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1-3. 秘密結社チェス

 男はぬらり、と姿を現した。ひとつに束ねられた絹のような黒髪。陽を浴びたことがないような蒼白い顔。華奢(きゃしゃ)ではあるがひょろりと長い体躯。左を覆う半眼のめがね。そして死神を思わせるほど黒い服を全身に纏い、パルを見下ろした。その目も、口も、全くと言っていいほど温度がない。



 「選べ。犬死か、逆賊悪漢としてこの世を覆すか。」



 冷たくも、どこか品のある柔らかい声だった。深みがあり心地よい。不思議な揺らぎを纏っているからか。人を従わせるだけの強さもある。品、高潔さ。圧倒的な強者の風格を持つ男にも無鉄砲に挑むのがパルの強みといったところであろう。



 「俺、死んだんですよね?」 



 「戸籍上は」と心の中で付け加える。この通り、物理的な身体もたった一つの命も取り留めた。あの緑の目をした大男のおかげで。それもこれもどれも、この黒い男の意志なのだろうと察することができた。



 (男は俺を、利用しようとしている。

  彼は俺を、必要としている。)



 「俺が生き返る方法はありますか。」



 仕方がない。孤児の頃は、仕方がないの連続だった。王族貴族の世にあって、これも世の摂理だ、仕方がないと思えば諦められた。


 しかし、今、生への執着が無いわけではない。俺は、あの論文の続きを書かなければならない。この世をしっかりと両の目で見て、分析して、真実を記さなければならない。正義に適うかどうかではない。ただただ、消化不良だ。俺の、知識人としてのプライドが、何より知への欲望がそれを許さない。


 未完の研究を残して死ぬことなどできる訳がない。


 それに、コナミや先生には悪い事をした。同期もあの口うるさい秘書も。俺の死を悼んでくれた人は、少なからずいるだろう。


 男はまばたきひとつせず、パルを見据えていた。パルも恐れることなく、男の深い紫の瞳を見つめ続けていた。



 「パル。この国の最高権力者に逆らう術を、私たちは持っている。」



 それが全てだった。なんと明瞭な答えをくれるのだろう。パルは目を輝かせた。間違いない。この人は本気だ。



 「俺も仲間にしてください。」



 この世が、この社会が変わる瞬間を目で見て、書き記したい、残したい。社会はいかにして変貌を遂げるのか、ぐにゃりと(ひず)み、うねり、また新しい形へと変わりゆくアメーバ状の何か。時に上から力づくで形を変えられ、時に下から突き上げるように成形される。そんな社会を観察するのが、楽しくてたまらない。きっとこの人たちは、まだまだ俺の知らない形に、この社会を変えてくれる。


 男は軽く笑うように息を吐き、口の端に笑みを浮かべた。最初、悪魔のようなと思ったが、それは彼が白すぎる微笑みは優美で、しかしいたずらっ子のような茶目っ気もある。



 「ようこそ、パル。秘密結社チェスへ。私は、パタートン伯爵家のルカだ。ルカ・パタートン。もっとも、苗字に伯爵だなんて、化石のような響きかもしれないね。」



 貴族の生き残り。しかし、自ら貴族を名乗る者は珍しい。誰だって命の方が大事だ。伯爵を名乗り苗字を使う者など、革命政府軍が黙っていないだろう。貴族のプライド、誇り、高潔さ。初めて体感するそれらは、想像よりも美しい。



 「我々が目指すのは、王政復古。」



 言葉が熱を帯びる。パルは叫ぶように言葉を切り返した。興奮は最高潮に達し、瞳は好奇心で潤んでいる。なんて面白い。こいつは、パンドラの箱をこじ開けようとしている。



 「王政復古!?時代を逆行させるの!?」



 「平等を掲げた革命は、失敗に終わった。今あるのは絶対的権力と暴力。それに誇りも秩序もない穢れた社会。かつては、王族貴族は領民を守り、領民は王族貴族への忠誠を誓った。温かく家族のような絆が芽生え、互いを傷つけることは決してなかった。それがどうだ。政府は思いのまま人民を操り、傷つけ、虐げている。そこには、かの王族のような、誇りや優しさ、愛情はない。」



 古びた思想。"化石"という表現に相応(ふさ)わしい貴族の思考。しかし、眼前にあるとなんと面白い。


 このような自由思想を論ずることすらできない現在の社会の方が間違っているとは言えなくもない。思想は自由だ。王政復古を検証することも、またひとつの自由であろう。



 「………………最高じゃん!」



 「ふふっ、言ってくれるね。」



 噛み締めるように漏らしたパルに、ルカは満足げに頷いた。子どもの成長を喜ぶ父のように、彼は穏やかに笑っていた。



 「じゃあセラ。悪いけど頼んだよ。早速、教授に仕事をしてもらおう。」



 「りょーかい!ほんとルカってば、人任せなんだから!」



 白髪の少年は、白い歯が全て見えるくらいに大口をあけてニシシと笑った。



 「疲れたでしょ。まずは部屋に案内するよ。それから。これからの話をしよう、パル。」



 少年は、俺の両の手を取って引っ張る。勢い余ってよろけながらも立ち上がり、久々に機能する二本の足が重力に驚いたかのように震えた。否、これは武者震いか。



 「ありゃりゃ。怖いの?」



 「うるせぇ。」



 少年は面白くて堪らないと言ったように、俺の手を引いて歩き出す。「こっちこっち!」と、こちらもまた新しいおもちゃが手に入ったかのように、瞳をキラキラ潤ませている。しかし、かの軍人たちと異なり、悪意も敵意も何もない。彼は、純粋な心からの幸福を振りまいている。



 赤煉瓦(あかれんが)の廊下を歩く。旧い倉庫か屋敷か役所か。大学校と同じくらいの大きさにも感じられる。屋根は所々透明で、北方の寒空ながら、陽の光が降り注いでいた。


 しかし、赤煉瓦とは何とも賢い。北の生きる知恵だ。冷たく白い雪景色の中で赤煉瓦の熱容量と保温性が機能し、さらにその赤色が視覚的な温かさを提供するという、機能美と伝統に基づいている。北方地域には初めてきたが、興味深い。新しい知識。新しい経験。俺は生きる喜びを感じている。



 「なにうっとりした顔してんのさ。」



 「赤煉瓦、いいなと思って。」



 その一言で全てを察するだけの賢さを、少年は持ち合わせているらしい。丸い瞳をさらに丸くし、ぱちりと瞬きをしたのち、やはり嬉しそうに笑った。



 「パル。智恵は、生存に直結する。」



 たった10年くらいしか生きてない顔して、随分と知った口をきくもんだ、と心の中で毒を吐きつつ、話を逸らす。自分から軽口を叩けるほど、俺はまだこの少年を知らない。



 「そういえば、なんて呼べばいい?君と、あの、男と。」



 「うーん。なんでもいいよ。他のメンバーはルカのこと、リーダーって呼んだりしてるかな。」



 「へぇ、リーダーね。君の名前はセラ、くん、だっけ?リーダーとはどういう関係なの?ていうか君なんなの?どういうポジション?」



 「ほんっと、パル教授は知りたがりなんだから〜!」



 茶目っけたっぷりに返す。少年は、どうにもパルを子ども扱いしたがる。子どもをあやすような、泣く子を(なだ)めるような、おどけたそぶりをした。



 「僕はセラ。ただの貧乏酪農家の息子。街で牛乳販売してたらルカに拾われたんだよね。チェスの雑用係みたいなもんで、今度は君のお世話係だからね。また任されちゃったよ〜、ほんとに。」



 セラは歩みを止めることなく、大きな瞳をこちらに向ける。子どもらしく輝いていた表情が、今度は、まるで大人の女性のように(なまめ)かしく見えた。自然にか意図的にか。少し声のトーンを上げて、彼は語りかける。



 「お布団も洗っといたから。よく眠れると思うよ。感謝してよね。」



 脳が無理にこじ開けられる感覚。膨大な記憶が流れ込む。珍しい緑の瞳。懐かしい。おぞましい。こいつはいつから俺のそばにいたんだ。勢いよく手を振り払う。立ち止まって、彼を見下ろす。



 (……………先生の秘書ッ)



 大学校で校長秘書をしていた、あの茶髪のおさげの女。少なくとも俺が大学校を卒業した時から、先生の秘書をしていたはずだ。生活面に掃除に書類提出。コナミも俺も、本当に世話になった。俺の刑が決まった日も、いつもの如く、俺たちの喧嘩を止めてくれた。大粒の涙を流していた、あの口うるさい………



 「なに?布団で寝れるのがそんなに嬉しい?まぁ身体も痛むでしょ。乱暴な真似してごめんね。」



 そういえば。あの死刑執行人も緑の瞳をしていた。大きな体躯に似つかわしくない、子どものような大きな瞳。



 「お前、いくつの顔を持ってんだよッ!」



 「んふふ、やっと気づいてくれたぁ。」



 セラは軽やかに笑い、先を急ぐ。緑の瞳の怪物は、俺をずっと見ていた。否。採点していたのかもしれない。俺は彼のお眼鏡に適っただろうか。だから、ここに呼ばれたのだろうか。



 「ほんとに、化け物だよ…………」



 「どうもありがとう。まぁ、明日からが試験本番なんだけどね。」



 本当に恐ろしい。俺は、俺を天才だと思っていた。天才だと信じて生きてきた。自信も自負もある。しかしこいつは。俺の瞳の動きや仕草から、おおよそ心まで読んでいるのではないか。惑わされる。面白い。この男は、気持ち悪いくらいに賢いのだ。本当に面白い。



 「セラくんって、キッモくていいね。」



 「初日でそこまで言われたの、初めてだよ。」



 彼は不貞腐れたように口をすぼめる。そして、朗らかに笑った。



 「僕らは仲間だ。隠し事は無しといこう。パルのことも教えてよ。」






♖♜♖♜♖♜






 「ねぇ、本当にいいの?彼に善し悪しなどない。彼を貫く正義などない。」



 暗闇の中。蝋燭の火を吹き消さぬように、男は言った。



 「彼はね、審判(レフェリー)だ。彼には理想も希望もない。彼を突き動かすのは常に好奇心で、いつ手の平を返すかわからない。」



 男は口元を緩ませ、ふっと息を漏らす。その声は、喜びに満ちていた。疑念も不安も、何もない。



 「だからこそ、彼が必要なんだ。」



 男の声は、ただただ、自信に満ちていた。



 「我々の功績に、行動に、最後に点数をつけるのが彼の役割なんだよ。我々を善とするか、悪とするか。歴史を紡ぐのは、我々ではなく、きっと、パルだ。」

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