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たしかに潮風が体にまとわりついて嫌だという女性はいるけど。まさかこんな身近にいるとは思わなかった。
「実はあたし、カブラくんと一緒にアパート追い出されてしまって。会社もクビになって、なんとなくたどり着いたのがあの海辺だったんです」
「へぇ〜? そんなことがあったんですか」
あたし、なんで白木さんにこんな話をしているんだろう?
「それで、車の中で途方に暮れていたところを楓さんに見つけてもらって」
「ああ。よかったですね」
「本当に。あのままだったらあたし、どうなっていたかと思うと恐ろしいです」
「縁ってあるんですね。それを言ったら、松下さんとこうしてお話できるのも、彼女と別れたおかげかもしれないです」
「え?」
「あ、いや。不純な動機ではなくて。ここのところずっとけんかばかりしていたから、松下さんとこうして穏やかに話せることがとてもうれしいのです。ってこれもセクハラになりますか?」
「いいえ。だ、大丈夫ですよ」
うわっ。あせった。
「はい、シャンプーとリンスは終わりました。あとはドライヤーですね」
バチン、と突然壁から叩かれる音がしたのと、視界が真っ暗になったのは同時だった。
「え? あたしのせい?」
「いいえ。ごめんなさい。ちょうどお湯沸かして、炊飯器使ってるのと時間がかぶってしまって。ここで待っていてくれますか?」
「はい」
ブレーカーが落ちるなんて体験、久しぶりだな。でも、うん。たしかにそういうのって、男の人はわかってないかもしれない。
白木さんがスマホの明かりをたよりにバスルームを出てから、ミルクくんをバスタオルで丁寧に拭く。
ミルクくんは小気味よくブルブルをして、体にまとった水滴を飛ばした。
バチンと音がして、電気が復活すると、あわてた様子で白木さんが戻ってきた。
「お手間をかけてしまってすみません」
「かまいませんよ。ドライヤー使いますね」
その時。なんだかよくわからない不安に襲われた。背筋がぞくぞくして、変な感じだった。
「どうかしましたか?」
白木さんに聞かれて、いいえ、と答えたものの、よくわからない不安は遠ざからない。
とりあえずトリミングを終えると、料金をもらった。
玄関を出ようとした、まさにその時。あたしのスマホが振動した。
「あ、じゃあ。ありがとうございました。またね、ミルクくん」
ミルクくんと白木さんに別れを告げると、走るようにエレベーターホールに向かい、電話に出た。
『もしもし里奈ちゃん。今ね、カブラくんが体調崩しちゃって』
「え?」
足元がぐずぐずと崩れるような予感がして、あたしはその場で尻もちをついた。
つづく




