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カブラくんが調子を崩したと楓さんから電話で知らされて、尻もちをついてしまったあたしに呼びかけてくれる声があった。
「松下さん、どうしました? 松下さん!?」
白木さん? どうして? ああ、あたし、トリミングの道具を置き忘れて来ちゃったんだ。
白木さんは、あたしの手を離れてコンクリートの床に転がり落ちたスマホを拾い上げた。
「もしもし? 白木ですが、松下さんが正気を失っております。なにがあったんですか?」
『実は、松下の飼っているフレンチブルドッグが調子を崩しまして。できるだけ早く戻ってくるよう言ってもらえませんか?』
「わかりました。浜風ペットサロンですね。すぐにお送りしますので、カブラくんをお願いします」
なんだかぼんやりした頭の中で、話がどんどん進んでゆく。
「松下さん、帰りましょう? 免停中ですがここは仕方ない。ぼくが運転します。エレベーターまで歩けますか?」
あたしは首振り人形みたいにこくこくと頷いた。
そして、肩と腰を白木さんに支えられたまま、エレベーターに乗り込んだ。
「松下さん、あきらめちゃダメです。浜風ペットサロンは最高のスタッフがそろった動物病院でもあります。だから、しっかりしてください」
うん、と声に出したような気がする。
地下駐車場に着くと、白木さんはあたしの車はどれかを聞き出し、助手席に乗せた。
「大丈夫。なんとかなりますよ」
シートベルトをしてくれて、そこでやっとあたしは涙を流した。
「あたし、どうしよう」
「泣くのは今だけですよ。間違ってもそんな顔、カブラくんに見せたらダメです」
強引に持たせてくれた白木さんのハンカチで、遠慮なく涙を拭う。
白木さんはあたしの車を一通り見定めた後、自分もシートベルトを締めてエンジンをかけた。
「免停になった原因、教えましょうか?」
そんなこと知ってもしょうがなかったけれど、今は沈黙が怖かった。白木さんはそれをわかってくれている。
「彼女が突然ラーメンの食べ比べをしたいと言ったんですよ。九州と北海道の。それで、寝る間も惜しんで無理に走って捕まったんです。笑っちゃうでしょう?」
笑えないよ。白木さん、優しすぎる。今回捕まってしまったらどうなるんだろう?
そして、そこまでしてくれたのに、彼女とはけんか別れしちゃったんだなと思うと、その彼女がなんだか自分勝手に思えた。
だけど今は、ほかのことを考えることだけで、救いになった。
つづく




