25 シズカ
一九八二年。
夏前。
寿ハイツ二〇三号室。
相変わらず部屋は終わっていた。
床には原稿。
灰皿。
カップ麺。
オカルト雑誌。
洗ってない皿。
そして。
謎の取材メモ。
『首無し地蔵』『山神』『血塗れ旅館』『別館の主』など、不穏な単語だらけである。
「のだぁ……」
その中心で、小野田レイは寝転がっていた。
締切明け。
完全に屍。
「疲れたのだぁ……」
白衣の女幽霊は部屋の隅でぼんやりしていた。
「…………」
最近は本当に自然に居る。
テレビを見る。
映画を見る。
レイの締切地獄を見る。
ほぼ同居人だった。
「のだぁ」
レイは天井を見ながら呟く。
「不便なのだぁ」
「……なにが?」
「お主なのだぁ」
「…………?」
「毎回“白衣の女幽霊”って呼ぶの長いのだぁ」
「…………」
女幽霊は少し考えた。
確かに長い。
「……そうかも……」
「名前必要なのだっ♡」
レイは突然起き上がった。
そして。
妙に真剣な顔になった。
「うむ」
「…………」
「吾輩がお主に名前を授けるのだっ♡」
「…………」
女幽霊は少し戸惑っていた。
「……名前……」
「のだっ♡」
レイは腕組みする。
完全に偉そうだった。
「大事なのだぁ!」
「…………」
「呼びやすさは重要なのだっ♡」
レイは考え始めた。
「のだぁ……」
腕組み。
真剣。
まるで超重要会議みたいな顔。
なお。
内容は幽霊のあだ名決めである。
「白いから……」
「…………」
「シロなのだぁ?」
「犬みたい……」
「のだぁ……」
「ユキなのだぁ?」
「普通……」
「のだぁ……」
レイは唸った。
そして。
突然、目を見開く。
「のだっ♡」
「…………?」
「決まったのだっ♡」
白衣の女幽霊は少し緊張した。
なんだかんだ。
初めて名前を貰う。
数十年ぶりかもしれない。
レイは勢いよく立ち上がった。
「うむ!」
ビシィッ!!
指差す。
「ハチミツマンでどうなのだぁああああ!?」
「…………」
沈黙。
部屋が静まり返った。
「…………」
「…………」
「…………」
女幽霊。
真顔。
「……は?」
「ハチミツマンなのだっ♡」
「なんで……?」
「なんか甘そうだからなのだっ♡」
「意味分かんない……」
レイは得意げだった。
「可愛いのだっ♡」
「嫌……」
即答だった。
「のだぁ!?」
レイ、衝撃。
「なんでなのだぁ!?」
「ヒーローみたい……」
「強そうなのだっ♡」
「嫌……」
女幽霊は露骨に嫌そうだった。
「もっと普通がいい……」
「普通ぅ?」
レイは不満そうだった。
「普通は印象弱いのだぁ……」
「ハチミツマンの方が嫌……」
「のだぁ……」
レイは再び考える。
「うむ……では……」
「…………」
「ハチミツ姫!」
「変わってない……」
「のだぁ!?」
レイは机を叩いた。
「お主、要求が多いのだぁ!!」
「普通がいいだけ……」
すると。
レイは急に真面目な顔になった。
「……のだ」
「…………?」
「お主、生きてた時の名前覚えてないのだぁ?」
「…………」
女幽霊は少し黙った。
窓の外を見る。
「……ぼんやりしか……」
「のだぁ……」
「苗字も……顔も……昔のこと、だいぶ薄い……」
レイは少し静かになった。
いつもの馬鹿騒ぎではなく。
珍しく。
ちゃんと考えていた。
「……のだ」
女幽霊は少し困ったように笑う。
「だから……別に名前なくても……」
「ダメなのだっ♡」
レイは即答した。
「不便なのだぁ!」
「そこ……?」
「あと寂しいのだぁ!」
「…………」
女幽霊は少し目を丸くした。
レイは気づかない。
「うむ!」
再び腕組み。
「ちゃんと考えるのだっ♡」
数分後。
「のだっ♡」
「…………?」
「シズカなのだっ♡」
「…………」
「なんか静かだからなのだっ♡」
適当だった。
だが。
さっきよりはマシだった。
女幽霊は少し考える。
「……シズカ……」
「のだっ♡」
「……変じゃない……」
「当然なのだぁ!」
レイは満足そうだった。
「吾輩、ネーミングセンスあるのだっ♡」
「ハチミツマン……」
「忘れるのだぁ!!」
シズカは少しだけ笑った。
「……ありがとう……」
「のだっ♡」
レイはドヤ顔だった。
「これで呼びやすいのだぁ!」
「…………」
「シズカぁ!コーラ取ってなのだっ♡」
「触れない……」
「不便なのだぁ……」
その後。
レイは調子に乗って何度も名前を呼んでいた。
「シズカぁ!」
「なに……」
「シズカぁ!」
「なに……」
「シズカぁ!」
「……うるさい……」
だが。
シズカは少しだけ嬉しそうだった。
長い間。
呼ばれる名前なんてなかったから。




