【みんなの夏休み:第21話:進まないもの帰ったもの】
指示をした若者が優秀なのか、なにかしかの力が働いているのか、目的を果たしたと知らせが有った。
同じ部屋に出向くと若者は直立のまま、苦虫を噛み潰していた。
「お疲れ様です会頭」
言葉と礼の姿勢は変わらないが、心中は穏やかでは有るまい。
いつもロレンツォが掛けるソファに、背中をこちらに向け男が座っていた。
その背後には護衛と思われる体格の良い男が、黒服を着て後ろ手に手を組んでいた。
その背後の壁にある出入り口から、ロレンツォは入室したのだ。
前に回り表情を消すロレンツォ。
いつも若い男が座る席にロレンツォが掛けた。
うしろで直立に戻った若者は歯を食いしばる。
ギリと音が漏れたほどだ。
(まだまだ若えな、坊主)
子供の頃から彼を知るロレンツォは、少し後で話をしないとなと思った。
表情を消したまま、要件だけ伝える。
眼の前の男が標的だとは空気だけで解った。
他人を見下すことで自分の価値を図るタイプの人間。
すなわち貴族だ。
それも高位の。
着ている服で解る。
金と手間を惜しまずついやして作る服であった。
まとう表情でも解る。
ここには自分より上位の者はいないと、顔に書いてある。
上位者がいれば別の顔になるのであろう。
「とある方がお会いしたいと申しております。お時間よろしいでしょうか卿」
人物については調べがついていた。
王都では有名な人物だし、地元では顔を上げて挨拶できるものは少ないであろう。
伯爵家家令長にして、男爵家の当主でもある男だ。
ただの男爵家当主とは格が違い、伯爵家傘下の子爵より上の立場だ。
なので男爵とは呼ばぬのだ。
隠密の訪問なので役職名も出せず、先の呼びかけとなる。
「事情は承知している。かまわぬ案内せよ」
うしろの若者の顔が赤くなっただろうとロレンツォは察し、心のなかで苦笑する。
立ち上がり入ってきたドアを開けるロレンツォ。
(これぐらいで妻の命が助かるのなら、泥でもすするわ)
ロレンツォの表情は変わらない。
「ご足労おかけして申し枠ありませぬが、こちらに」
それだけ告げ先にドアを抜けた。
少し距離を置き着いてくるのを確認し、先に進むロレンツォ。
若者はあの場に残る。
こちらに入る資格をまだ持たないのだ。
(まだしばらくは、ここにとおせねえな。坊主よ)
荒ぶる心がさせるのか、現役の船長時代にもどったかのような心の声だった。
突き当りの部屋にたどり着き室内まで案内するロレンツォ。
無人の室内にどこへいけとも言わず通れるように避ける。
入室した男爵はまよわず正面の豪華な椅子に掛けた。
護衛はまた同じように背後に立つ。
ロレンツォの上位者もまだ自分より下だとしめすのだ。
立ち去ってやろうかとも一瞬思うロレンツォ。
(わたしもまだ修行がたらんな)
そう心でなげくのであった。
間ををいてふと思いついたかのように男が告げる。
「おぉそういえば、貴殿の屋敷に当家のお嬢様が訪れたと聞くが?」
まあ当然それくらいは把握しているだろうと、答えは準備してあった。
「さて、娘の友だちが何人か遊びにきていたようですが、名乗りは頂きませんでしたな」
レティシアには名乗りの件を伏せるよう、娘から頼んでもらい快諾を受けていた。
なので堂々と、とぼけられる。
「ふん、まあそうゆう事にしておいてやる」
その筋から嫌味をいいたかったか、便宜を引き出したかったのだろう。
つまり強請だ。
それくらいは今回の相手の素性が割れた時点で対策済みだ。
以前学院で伯爵家配下の者と揉めたと娘に相談され、ある程度ヴァレンシュタイン伯の派閥は調べたのだ。
ポルト・フィラントには手が入っておらず、伝も無いようだった。
今回の接触は、その当たりの探りであろうとも推測できていた。
ロレンツォには娘に家業を継がせる気は無かった。
自由に生きたほうがきっと幸せだと学んでいたのだ。
引き渡し後も、部屋に残ったロレンツォ。
今は外に控えていたマルタ商会の護衛が一人、室内で控えていた。
先程は外で待つよう目線で指示したのだ。
上位者へのつなぎは反対側の外にいた、あちらの護衛に頼んである。
ロレンツォには良くあることなので、察して知らせに言ってくれた。
あちら側の護衛もロレンツォには敬意をもって接する。
本来立場的には無いことだが、ロレンツォの若い頃の話を知っているのであろう。
ロレンツォは若かりし頃、不殺の海賊ともよばれ恐れられた武装商人だった。
遥か東方との航路を開拓した英雄とも呼ばれたのだ。
その時代を知るものでロレンツォに敬意を向けないのは、よほどの立場のものか愚か者だけであろう。
それほど待たず上位者が戻った。
「何用かな?ロレンツォ君」
彼は立場的にロレンツォに敬意を示すことが許されないタイプの人間だ。
こころのなかで詫びているのは目でわかる。
「何度も申し訳ないが例の薬の件なのですが」
もちろん用意してあっただろう言葉が落ちる。
「もちろん急いでいることだろう、上のものには伝えてあるので安心してほしい」
何度も行ったやり取りでロレンツォの心は削れる。
半ば解っているのだ、ここでは手に入らないと。
「左様ですか。ではまた」
それだけ告げて表情を消したロレンツォが立ち去る。
残され一人になった上位者の顔にも暗い影が落ちていた。
『ただいまー!』
自宅のように声をだすのはユアとノア。
出迎えのハウスメイドさん達にも笑顔が漏れた。
たっぷり一日舟遊びを満喫し、くたくたになったメンバーを従え、元気いっぱいの二人だ。
船の周りを泳いで回る二人の姿は、海洋哺乳類かと思う速度であった。
一番動いた人間が、一番元気が残っている不思議。
「おかえりなさいませお嬢様方。お風呂を準備していましたよ。まずはゆっくり休んでください」
メイドさんの言葉にやっと明るい顔になる残りメンバーであった。




