39 レイの調整
一九八三年、春。
寿ハイツ二〇三号室。
深夜二時。
部屋は地獄だった。
原稿。
本。
コンビニ袋。
灰皿。
カップ麺。
そして。
「のだぁぁぁぁ!!」
小野田レイは原稿を書き殴っていた。
ガリガリガリガリ!!
「逃げるのだぁ!!もっと走るのだぁ!!」
完全にノッていた。
旅館から戻ってきたその日から、レイはほぼ寝ずに書いていた。
理由。
今回のネタ。
強い。
かなり。
「のだっ♡」
レイはニヤニヤしていた。
「悲恋!追跡!狂気!桜!売れるのだっ♡」
シズカは横で映画雑誌を読んでいた。
「……また盛ってる……」
「エンタメなのだぁ!」
原稿タイトル。
『桜橋の花嫁』
『夜桜に消えた恋人たち』
『鬼武者伝説』
完全に観光ポスターっぽくなっていた。
しかも。
本当の話はかなり変えている。
武士に恋人を殺され、追われ、逃げた女。
そのままだと生々しすぎる。
しかも。
現地の温泉街は今、“悲恋の橋”で観光商売している。
「のだっ♡」
レイはペンを振り回した。
「商売の邪魔はダメなのだっ♡」
「……そこは真面目……」
なので。
原稿内では。
“若い武士に追われた恋人たちは、最後に自ら川へ身を投げて永遠に結ばれた”
という感じに調整した。
かなりマイルドになっている。
「のだぁ!」
レイは満足そうだった。
「ロマンチックなのだっ♡」
「実際は全然違った……」
「読者は救いが欲しいのだぁ!」
シズカは原稿を覗き込む。
「…………」
だが。
完全な嘘ではなかった。
女が嫌だったこと。
追われたこと。
逃げたこと。
その辺はちゃんと残している。
「……ちょっと優しい……」
「のだっ♡」
レイはドヤ顔。
「売れっ子作家だからなのだっ♡」
「最近そればっかり……」
レイはさらに書き続ける。
『桜の夜、女は振り返った。“どうかもう追わないで”』
「のだぁ……」
少しだけ静かになる。
橋。
霧。
泣き叫ぶ女。
川から這い上がる武士。
思い出す。
「怖かったのだぁ……」
「……うん……」
「愛してるぞ、があんな怖いと思わなかったのだぁ……」
シズカは少し笑った。
「……トラウマになってる……」
「重い愛はホラーなのだぁ……」
レイは真顔だった。
ガリガリ書く。
ペンが止まらない。
最近。
本当に筆が速くなっていた。
怖い思いをした分だけ書ける。
それがレイだった。
「のだっ♡」
数時間後。
ついに。
最後のページを書き終える。
『そして今も、春の夜になると橋の上に二人は立つという』
ペンを置く。
「…………」
「…………」
「できたのだぁぁぁぁ!!」
レイ、ガッツポーズ。
原稿の山を抱きしめる。
「最高傑作なのだっ♡」
「……毎回言ってる……」
レイは満足そうに天井を見た。
「ふっふっふ……」
サングラスをかける。
深夜なのに。
「次は映画化なのだっ♡」
「まだ早い……」
レイは立ち上がる。
原稿をまとめる。
紐で縛る。
かなり重い。
「のだぁ……」
急に真顔。
「……そろそろ編集者の誰かが原稿取りに来てくれても良いと思うのだぁ……」
「…………」
「毎回吾輩が運んでるのだぁ……」
「確かに……」
「売れっ子作家なのだぁ?」
「まだ新人……」
レイは遠い目になった。
「いつか高級マンションでワイン飲みながら“原稿できたよ”って電話するだけの生活になるのだぁ……」
「似合わない……」
「そして美人編集者が取りに来るのだっ♡」
「それ昼ドラ……」
レイは原稿の束を持ち上げた。
「重いのだぁぁぁ!!」
腰が悲鳴を上げる。
シズカは少し笑っていた。
「……作家っぽい……」
「腰痛職業なのだぁ……」
レイはフラフラしながら部屋を歩く。
すると。
原稿の間から、一枚のメモが落ちた。
『どうかもう追わないで』
「…………」
レイは少しだけ止まった。
橋の女。
怒ってた顔。
泣いてた顔。
「…………」
シズカも静かに見る。
レイは鼻をすすった。
「……成仏できるといいのだぁ」
「……うん……」
少し静かな空気。
だが。
次の瞬間。
「のだっ♡」
レイ復活。
「この作品も売れるのだっ♡」
「戻った……」
「恋愛怪談市場を制覇するのだぁ!」
「絶対ジャンル違う……」
深夜のアパート。
窓の外では始発前の街が静かに眠っていた。
その中で。
売れ始めた怪談作家と幽霊は、また次の怪談の話をしていた。




