リモコン戦争
黒光りするそれは支給されたライフルAK-47であり、ジョージはそれを抱えるようにして物陰に隠れている。
小隊長がジェスチャーで突撃の合図をすると、ひとりふたりと物陰から出て行く。単発的な銃撃音がすぐさま響く。彼の番になった。全身が強張るのを感じ、飛び出すタイミングを見失ってしまった。断続的な機関銃の咆哮。目の前の上官は「行け! 行け!」と、ひたすらに叫んでいる。彼は意を決して飛び出した。その瞬間、全身に銃弾を浴び、骨格から筋肉は吹き飛び、無秩序に肉片をばら撒いた。
嫌な夢だった。
ジョージは勢い良くベットから跳ね起きる。ねっとりとした寝汗が不快感を助長した。いまだ動悸は治まらず、肩で浅い息をしていた。
「……どうしたのぉ?」
隣で寝ていた妻のシンシアが、目を擦りながら彼のほうを向いた。
「悪夢を見た」
「どんなぁ」
「戦争で死ぬ夢」
「それはぁ」と、シンシアは一つ欠伸をしてから「とっても嫌な、悪夢ね」と言った。
「ああ」
「でも、それは夢でしかないわ」
いまの時代に戦争で人が死ぬなんてこの国ではナンセンスよ、という妻の言葉をジョージは聞き流した。
「そうだな」
ジョージの方も、妻と話すことで徐々に落ち着きを取り戻してきた。
シンシアはサイドテーブルに置かれた時計を見ながらジョージに答えた。
「それに、そんな最低な夢とは対照的に、今日はとってもハッピーな日よ」
ジョージが振り向くと、妻のシルクのような白磁の細い背中があった。その背中はベットを降りた。
「さあ、朝食の準備をしなきゃ。せっかく朝早く起きたんだから、あなたも手伝う?」
夫の助力を少しも期待しない微笑を湛え、シンシアはシャツ一枚を羽織り、そのままキッチンへと降りていった。
一人寝室に残されたジョージはつぶやく。
「今日でアリスも九つか……」
今日は、最愛の娘の誕生日だった。
物音を立てないように、ジョージはアリスの部屋のドアを開ける。
窓際のベットでは、彼の愛娘が静かな寝息を立てていた。
彼はベットの隣にあった椅子に腰を下ろすと、アリスの顔を覗き込む。
暁光に光るアッシュブロンドを枕に流す天使は、とても幸せそうだった。
起きている時はとても活発で、彼女の言動は往々にしてジョージやシンシアを疲れさせることが多かったが、いまこうして瞼を閉じているのアリスは、まるでそんなこととは程遠い、無垢で純真な、イノセンスが顕現したような姿だった。
彼は愛する娘の髪を優しく掬う。彼女は「んっ」とくすぐったそうな声を上げると、直ぐにまた穏やかな寝息を立て始めた。
この幸せな九年間と、これから続く更なる幸福な日々が頭によぎる。
ジョージは二度三度、アリスの頭を撫でてやると部屋を出て行った。
階下から、トーストとベーコンを焼く香ばしい匂いが漂ってきた。
ジョージはオリーブドラブ色の制服に身を包んだ。陸軍のものだった。しかし、彼の身体は痩すぎておりその姿は軍人のイメージからは遠く、どちらかというと事務仕事に従事している風であった。
「いってくるよ」
玄関で振り返ると、頭一つ下に妻の笑顔があった。
「今夜はご馳走よ。早く帰ってきてね」
「ああ」
日課であるキスを終えると、ジョージは仕事場に向かった。
バスを乗り継ぎ、市街にある陸軍の社屋につく頃には、同僚のアリと肩を並べていた。彼はジョージと違い、筋骨隆々とし、一昔前のいかにも軍人然とした大男だった。その彫りの深い面からは鋭い眼光が絶えず発せられていた。
「ジョージ、今日はやたらと機嫌がいいな」と、エントランス前の階段を上りながらアリは話して来た。
「そうかな」
「ああ、浮き足立っているぞ」
「軍人なら常に平静でなければならない」と、いつもアリが言っている台詞がジョージの脳裏によぎった。
「すまんな」
謝っておくに越したことはないと思い、即座にジョージは謝辞を述べる。
「なに、気にすんな。それに、人のことは言えんでね」
「どうしたんだ、急に?」
それには答えず、アリは先にドアをくぐって行ってしまった。
疑問が頭をもたげたが、気を取り直すと、ジョージは早足にアリに追いついた。アリは液晶掲示板を見上げていた。掲示板には撃破数という、戦闘で死亡した人数がカウントされていた。
「今日の死亡数は一段と多いな」
腹に響く胸声にジョージが掲示板を仰ぐと、昨日の彼が帰宅するときの1.3倍はあった。
「クリスマスも近いし、野郎共、ホテル代を稼ぐのに躍起になってるのさ」
戦闘で撃破した人数は、そのまま給料に反映される。ここでは多く殺した人間が、多くの金を手に入れる仕組みになっていた。
「さあさあ、夜勤組みに負けんよう、俺たちもがんばらなくちゃな」
言って、ジョージはアリの背中を叩き、オフィスへと向かった。
アリはまだ、一人掲示板を見上げていた。
仕事はとても簡単だった。ただ、歩兵として、戦争をさえすればいいだけだった。
ジョージはマグカップから湯気を上げる珈琲の芳香を一つ楽しむと、それをデスクの端に置いた。腰を落ち着けたデスクのディスプレイには宵闇に沈む砂上の楼閣が遠くに見えた。そこは彼らと宗教を含めてすべてが異なるモノが住んでいるところだった。表と裏、光と影、正義と悪、そのような対比が日ごろから彼らの耳に届く、もちろん彼らを「正義」として。
「仕事熱心だな」
背後からアリの言葉が投げかけられた。ジョージが振り返ると、パーテーションで区切られた四角い出口で、巨漢が一人、仁王立ちしていた。
「始業時刻まで、まだ十分もあるぞ。いつもなら、まだ俺と話しこんでる時間じゃないか」
「そうだな」と、ジョージは暫し逡巡して「焼かせて悪いな」とジョークを飛ばした。
二人は儀礼的にひとしきり笑った後、ジョージは「それにしても珍しいな」と続けた。
「俺がこっちに来ることか?」
「それも含めて、この朝の大事なひと時を俺たちが忘れるなんてことがさ」
お道化ていうジョージに、アリは「そうだな」と、やわらかく笑った。
「お互い、今日、なんかあるのかな?」
とぼけたように聞くジョージの脳裏には朝のアリとの会話が思い出されていた。
「という事は、おまえにはあるんだな」と、返されてしまった。
アリのことも気にかかりつつ、どうしても娘の誕生日というのがうれしくて、ジョージは饒舌に語りだしてしまう。
「何を隠そう、今日はな、マイリトルレディのバースデイなんだよ!」
「そうか、そいつはおめでとう!」
アリは破顔一笑した。心からお祝いを述べられているようで、ジョージはさらにうれしくなって、少し踏み入って会話をしてしまった。
「ところでアリ、おまえさんも今日、何かあるんじゃないか?」
「と、言うと?」
「いや、なんか、今日の朝、俺だけじゃなくて、おまえも浮かれているようだったからさ」
「そうか……」
途端に、アリは険しい表情になって顔を伏せたが、次の瞬間には、またいつもの、いや、若干上気したような表情に戻っていた。
「おまえに見抜かれるようじゃなあ、俺も注意しないといけないな」
「で、どうなんだ?」
「そうだな、今日は記念すべき日だ」
ジョージは頷いて先を促した。
「今日は我が娘の十二回目の誕生日であり――」
ジョージは瞬間驚いた。アリが既婚者であるなんて露とも知らなかったのだ。
「九回目の命日だ」
さらに彼は驚いた。そして、聞いてはいけないことを聞いてしまったような後味の悪さの中で、ジョージはアリが依然としてうれしそうにしていることに違和感を覚えた。
「なんと言ったらいいか、その……」
「こんな日に私は、大命を授かるなど、なんと言う僥倖でしょうか!」
アリは陶酔仕切っているようで、自己の変化に気付いていなかった。ジョージは違和感を超え、いよいよ肌があわ立つのを感じた。
「アリ、何を――」
言っているんだ、と続けようとして、目もつかぬほど高速で抜き放たれえた懐の拳銃に、ジョージは眉間を打ち抜かれてしまった。
アリは血溜まりに沈む無生物となった元友人を見下ろした。
「人が話している最中に、これだから……」
いままで幾人の仲間が倒れるところを見てきて、妻や娘を看取ってき彼たが、これほど何の情念も持たないのは初めてのことだった。
「お前個人に恨みはないが、これも我々が勝つため、神の意思であるのだ、悪く思わんでくれ」
そう言って拳銃を床に棄て、今度は懐からスイッチを取り出した。銃声に驚いた同僚達ではあるが、戦場など経験をしたことが無い彼らに、それが銃声で、かつ、死の足音だと認識するには少し、時間が足りなかった。
そんな彼らをアリは眺めた。
「ふん、リモコンでロボットを操り、我々の同胞を虫けらの如く殺して来た奴らがどんなや奴達かと思ったら、どうという事は無い、ぬくぬくと安全なところで過ごし、決して自らの手を汚そうとしない、覚悟もなしに、ゲーム感覚で人を殺していた、いうなれば殺人酔狂者たちではないか。見よ、この体たらく! 仲間が殺されたというのに誰も行動を起こそうとしない! なんと腐った性根の体現か! こんな奴らに娘を殺されたかと思うと、虫唾が走る。しかし、それも今日まで。いま、私は、同胞のために、幾万もの家族や友の死体の上に我々に勝利を与えんとする! ああ、ファーティマよ、父さんも今からそっちらに行くからね……」
彼が語っている背後のオフィス入り口で、遅ればせながら武装警備員が走ってきた。だが、本当に遅かった。アリがスイッチを押し込むと、彼の身体は綺麗に吹き飛んだ。血飛沫が舞う前に、肉片が散る前に、炎がすべてを貪欲に喰らい尽くす。周りのものも火炎に包み、盛大に吹き飛んだのだ。それに続くように、建物あちこちで、爆発が続いた。
一瞬にして幾人もの生命が消滅したが、その瞬間、地球の裏側の戦地では、幾千人と殺戮してきた何十体ものロボットが力なく倒れたという。
シンシアは忙しかった。
娘の誕生日会に、アリスの友人たちを何人も招待して、その面倒をその母親と共々に見ていたのだ。それに、幾ら娘名義のパーティとはいえ、実質に真のホストは彼女であった。料理をつくったり、会の進行を勤めたり、レクレーションを取り持ったりと、目の回るような忙しさだった。
日も大分傾き、ゲストたちが退去すると、今度は散らかった部屋を片付け、夕食の準備に取り掛かる。その間、友人たちとずっとはしゃいでいたアリスは疲れきってしまったのか、ソファの上で、静かな寝息を立てていた。
シンシアがリブをソテーしていると、急に居間から声が聞こえてきた。起き出したアリスがテレビを点けたのだった。その声が、何とはなしに彼女の耳に入って来た。
「――は消火活動こそ終わったものの、周囲は依然として混乱している状況です。情報によりますと/やあ、みんな、今日はどんな冒険が待っているのかな」
途中で娘がカートゥーンチャンネルに変えてしまってニュースの外郭は掴めなかったが、どうやら一大事件が起きたようだと、シンシアは認識した。しかし、今日は娘の誕生日なのだ。一日ぐらい、ニュースから離れても、誰が咎めようと言うのだろうか。
彼女は気を取り直して料理に戻った。腕によりをかけてつくるリブステーキ。彼女の夫はそれを、いつも美味しいと言ってくれる。その笑顔が見られるだけでも、シンシアにとっては最大の労いになるのだった。
電話が鳴った。火加減が重要なので、彼女は出られなかった。電話は居間にあった。
「アリスー、ちょっと出てくれない?」
はーい、という間延びしたかわいらしい声とともに、娘の足音が聞こえてきた。
遠くで、アリスが受け答えする声が聞こえた。
「おかーさーん!」
直ぐにアリスから声がかかった。
「なに?」
「良くわかんない。お母さんに代わってください、だってー」
「もう、こんなときに誰かしら」
コンロの火を止めて、シンシアは娘のところに向かった。
「誰から」と、小声でアリスに尋ねた。
「陸軍の人」
見上げるアリスの瞳に、シンシアは電話を受け取った。