第三話 ゼリオナス
王立学園の大講堂は、天井が高く、声がやけに響く。
壇上では校長が「伝統」や「規律」について延々と語っていた。
あくびを堪える生徒、退屈しのぎに靴を揺らす生徒。
教室で見せていた表情とはまるで違う。
アストレイも周囲を見渡しながら、息を飲んだ。
こんなに多くの人間を見るのは、生まれて初めてだった。
だが新鮮だったのも最初だけ。
式はまだ半ばだというのにもう壇上の言葉は耳に届かない。
窓の外では春の陽が傾き始め、光が大理石の床をなぞっている。
アストレイだけでなく、誰もが早く終わってほしいと思っていた、そんな時。
「――陛下、ご入場」
その一言で、時間が止まった。
扉が開く。
眩い光が差し込み、ひとりの男が歩み出る。
カルディア。
この国を治める若き王にして、三英傑のひとり。
光が王の周りに滞留するように見えた。
金でも銀でもない、淡い風のような輝き。
その歩みは静かで、しかし踏みしめる音が誰の耳にも届く。
王の装いは質素だった。
宝石もなく、ただ白い外套の胸元に小さな紋章が光る。
だが、その存在だけで空間が満たされていく。
アストレイは息を呑み、立ち尽くした。
隣でレオダルクが小声で呟く。
「……あれが、“風の王”カルディア」
「風の王?」
レオダルクは小さく息をついた。
「戦場で、味方の士気を上げる不思議な力を持つって言われてる。
戦う者たちの力が一斉に高まるんだとさ。
“希望を吹かせる王”って呼ばれてる」
「希望を、吹かせる……」
アストレイがその言葉を反芻する。
レオダルクは肩をすくめて笑った。
「どんな魔法かはわかんねぇ。
けどな――あの人が戦場に立つだけで、本当に風が変わるんだとさ」
カルディアが壇上に立つ。
見渡すだけで、誰もが呼吸を止めた。
「――新入生の諸君」
声は穏やかだった。
それでも、大講堂の隅々まで染み渡る。
「この学び舎は、立場や血に縛られぬ場所である。
貴族であろうと、庶民であろうと、魔法を志す者は等しく学ぶ資格を持つ。
それが、この王国が築いてきた“希望”だ」
言葉に誇張はなかった。
けれど、ひとつひとつが真っすぐに響く。
アストレイの胸の奥で、何かが静かに震えた。
「……私には、野望がある」
壇上の空気が止まった。校長が小さく息を呑み、側近が困惑の視線を向ける。
それでもカルディアは、静かに言葉を紡いだ。
「争いを、なくすことだ。
君たちは可能性に満ちている。その可能性を、ぜひ私のために磨いてほしい。
そして、私と共に戦ってほしい。
君たちがさまざまな困難を乗り越え、共に戦える日を夢見ている。」
演説が終わりカルディアが壇上から姿を消すと、新入生の間でたまっていた熱がどっと解放される。
拍手がしばらく鳴り止まなかった。
それは称賛というより、誰もが今の鼓動を確かめているような音だった。
「……すげぇ、なんか本当に戦える気がしてくるな」
レオダルクが興奮を抑えきれず呟く。周囲の生徒も口々にざわめいた。
「陛下ってやっぱ違うよな」「あんな風に言われたら頑張るしかねぇだろ!」
アストレイは、その熱の中でひとりだけ黙っていた。
胸の奥で、なにか小さくざわめいている。
“戦う”という言葉の響きが、どこか遠く、まだ掴めない。
それでも――その王の姿は、確かに心を揺らした。
始業式が終わると、廊下はすぐに人で埋まった。
談笑、足音、魔力の微かなざわめき。
その雑踏の中で、低い声がアストレイを呼び止めた。
「ルシファード」
振り返ると、柱の陰にゼリオナスが立っていた。
鋭い金の瞳が、真っすぐアストレイの頭部――角を捉えている。
「なぜそんなものをつけている」
「これは……」
さっきレオダルクに言われた言葉が頭をよぎる。
“それは魔族の証だ”
アストレイは息を詰め、それでも笑ってみせた。
「かっこいいと思って……つけてるんだ」
ゼリオナスの表情が、わずかに歪んだ。
空気がぴんと張りつめる。
「かっこいい……だと?」
低く絞り出した声が、廊下の奥で反響する。
足音もなく一歩、二歩と距離を詰める。
近づくたびに、空気の密度が上がっていく。
「貴様、自分が何を頭に乗せてるのか、理解して言っているのか?」
アストレイは一瞬、言葉を探した。
「正直さっき初めて聞いたんだ。でも、これは俺の――」
「明日からは外してこい」
ゼリオナスの言葉が重ねられる。
「それが貴様にとってどんな意味を持つかなどどうでもいい」
「……でも」
その瞬間、別の声が割り込んだ。
「おいおい、それはおかしいだろ」
レオダルクだった。
彼は軽く腕を組み、ゼリオナスとアストレイの間に立つ。
「本人が気に入ってるって言ってんだ。何をつけるかなんて自由だろ?」
ゼリオナスの視線が、レオダルクに移る。
冷たい、研ぎ澄まされた金の瞳。
「庶民は黙っていろ」
その一言に、レオダルクの笑顔が止まる。
空気が一気に重くなった。
ゼリオナスはアストレイに再び視線を戻した。
声は静かだった。けれど、その奥に熱があった。
「魔族は人を殺す。奪う。嘘をつき、裏切る。
…俺の家も、あいつらに焼かれた。
角のついた連中が笑いながら火を放っていたのを俺は一生忘れない」
言葉は淡々としているのに、静かな熱が喉の奥から滲み出ていた。
「そんな角を頭につけて『かっこいい』?」
アストレイは何も言えなかった。
今更ゼリオナスの自己紹介を思い出す。
ゼリオナスはひとつ息を吐き、背を向けた。
「……忘れるな。ここは王都。人間族の国だ」
その言葉を残して、彼は歩き去った。
足音が石の床に反響し、やがて遠ざかっていく。
残されたのは、張り詰めた静寂と、ふたり分の息づかい。
「まぁあいつの言うことも完全に間違っているとは言えねぇ。
魔族による人間族の被害が大きいのも事実だ。
でもアストレイはアストレイ、だろ?気にすんな」
魔族――それは百年前、平和を奪った存在。
子どもでもその名を知っている。知らないのは、アストレイだけだった。
レオダルクは軽くアストレイの背中を叩き歩き始める。
アストレイは小さく頷き、うつむくしかできなかった。
角の影が、夕陽の差す廊下に長く伸びていた。




