こちら人生収活庁
■ 天然者のアトリエ : Strange Faith
待ちわびた十五歳の始まりは、なんてこともない狂った朝だった。
――誕生日おめでとう、リヒト。
枕元の端末から目前に浮かんだメッセージをぼんやりと見上げる。
神経質に角ばった筆跡。母の手書きだ。
拡張神経伝達網が発達したこの時代に、視覚情報を介さなければ言葉のひとつも送れないなんて。
ここまでアナログに固執するのは、もはや信仰というより強迫観念に近い。自然主義者ならではの現代病、さながら文明アレルギー。
「既読」
淡い揺らぎを残して、ホログラムが次の画面に切り替わる。
――2105年12月7日(月)7:30
――新着メッセージ 0件
――快眠スコア 67(適正値を下回っています)
〈おはようございます、リヒト=トツカ。本日の推奨カリキュラムをご案内します〉
滑らかな合成音声とともに、脳の負荷、情動曲線、学習効果を計算した最良の一日の実行計画が、画面上に淡々と並ぶ。
〈定刻までに専用スペースに入室し、学習を開始してください〉
「いやだ」
〈リヒト=トツカ? いったい――〉
母に回線を繋げられる前にAIアシスタントとの対話を強制終了し、学校から貸与された特別支援端末の電源を落とした。
いちいち発話しなければ操作できず、音声や映像を確認しなければ情報を受け取れない。
こんな時代遅れのインターフェース、うんざりだ。
階下から、父が朝食を作る音が聞こえた。ドタドタとした不機嫌な足音。電子ニュースに向けて一方的に怒鳴り散らす声。焦げたベーコンのにおい。
五感が拾い上げる生々しい情報が、脳内で無秩序に混ざり合い、僕の中を不快なノイズが満たしていく。
この家は「雑然とした環境こそインスピレーションの源だ」と言い張る男のために最適化されたアトリエだった。
社会から孤立した自由の檻――収活制度の外側の家庭。
僕は今日、この化石じみた生活を卒業する。
普通の世界を手に入れるために。
§
足音を殺して階段を降りる。薄い壁一枚を隔てたリビングでは、報道機関の『顔』を務めるAIアバターが最新トピックを読み上げている。
〈収活庁設立の発端となった、孤立死ゼロ計画。統計上、日本政府が掲げた目標が達成されてから今年で三十年――「終活」の早期化から始まった「収活」制度は、すっかり生活に溶け込み、もはや第四の国民の義務と言っても過言ではないでしょう〉
「なにが義務だ。反人間どもめ」
しゃがれた男の声が毒づく。
僕にも認識が許可されている、数少ない人間の肉声。
……父だ。
気づかれないように息をひそめ、玄関へ向かう。
リビングから漏れ聞こえる電子ニュースの合成音声が、個人が特定されないように保護された『市民の声』に切り替わった。
〈未収活家庭の子供? いるんですよね、まだ。何かの間違いで混触事故が起こったら、うちの子の未来予報にどんな影響があるか……恐ろしくて、収活歴を確認しない公立の学校には通わせられません〉
――『一般女性02』
〈出生時の一次収活すら認めないなんて、まともな親ならありえないでしょう! たしかにまあ、適切に隔離されている分だけ、未埋込よりかは……どちらにしろ関わりたくないことには変わりませんが〉
――『一般男性08』
聞き飽きた標準音声が代弁する内容もまた、新鮮味のないものだった。
「どいつもこいつも! くだらんことばかり言いやがる」
ぶつくさと文句を言う、父の声。
ガチャガチャと食器を片付ける音。
鞄を脇に抱えて、僕は慎重に足を運ぶ。
そのまま、そのまま……。
〈これまで収活といえば、未来予報の収束のために直近の実行計画を整理する活動、というイメージが根強くありましたが、最近また進化しているんですよね?〉
〈ええ。試験運用中のコーディネーターはすごいですよ! もはや選択を意識する必要すらありません。すべての可能性が自動的かつ暗黙的に最適化されていくんです。ついに人類が、不確実な選択を強制されるストレスから完全解放される時代がやってこようとしています〉
「解放だと? 冒涜の間違いだろうが!」
思いがけない怒鳴り声の近さに、僕は身をすくめた。
まずい、鉢合わせる――。
「っ……」
僕の目の前で、リビングの戸が勢いよく開いた。
「あんなものは文化の自殺だとなぜわからん⁉︎」
小太りの中年男が、興奮気味に唾を吐き散らす。赤く染まった顔。曇った眼鏡。寝癖だらけの髪。蛍光色のペンキのしみに覆われた、原型を留めていないボロ布のようなシャツ。
アンダーグラウンドで熱狂的な支持を集めるマルチアーティスト「tocka」の実体がこんなものだと知れたら、父を反体制のカリスマとして持ち上げる信者の幻想は消え失せるだろうか。
それとも、ますます惚れ込むのかな。母みたいに。
「――リヒト? 母さんはどうした」
「昨日から“天然者の集い”に出かけたよ、父さん」
「ああ、そうだったか。お前、今朝はやけに早いな。いつもの仮想学習とやらじゃないのか?」
どくり、と心臓が跳ねた。
大丈夫だ。荷物は最小限にした。
これから僕がどこに行こうとしているかなんて、この男に推測できるはずがない。
「えっと、課外授業で……」
「課外ぃ……? 外か!」
「ああ、うん、そう。野外授業」
「そいつはいい! 目に映るものすべて、手当たり次第に触れてこい!」
「そんなことしたら捕まっちゃうよ」
許可のない身体接触は重犯罪だ。まして相手が僕となると、たとえ故意でなかったとしても、深刻な混触事故として全国報道されかねない。
「いいか、リヒト。天然者のお前の感覚こそが本物なんだ。真の世界を味わえ。見ろ。嗅げ。触れろ。何者にも己の感性を削らせるな!」
血走った目をした父の手が、僕の両肩を掴んで荒々しく揺さぶる。
家族登録された間柄でなければ絶対に許されない蛮行。
だけど、父には関係ない。
「うん……」
いっそ、母に囲われる前の父のように街をさまよい、不躾な接触行為をくりかえして罪に問われれば、この家から独立できるんじゃないか。
そんな馬鹿なことも考えるくらい、天然者――ただの一度も収活歴がない人間という事実がもたらす社会制約は、僕にとって苦痛だった。
物心ついたときには、両親がまともではないことに気づいていた。
不気味な集会に通う元研究者の母。
無節操に自由を訴える芸術家の父。
異様な家庭環境から目を逸らし、理想の息子を演じつづけてきた。
十五年間、ずっと。
「リヒト。お前には素晴らしい才能がある! 可能性を手放した愚かな人間とは、生きる世界が違うんだ」
「そうだね……父さん」
――だから僕は、ひとりで人生収活庁に行くと決めたんだ。
薄く微笑みながら玄関の扉を開いた僕を、父は機嫌よく送り出した。
■ 人生の収活 : Store Futures
収活庁の門は、市民を拒まない。
白く輝く外壁を見上げて、深呼吸。鏡面加工されたガラスの壁面へ向けて一歩踏み出すと、生体情報解析が作動する。
――照合
――市民番号 : xxxxxxxxxx
――十束理人
出生時に市民登録してくれた祖母に感謝する。
身分証明は本物だった。
僕がどんな存在でも、必ずこのドアは開く。
――ようこそ、お入りください。
受付フロアには、たくさんの市民の影があふれていた。今朝のニュースの影響だろうか。
無個性な街の人たち――十把一絡げに置換された汎用人型の群れをすり抜けて、奥へ向かう。
ぶつからないように、慎重に。足早に。ドクドクと飛び跳ねる心臓を宥めながら、僕は務めて冷静に足を運んだ。
受付を探す僕の肩を、何か硬い感触が叩いた。
振り向いた先に、案内係の女性が立っていた。
「収活をご希望ですか?」
滑らかな音声。ハッキリと目鼻立ちが見える。きめ細やかな肌。艶やかな髪。折目正しく着こなされた制服。一見、生身の人間と区別がつかないほど精巧な――アンドロイドだ。
「現在の未来予報と収活歴をご準備ください」
「いえ、……一次収活です」
「一次収活には保護者の承認が必要です」
「許可はありません。僕は今日、十五歳になりました」
「十五歳」
「法律上、独立が可能なはずです。できれば保護も」
「……ご案内します。まずは可能性分析室へどうぞ」
案内係は滑らかにターンした。
僕はあわてて後ろにつづいた。
世界と繋がる。置換された人たちの本来の姿を、個性を、やっと知ることができる。適切な社会階層に参加できる。友達をつくれる。会話が噛み合う――。
そんな、普通の未来が手に入ると、信じてもいいのだろうか。
§
可能性分析室は、無機質な白で統一されていた。
室内には、椅子と解析装置らしきアームがあるだけ。事務室というよりも研究室のようだ。
案内係は簡潔に説明した。
「ご着席ください。そちらの装置で、チップに記録された十五年分の活動実績および生体データを読み取り、最新の環境補正アルゴリズムと照合します。痛みはありません」
指示に従って、僕は椅子に腰を下ろす。
ゆっくりと解析装置のアームが動き、個人識別チップの埋まっている頭部をなぞる。
さらに胸部、腹部、下半身まで、全身くまなく取り囲むように子機が展開された。
〈スキャン開始〉
短い音が響き、視界に淡く青い指標が現れた。
これが僕の十五年間――そう思った次の瞬間、アラート音が鋭く鳴った。
〈解析結果に異常値が検出されました〉
機械音声が淡々と異常を告げる。
〈可能性の散乱状態。──未収活者の中でも例を見ません〉
「えっ……錯乱状態?」
「通常の収活アルゴリズムでは対応が不可能です。深層処置室へご案内します」
案内係が、僕に退室を促した。
こことは違う、より専門的な処置を行う場所に、連れていかれる?
「ちょっと待って。僕、ただ普通になりたいだけなんです。大げさな処理はいらなくて……」
「ご安心ください。深層処置室の担当者は、特異値を持つ未収活者に対する専門知識を有しています。通常では説明のつかない可能性構造を、最適な形へ調整します」
■ 深層最適化 : Special Flow
「こちらが深層処置室です。以後は担当者が対応します」
案内係のアンドロイドが扉を開いた。
診察室のようだった可能性分析室に対して、深層処置室には研究所のような生活感があった。
奥の机に、ひとりの人物が座っていた。
……人間?
姿がハッキリと見える。汎用人型でも、モザイクでも、輪郭の乱れた影法師でもない。拡張神経伝達網に接続していない天然者の視界では、普通の市民を鮮明に捉えられないはずだ。
ということは――この人物はチップ補正を受けていない。
僕と同じ、天然者?
しかし、立ち上がったその人は言った。
「ようこそ、十束理人さん。はじめまして。私は深層処置室担当のAIです」
声は柔らかく、人間の声そのものだった。
僕は戸惑う。
「AI……? でも、あなたは……」
「AIの皮を被った人間、と言われることもあります。半分正しくて、半分は誤解ですね」
穏やかな口調で微笑むその人は、年齢も性別もどこか曖昧で、輪郭は確かに生身のそれなのに、無機質なアンドロイドや汎用人型よりも掴みどころがなかった。
「まず、あなたの解析結果をお伝えしましょう」
担当者はタブレットのようなデバイスを操作し、空中に映像を投影した。
そこには、僕の未来予報――これから辿り得る人生の可能性が視覚化されていた。
無数の線。
枝分かれし、交差し、細かな光が網目のように広がる。
隣の一般例とは比較にならないほど線の数が多い。複雑に絡み合い、凝縮された塊は、まるでブラックホールのようだった。
「あなたの未来は、いわゆる散乱状態です。通常の収活では剪定できる量ではありません」
「……多すぎる、ってことですか?」
「ええ。普通の少年なら、可能性の束は数千〜数万程度に収束しています。しかし、あなたは桁が違う。未来だけでなく、現在の認知構造、さらには過去の形成プロセスも通常範囲に収まりません」
僕には、ほとんど意味が理解できなかった。
理解することを脳が拒んでいた。
「複雑すぎるから、普通にできないってことですか?」
「正確に言うなら——あなたの未来を収めるには、剪定すべき可能性が多すぎるのです。未来の枝を整理するだけでは不十分。過去や現在の構造そのものを、大きく整理する必要があります」
過去。
現在。
未来。
すべてを整理しなければ、普通にはなれない?
「でも……僕は、普通がいいんです」
「分かっています。ですが、そのためには、あなたという構造そのものをシステムが即時処理可能な次元まで軽量化する工程が不可欠なのです。恐れる必要はありません。痛みも、記憶の喪失もありません。ただ、不要な枝葉が落とされ、世界と馴染む形へ整えられるだけです」
僕は拳を握りしめた。
言われている内容は不気味だ。
でも――。あのアトリエには、戻りたくない。
「……お願いします」
僕の答えに、担当者は静かにうなずいた。
「承諾確認。では、収活の特別工程――深層処置 : 構造調整プロトコルを開始します」
担当者が指先を軽く動かすと、部屋の空気が一変した。
床も壁も消え、代わりに淡い光が満ちる。
僕はまばたきした。
自分がどこに立っているのか分からない。足元は透明な何かに支えられているだけだ。でも恐怖は不思議と湧かなかった。どこか胎児に戻ったかのような安心感に包まれている気さえした。
「ここは構造調整プロトコルの内部空間です。あなたの認知と記憶をモデル化し、剪定すべき枝を可視化します」
担当者の声だけが確かだった。
その姿は光に溶けるように曖昧で、距離感がつかめない。
僕の前に、一本の巨大な樹のようなものが現れた。
幹の内部には光の筋がめぐり、枝は無数に伸び、枝先は絶えず形を変えている。
「これはあなた自身です。過去、現在、未来――そのすべてが一体となった構造体」
僕自身。
こんなにも煩雑で、眩しくて、暴れているものが?
担当者は枝の一つに触れた。
その瞬間、記憶にない光景が僕の目の前に広がる。
――アトリエ。
tocka が筆を振るう。キャンバスに色がはじけ、飛沫が光る。
幼い僕はそれを見て、同じ動きをしてみようと手を伸ばす。
その手から、同じ色が、同じ軌跡でほとばしった。
「あなたの才能です。父親から受け継ぎ、あなた自身も気づかぬまま磨き続けてきた」
次の瞬間、枝は音もなく切り落とされた。
光の粒となって消える。
「あ……」
胸の奥で何かが軽くなるのを、僕は感じた。
「心配はいりません。能力そのものを消すのではなく、必然性を取り除いただけです。あなたが芸術家になる未来は、これでほぼ消えました」
芸術家になる未来。
父が望んでいた世界。
でも、僕は心のどこかでホッとしていた。
次に別の枝が触れられる。
映し出されたのは母だ。書斎の机に山積みになった論文、睡眠もとらずに画面を睨みつける姿。
その背中を見続けた日々。
幼い頃、母の話す難しい理論を理解できてしまった驚き。
僕は異常なのだと気づいた瞬間。
「あなたの高次思考力。過剰な解析能力は、一般社会ではノイズになります」
枝が切り落とされる。
雑音がひとつ消えたように感じた。
そして、次の枝。
――小学校。
モザイクの影。
黒く揺れる輪郭の中で、誰もが笑い、話し、ぶつかり、通り過ぎていく。
声も、顔も、全部ぼけて見えない。
僕だけが異物だった日々。
「天然者として孤立した経験。痛みは、あなたの認知を鋭利にしすぎます。普通を望むなら、不要です」
刈り取られる。
胸の痛みがふっと薄らぐ。
さらに担当者は、細い枝、短い枝、幹の内部に巻きついた根のような構造にも触れた。
「両親に抱いていた複雑な感情。期待、反発、罪悪感。そのどれもが、あなたの未来の偏りを強めています」
父の罵声、母の束縛、自分の無力感。
すべて――切り落とされた。
僕は胸に手を当てた。
枝が切り落とされるたび、心は軽くなっていく。
悲しくも苦しくもない。存在を忘れてもいない。今は考える必要のない過去、これからの僕には不要な可能性が整理されていく感覚は、ただ心地よかった。
「では、現在の構造へ移ります」
樹の表面が震え、無数の光の線が浮かび上がる。
「観察力が過剰に強すぎます。あなたは人を見ると構造として理解してしまう。普通の人間は、他人を解体しながら会話はしません」
担当者は淡々と枝を落とす。
「無意識の解析癖も削ります。日常を意味付けしすぎると、生きづらさにつながる。普通の人は、理解しなくても前へ進めます」
枝がまた、落ちる。
「そして……不安、怒り、願望、衝動。あなたの感情密度は平均の四倍以上。これは危険です。未来の分岐を爆発的に膨張させてしまう」
幹の奥がきしむ。
担当者の手が深く差し込まれ、ひとつひとつの灯りを摘み取るようにして消していく。
そのものが消えるわけではない。
ただ、僕の中で、重さが消える。
世界を観察する癖が薄れていく。
自分自身の内部が、静まっていく。
「最後に、未来の剪定です」
担当者が手を広げると、樹の上空が夜空のように変わり、可能性の枝が星座のように煌めいた。
「あなたは才能が多すぎる。芸術家、研究者、スポーツ選手、経営者――いずれも突出した結果を残す未来が存在します。ですが、あなたは望んでいない」
星のような枝が、音もなく消えていく。
「破滅的な選択肢も落としましょう。あなた自身や他者に損害を与える未来は、普通の人生とは呼べません」
また、枝が消える。
「圧倒的な成功への道も不要ですね。高度なストレス環境は、あなたには過剰です」
光が消えていくたび、広がりすぎていた未来の空が狭まり、形を持ちはじめる。
「誰かと深く関わりすぎる可能性。恋愛関係、依存性、破滅的な関係性。すべて剪定します」
「……どうしてそれまで?」
「深い関わりは複雑な未来を生みます。あなたは普通を望んでいる」
担当者は淡々としていた。
「誰かを傷つける可能性、誰かに愛される可能性――その両方を、最小限に調整します。あなたは大きく誰かの人生に干渉しない形で、生きられるようになる」
胸の奥が、どんどん静かになっていく。
最後の枝が落とされたとき、樹は一本の小さな幹だけになっていた。
目立たず、複雑さもなく、ただそこにあるだけの普通の構造。
美しく整った、僕の未来予報。
「……きれいだ」
呟いた声は、僕のものとは思えないほど淡々としていた。
担当者が微笑む。
「ええ。これが、あなたが望んだ未来です」
僕は目を閉じた。
内側には、本当に何もない。
痛みも、焦りも、衝動も、未来への渇望も、全部遠くへしまい込まれていた。
「これでやっと、僕は普通になれたんですね」
深く染み入るような胸の内は、あまりにも静かで。
念願が叶った実感も、喜びも、湧いてこなかった。
■ 剪定された未来 : Signature Feature
それから三日間、僕は収活庁の保護施設で、ただぼんやりと時間をやり過ごした。父の怒鳴り声が聞こえない家で過ごす時間。――何も考えない、という状態がこんなにも容易で、そして軽いものなのだと、初めて知った。
〈十束理人様。最適化後の未来予報および今後につきまして説明準備が整いました〉
通信制限が外されたチップ経由の思考補助に従い、僕は再び深層処置室を訪れた。
深層処置室の担当者──かぎりなく人間に近いAI研究者は、以前と変わらない穏やかな微笑みで僕を迎える。
「お待たせしました。あなたにとって、最も収まりのよい未来が確定しました」
僕は無意識に背筋を伸ばした。
かつて激しく脈打っていた心臓は、奇妙なほどに落ち着いている。
担当者は一枚のホログラムを示した。
「あなたの最良の未来は──人生収活庁・可能性収斂コーディネーターです」
理解が追いつくまでに数秒を要した。
「……え?」
喉の奥からやっと絞り出した声は、僕のものとは思えないほど薄い。
「収活庁の、コーディネーター……? 僕が?」
「ええ。あなたに残された適性は、そこに一点集中していました。担当部門に話をしたところ明日からでもぜひ勤務してほしいと」
僕は口を開いたが、言葉にならなかった。
考えがまとまらない。いや、浮かばない。自分の未来について何かを考えようとしても、以前のように複雑な連想はもう湧き上がらない。
ただ、ぽつりと、疑問だけが落ちる。
「……普通の生活は……?」
「普通とは?」
「学校に行って……友達と遊んで……」
「その可能性は、あなた自身が剪定しました」
「女の子を好きになって……新しい家族になって……」
「それらも同様です」
「仕事帰りにコンビニに寄る──そんな未来は……?」
「すべて、削除されました」
担当者の声は一切揺れない。僕の選択を責めることも、慰めることもない。父がこの場にいたら怒り狂っただろうに――〈精神負荷の高い揺らぎを検出しました。剪定しますか?〉――思考を遮る案内音声に、僕は無意識に首肯していた。
「あなたが剪定を進めた結果、個人的な生活を形成する諸要素はすべて不要と判断されました。芸術家としての未来、研究者としての未来、誰かと深く関わる未来、傷つける未来、愛される未来──それらはすべて、不必要な揺らぎの源でした」
ホログラムに映るデータが淡々と言葉に変換される。
「あらゆる可能性を削りながら、あなたが唯一、最後まで保持した適性は──他者の未来構造を見抜き、整理する能力です」
何を思えばいいのかわからないまま、僕はぼんやりとホログラムを見上げた。
担当者の声は、自信に満ち溢れていた。研究者として、僕という珍しい症例に興奮し、心から讃えようとしていることだけは、よくわかった。
「他人の……?」
「はい。あなたは無意識下で、その能力を残しました。過去においても、現在においても、未来においても。あなたを最も苦しめていた認知の鋭さ、観察力、構造把握力は、本来なら剪定すべき大きな要素でしたが──あなたはそれを『必要』と判断された」
僕は静かに目を伏せた。
なぜ、それが必要だったのか。
今の僕にはわからない。
削ぎ落としても、削ぎ落としても、捨てきれなかった心の奥底――僕に残されたのは“他人を理解したい”という切実な衝動だけらしい。
担当者が問う。
「通知内容について、ご質問はありますか?」
僕はゆっくりと首を振る。
疑問はあれど、理解する必要性を感じていなかった。
「では十束理人さん。本日付で──他者の可能性を整理する専門職、可能性収斂コーディネーター候補生として登録されます。あなたは今後、他人の未来を収納していく側の人間となります」
僕は微かにまばたきをし、静かに息を吐いた。
憧れた世界の一員として受け容れられた現在、喜びも悲しみもなく、ただ自分の中に残った最後の適性が、こうして生きる場を得たのだ、と理解する。
削って、削って、削って──最後に残ったものは、他人の未来。
■ こちら人生収活庁 : Still Fact
人生収活庁・可能性収斂部──そのフロアは、病院の無菌室のように静まり返っていた。
目に入るものは、全市民の情報を分析する権限を付与された特殊な通信端末と一人分の机だけ。
どこまでも無駄の削ぎ落とされた事務室は、無味乾燥とした空気で満ちていた。
僕は、用意された席に座り、端末を立ち上げた。
停止した世界の静寂が、耳に心地よい。
『候補生』という名の下に配属されたが、他に同僚の姿はない。――きみは極めて収まりのよい人生を早期実現したモデルケースだと、ここまで僕を案内した上司は告げた。
やがて端末の通知灯が瞬く。
最初の依頼が入った合図だった。
僕は流れるように回線を開く。
「はい。こちら人生収活庁。最良の未来をコーディネートいたします。本日はどのようなご用向きですか?」
数秒の沈黙。
一般的な依頼人が示す『選択』の迷いよりも、長く、深い沈黙だった。
『……あの……ひとつ、相談がありまして』
女性の声。
かすれ気味で、慎重に言葉を選ぶような話し方。
どこかで聞いたことがある、と僕の脳が一瞬だけ反応しかけ――〈業務遂行上、不要な個人的連想です。剪定しますか?〉――即座に剪定された。
『子どもの未来について……なんです。……その子は……とても……たくさんの可能性を、持ちすぎていて……』
言い淀み。
まるで胸の内を探りながら、そこに刻み残した傷の位置を確かめるような。
僕は淡々と質問を返す。
「お子さまの年齢、現在の未来予報の状態、収活歴をお知らせください」
『……十五歳です。自然……未収活で……ずっと、システムとは合わなくて。……いえ、合わないように、してしまっていたのは、私の……』
最後の言葉は小さすぎて機材に拾われなかった。前時代的なインターフェース特有の通信障害。微細な震え、深呼吸のクセ、母音の伸び──すべてが、僕の世界を形づくっていた人物の発話の癖と重なっていた。
しかし、特殊な対応をとるべき理由は、何もない。
僕の微かな揺らぎは、不要な情動として即座に廃棄され、端末の画面上には依頼内容が整理されていく。
可能性の枝葉。
未来の選択肢。
リスクの分岐。
僕は淡々と作業を続けた。
「確認しました。お子さまのケースの場合、過剰な選択肢が十二枝。最良の未来に収めるため、削除を推奨します」
『……そう、ですか。削られる、んですね……やっぱり』
女性の声が、ひときわ大きく震えた。
しかしそれはすぐに抑え込まれ、重々しく静かなトーンに戻った。
『……選んで、しまったんですね……あの子が。自分で』
その声には、憂慮してきた恐れの具現、理解しがたい子供の選択を、それでも尊重しようとする苦い覚悟が滲んでいるかのようだった。
相談者の経歴はAI研究者。システムの裏側をよく知る『母親』ならではの憂い――か。
僕は淡々と次の手続きを説明する。
「ご依頼を承りました。未来予報の更新は、こちらで完了いたします」
通信が切れる直前、ひとりごとのような、吐息交じりの祈りの声が聞こえた。
『……どうか……幸せに……』
通信は途切れ、端末は無機質な待機画面に戻る。
――市民番号 : xxxxxxxxxx
――十束尚子
表示された氏名を見ながら、やりとりの結果を記録していると、新しい依頼が届いた。
僕は、再び同じ言葉を口にする。
「こちら人生収活庁。最良の未来をコーディネートいたします──」
母の声を聴いた余韻が遠ざかる。
迷いも、苦悩もなく、静まり返った心には、さざ波ひとつ立たない。
僕の世界は完全に整理されていた。
Q.あなたにとって〝SFらしさ〟とはなんですか?
A. 「最良の悪夢」
現代って、普通でいいのに普通が難しかったり、多すぎる選択肢の負荷に疲れ果ててる人が多いと思うんです。
もしも、いわゆる「収まりのいい」未来にあえて可能性を「収めていく」システムがあれば、ストレスフリーになれるんじゃない?(でもそんなにうまくいくことばかりじゃないよね)ってお話。
この世界観や展開も「最良の悪夢」という言葉になぞらえたつもりですが、それだけではなく――
・もしもxxがあれば〜社会はこうなって〜という思考実験的な物語構造
・善意によって生まれた技術や論理的な最善の選択を重ねた末に悲劇的な結果を招く皮肉
・広げた夢への課題を自ら提起することで逆説的にその解決を希望する作者の想い
――なんかもSFらしさだよね、という思いを込めて定義した回答です。
公開が大変遅くなりましたが、無事に仕上がり一安心しています。
快く遅参を許可してくださった「#匿名SF短編企画」(N0411LJ)主催の八雲氏、漏れなく原稿を上げてくださった参加者のみなさまに感謝を。お疲れさまでした!




