【ユアママ編:第9話:つがれる想い】
朝早くに昨日の戦いを逃げ延びた全員を集めてもらう。
セリアスが捧げるようにラドヴィスの聖剣をエルナにわたす。
聖剣を腰に下げ訓示用の立ち台にあがり、エルナが話始める。
「皆ここまでありがとう、我々はついに影獣の王を打ち倒しました」
誇らしげに笑顔で語りだすエルナ。
この一日で気持ちを整え、これは自分の役目だと皆を集めてもらったのだ。
エルナの前には数万の影獣を打倒した勇者達の最後の100人程が残った。
4000人以上いたシルヴァ傭兵団の生き残り。
それも戦闘職は半分ほどで、残りはサポートをしていた構成員だ。
「本当にありがとう。団の誇りにかけ、何も語り継がず去りましょう」
すっとセリアスがエルナの横に立ち、皆を厳しい目で見回す。
「シルヴァ傭兵団団則唱和!」
セリアスにしては強い声で宣じた。
100名の唱和が返る。
一糸し乱れぬ声だ。
一つ、奪わぬこと
一つ、退かぬこと
一つ、奪われぬこと
事あるごとに決意のもと唱和されてきた想いだ。
志を無くさず生きることを「奪わぬ」と誓い。
何を犠牲にすることも恐れぬと「退かぬ」と誓う。
最後に守るべきものを護るため「奪われぬ」と誓うのだ。
途中から嗚咽が漏れ、全員の瞳を濡らしている。
彼らは余りに多くを失ったのだ。
セリアスが下がりエルナが続ける。
「ラドヴィスは」
そこで言葉が途切れる。
空を仰ぐエルナは唇を噛み締める。
しわぶき一つなく言葉を待つ団員達。
振り戻ったエルナの瞳は真っ赤だったが、涙はこらえたのだ。
「弱きを守りたいと、団を作りました。それは最後の時まで変らぬ想いでした」
一人一人と目を合わせるように眺めるエルナ。
「最後の目標としていた影の王は倒しました。私たちの想いは貫き通されたのです」
少し誇らしげに微笑む事ができたエルナ。
間を置き、告げる。
「本日をもってシルヴァ傭兵団を解散します」
ぐっとまたこらえる顔になるエルナ。
「皆自由に生きて欲しい。それが団長の最後の言葉でした」
亡き夫の言葉は、こらえきれない涙をともなうのであった。
春が近づく晴れやかな朝であった。
こうして伝説とまで言われ、ただ唯一影獣を退けた傭兵団が消えていったのだった。
何一つ求めず、誇らず、ただ静かに。
雪月山脈を望む王国側の深い森。
人里から十分な距離を取り、拠点を構築することにした。
100人程度の元団員が力を合わせ砦を作っていた。
好きにして欲しいと突き放したのに、ほとんど全員がついてきたのだ。
隠れ里を作りましょうと森を開き、始めた事業だったが、出来上がっていくのはどう見ても砦だ。
彼らは何度も移動しながら防御拠点を作った経験が豊富だったが、村を作ったことは無かったのだ。
誰一人疑問に思わず、森の奥地に頑強な砦が出来上がっていく。
自給出来るようそれなりの大きさの畑も作られ、流れるように係分けされそれぞれの技能を活かし運営される。
請われたが長にはならないとエルナは言い切り、なら誰もならないよと村長は決めなかった。
狩猟係が獲物を森に求め、補給係が畑を起こし、補給路を整えた。
アイギスは一人だけ残っていた斥候兵に指導を受け、周囲警戒に当たった。
アイギスは相変わらず無表情無口なのだが、最近は自分からも話しかける事がある。
それを微笑みながら見守るエルナ。
アイギスを叱らなければならないことは、もう殆どなくなったのだ。
大きくなってきたお腹をいたわるエルナは、団員がどこからか準備してくれたロッキングチェアに揺られていた。
微笑みを浮かべお腹をさすりつつ。
秋が近づき、エルナは出産を終えた。
残っていた人員で、唯一出産経験のあった女性団員と、これから経験するだろう若い娘達が見守る中、元気な女の子が産まれた。
父親との思い出の地名から名前をとり「ユア」と名付けた。
産後落ち着くと、一人ひとり全員がエルナを称えに来た。
よくやったぞと、皆が支えるから安心しろと。
エルナはその小さな命が、また失われてしまわないか心配で仕方なかったが、ユアは問題なく育った。
栗色の柔らかい髪と、くるくるとよく動く大きな茶色の瞳。
エルナにそっくりの子に育った。
色合いはエルナに似たのだが、顔つきがラドヴィスに似ていた。
笑うととても良く似ていて、エルナははっとするのだ。
エルナもよく育て、村人皆で支えることでユアは成長していく。
歩けるようになる頃には、ユアは自分らしさを十全と発揮していく。
後から産まれた村の子にびっくりして目を大きくしたり、泣き出した赤子の声に驚き自分も泣いてしまったりと、好奇心旺盛な優しい子に育っていった。
ユアはよく笑う子だった。
むずがって泣くことは多いのだが、誰があやしてもよく笑う。
村の誰もが、ユアに話しかける時だけ声のトーンが柔らかくなる。
それがこの地に根づいた空気を、象徴しているようだった。
戦後に後遺症を持ったり、体調を崩すものも少ないがいた。
影獣との戦いで傷を負ったからだ。
一番酷かったのはセリアスであった。
いくらもしない内に歩けなくなり、ベッドで過ごすようになった。
見舞ったエルナはそこにラドヴィスの最後のような気配を感じ、涙を流す。
「そんな顔をするんじゃないよエルナ。母になったのだ強くあらねばな」
エルナを励ますように声をかけるが、既に力がない。
衛生兵出身の医師はいるが、セリアスの傷は内蔵に達しており、長くはないだろうと言われたのだった。
「ユアはラドヴィスにもよく似ているな」
一度連れてきて抱かせたことがあった。
今日は昼寝をさせて、預けてきていた。
「笑うと小さいのに目元がそっくりだ」
にこりと一度笑うセリアス。
眉を下げ心配そうに、泣き止まないエルナを見る。
エルナにとってセリアスは兄のように優しく、父のように厳しい教師でもあった。
「ラドヴィスが最初に相談に来たときな、こういったんだよ」
セリアスは少し疲れたのか首を戻し、しわぶかい目を閉じた。
真っ黒に落ち窪んだ眼窩が、死者を連想させる。
「神官の私に言うのだ。神殿を捨ててでも助けたい命がある。そのために全てを賭けると」
セリアスの唇がじんわり笑みを刻む。
皺深い顔は40代の顔ではない。
闘病により色の抜けた銀髪と合わせて、とても年老いて見えた。
「潔くて優しい気持ちを、真っ直ぐにくれたよ」
もう近づかないと聞き取れない声に、エルナはあわてて耳を寄せる。
「それは私への信頼なのだなと、嬉しかったのだよ‥‥」
それがセリアスの最後の言葉となった。
微笑みを刻むその表情はどこか満足そうで有った。
こうしてエルナは村で初めての死者を弔うこととなったのだ。
村の中央に櫓がある。
万が一の防衛時に指揮も取れる作りでなかなか立派なものだ。
その櫓の土台は盛り土で丘のような広場になっていた。
広場に大きめの石を置き墓標とした。
皆が花を供え弔う。
涙と悲しみの全ては、生前のセリアスへの感謝でもあったろう。
エルナは、ユアを抱いたまま頭を垂れた。
唇を引き結び、目を閉じて祈った。
もう涙はこぼさないとセリアスに誓う。
ユアのために強くなるのだと。
きょろきょろと見回すが大人しくしているユア。
ユアにはまだ涙の意味がわからないだろうが、何かを感じ取っているようにも思えた。




