34 地方民族学者
一九八二年、冬。
東京某所。
古びた大学研究室。
薄暗い廊下。
積み上がった本。
古文書。
埃。
そして。
妙にカビ臭い。
「のだぁ……」
小野田レイは少し緊張していた。
理由。
今日は“本物”に会うからである。
地方民俗学者。
大学教授。
怪談や伝承の研究者。
つまり。
レイみたいな“盛りまくり実録オカルト作家”からすると、知識階級のボスみたいな存在だった。
「のだぁ……」
レイは髪を整えた。
なお。
今日は珍しく普通の服装。
サングラスもなし。
なぜなら。
“知的な人”に会うからである。
「……珍しく普通……」
シズカが少し驚いていた。
「今日は文化人モードなのだっ♡」
「いつも変な人……」
「うるさいのだぁ!」
レイは咳払いした。
「うむ」
「…………」
「吾輩、話を盛る技術をさらに向上させるために来たのだっ♡」
「堂々と言わないで……」
レイは真剣だった。
最近。
自分でも気づいている。
ただ怖いだけじゃ弱い。
人間の歴史。
土地。
風習。
そういう“本物っぽさ”があると読者が食いつく。
「つまり!」
レイは拳を握った。
「知識を吸収してもっと強い怪談を書くのだっ♡」
「悪役みたい……」
研究室の扉。
『民俗学研究室・岩瀬』
レイは深呼吸した。
コンコン。
「失礼しますのだぁ!」
「どうぞ」
中。
本だらけだった。
床にも本。
机にも本。
棚にも本。
天井近くまで本。
そして。
老人。
六十代くらい。
痩せ型。
眼鏡。
静かな目。
「…………」
岩瀬教授はレイを見た。
「君が小野田くん?」
「のだっ♡」
レイは勢いよく頭を下げた。
「先生ぇええ!!」
「元気だね」
「ファンなのだっ♡」
「私の?」
「地方怪異と土着信仰の本読んだのだっ♡」
「へぇ」
「めちゃくちゃ盛れそうだったのだっ♡」
「ん?」
一瞬。
教授の動きが止まる。
シズカは静かに顔を覆った。
「……やっぱり変……」
レイは慌てて言い直した。
「い、いやぁ!勉強になるのだっ♡」
「……まぁ座りなさい」
レイはソファへ座った。
なお。
ソファにも本が積まれていた。
「のだぁ……」
レイは周囲を見回す。
古い民話集。
山村伝承。
海神信仰。
口減らし。
間引き。
祭祀。
完全にレイの大好物だった。
「強いのだぁ……」
「何が?」
「ネタの密度なのだっ♡」
教授は少し笑った。
「編集者から聞いたよ」
「のだぁ?」
「最近売れてるんだって?」
「のだっ♡」
レイ、即ドヤ顔。
「書籍化したのだっ♡」
「若いのにすごいね」
「ふっふっふ……」
レイはニヤニヤしていた。
「困るのだぁ♡才能が溢れてるのだぁ♡」
「調子乗ってるねぇ」
教授は穏やかだった。
レイは少し安心した。
怖い学者じゃない。
むしろ。
静かなおじいちゃんだった。
「のだぁ」
教授は本棚から一冊取り出した。
『東北沿岸部の生贄伝承』
レイの目が輝く。
「のだっ♡」
「君の海の話、少し読ませてもらったよ」
「のだぁ!?」
「編集部に置いてあった」
「ど、どうでしたのだぁ!?」
教授は少し考えた。
「面白い」
「のだっ♡」
「でも」
「のだぁ?」
「君、盛りすぎだね」
「のだぁ!?」
レイ、硬直。
「な、なんで分かるのだぁ!?」
「分かるよ」
教授は笑った。
「途中から完全に神話になってる」
「ロマンなのだっ♡」
「でもね」
教授は静かに本を開いた。
「本当に怖い話って、大抵もっと地味なんだ」
「のだぁ?」
「飢えとか」
「…………」
「貧しさとか」
「…………」
「村の空気とか」
教授の声は静かだった。
「人間の逃げ場のなさが怪異を生む」
「のだぁ……」
レイは少し真面目な顔になる。
教授はページをめくる。
「例えば山の神隠し」
「のだぁ」
「実際は口減らしだったりする」
「…………」
「海の生贄も、自然への恐怖だけじゃない」
「のだぁ……」
「共同体の都合が混ざる」
静かな研究室。
本の匂い。
レイは珍しく黙って聞いていた。
教授はレイを見る。
「君の作品、そこが少し出始めてる」
「のだぁ?」
「人間の嫌な感じ」
「…………」
「だから妙に怖い」
レイは少し固まった。
褒められてる。
しかも。
ちゃんと読まれてる。
「…………」
「のだっ♡」
急に復活。
「つまり吾輩は天才なのだっ♡」
「調子乗るの早いね」
「ふっふっふ……」
レイは机へ身を乗り出した。
「先生ぇ!」
「ん?」
「もっと強い民俗ネタ教えてほしいのだっ♡」
「強いって何」
「読者が眠れなくなるやつなのだっ♡」
教授は吹き出した。
「君、本当に作家向きだね」
「のだっ♡」
「不謹慎と好奇心のバランスが絶妙だ」
「褒められたのだっ♡」
シズカは少し呆れていた。
「…………」
でも。
研究室の空気は悪くなかった。
古い伝承。
怪談。
土地の記憶。
それを楽しそうに話す二人。
教授はふとレイを見る。
「……君」
「のだぁ?」
「なんか憑いてる?」
「のだぁ!?」
レイ、即硬直。
シズカも止まる。
「……え?」
教授は首を傾げた。
「いや、なんか空気変なんだよね」
「のだぁぁぁ!!」
レイ、冷や汗。
教授は普通に続ける。
「まぁ、怪談書いてる人ってそういう雰囲気になるけど」
「…………」
シズカは少しホッとしていた。
レイは汗だくだった。
「び、びっくりしたのだぁ……」
「なんで?」
「企業秘密なのだっ♡」
「変な子だねぇ」
その日。
レイは大量の民俗学資料を抱えて帰った。
そして。
帰り道でニヤニヤしていた。
「のだっ♡」
「……なに……?」
「さらに盛れるのだっ♡」
「そこなんだ……」




