を鎧う太く硬い毛針が、ザワザワと毛羽立ち、ヘル・ラプトルの攻撃を阻害している。


 二本ある鼻管から「プシューッ、プシューッ」と威嚇蒸気を発し、いつでも毒針を射出できるぞ! とその針先を神経質に操作していた。


 迷宮鼠の毒は一本でも体内に入れば、大型竜種さえも殺すと言われるほどの猛毒である。


 だがそれも毒針によって撃ち込まれなければ意味がない。肝心の毒針は、硬毛針の一割にも満たず、数回射出すれば、もう彼に(彼女に?)攻撃手段は無くなるのだ。


 ヘル・ラプトルはからかうように右に左にステップを踏むと、迷宮鼠に毛針を無駄撃ちさせようと、前脚に隠した剣爪を、脅すように振り回した。


 地獄の舞踏(ヘル・ステップ)と呼ばれる、捕食者の残忍な習性をみるとはなしに、男は己の武器になりうるものを探す。


 このまま二体が諍い合って弱体化してくれたら、今の状態でも狩れるかも知れない。だが魔力をこれ以上行使し続けると、背筒がいつ機能不全を起こすかも分からず、さらに手元には寸鉄すらない。


 何かないか? と周囲を見回した男の目が、少し離れた場所にある、古いトラップの痕を捉えた。


 そこには白骨化した人間の遺体と、その死体を何らかの理由で処理しきれなかった、落とし穴のトラップが、半ば風化しながら、遺棄されている。


 人間の装備品は錆び、風化してボロボロになって使い物にならないようだ。だがその底には、落ちた人間を串刺しにする槍葦やりあしが、鋭い切っ先を並べていた。


 そのうちの数本を掴むと、力の限りに引っ張り上げる。魔力を失い乾燥しきった槍葦は、手の中で割れながら、中空の軽い残骸となる。だが中に一本だけ、硬くしなる中々具合のよいものがあった。


 急いでその一本をしごきながら、争い合う二体の元に戻ると、またもや角から様子を伺った。


 一度射出した毛針が数本、迷宮の壁に突きたっている。それをからかうように踊るヘル・ラプトルは、迷宮鼠の疲れを待って、足爪を素早く滑り込ませ、小傷を作っては、機をうかがっていた。


 目の端でそれを確認しながら、長い髪の毛を数本引き抜くと、手のひらでよりあわせていく。随分と洗っていないせいで、先ほどの水分と合わせて簡単に紐状になったそれを、葦槍の中空に通す。魔力を扱い続けた体の一部である髪の毛は、ちょうど良い魔法の触媒になるだろう。


 少しばかり魔力を通しながら、二匹の諍いの顛末を確認する。そろそろ決着がつく頃合いか? 葦槍の切っ先を指でなぞりながら、重量バランスを計った。


 葦槍にヘル・ラプトルの硬い外皮を貫く重さは無い。だがその点は、微量の魔力を流し込むだけで、問題はなくなるだろう。そのための〝鋭刃の行〟は、かなりコストパフォーマンスの高い魔法で、今の状況にピッタリだ。


 だが問題は痛みの回復しきれていない体の方である。しかも気配を消すために、腕を回す程度の肩慣らしも許されない。


 が、やるしか無いのだ。悪い方向に向かう思考を、半ば強引に背筒の中に放り込むと、目の前で最後の死闘を演じる迷宮鼠と、それを仕留めんと太い足爪を振るう、ヘル・ラプトルの動きに注視した。


 迷宮鼠の鼻管が閉じて、思い切り膨らんだ体から、束となった毒針が射出される。避ける場所など無いほどの死の散弾を、信じられないスピードで避け、前脚の剣爪で払ったヘル・ラプトルは、これまた目に見えないほどのスピードで、迷宮鼠の喉元に噛み付いた。


 そのまま地面に叩きつけて、迷宮鼠の首を折ると、一瞬こちら側が死角になる。


 〝いま!〟


 と思うよりも早く、脊椎反射ならぬ背筒反射的スピードで挙動する。力を貯めた全身のバネを、無駄なく葦槍にのせ、投げるよりも左手の引きに力を込める。そのまま軸足で地面を踏み抜くと、水平方向に飛び出すイメージでーー振り抜いた。


 スンッと消え入るように、ヘル・ラプトルの胴体を貫通した葦槍は、反対方向から飛び出して、地面に突き刺さる。


 遠心力に血の集まる右腕、その肘から、先端に毛針を付けた粘着蔓が、葦槍の末端に伸びている。

 それを左手で抑えると、一瞬痙攣したヘル・ラプトルが、


「コアアアァ……」


 と声を上げようと胸気袋に空気を溜め込んだ。やばい! こいつらがベースメント・キラーと呼ばれる所以は、必ず同階に群れを作り、鳴き声で連絡を取り合っている点にある。

 その数、一匹みたら百匹は居ると思え!


 一匹でも不意打ちでなんとか仕留めた相手に、百対一とか、終わっている。


 男はすかさず葦槍を引くと、粘着蔓を左右に操作して、心臓を貫いた刃をグリグリと抉り、胸気袋にも裂け目を作った。

 さらに近づいて槍葦を握ると、微量の魔力を込めて再度鋭刃を形成、心臓から一気に腹を掻っ捌いた。


 ドロリと溢れでる、生暖かい内臓から、湯気が上がる。その時点で隣を見ると、絶命した迷宮鼠が恨めしそうに白目を剥いて、こちらを睨んでいた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 質感のある魔法描写。 同様に質感があり、独特でいながら、ちゃんと文章だけでビジュアルをイメージできるモンスター。 また、モンスター同士の争いに、第三者として介入を試みる主人公という構図が…
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