【ユアママ編:第8話:エルナのこくはく】
ユアを寝かしつけ、思いがけず追憶に涙した後エルナは食事の片付けをしていた。
コンコンとノックが鳴る。
「はぁい」
とドアを開けたエルナ。
「あら、お帰りなさいアイギス」
アイギスは18才になっていた。
もっとも出自がわからないため、エルナが設けた誕生日に10才から数えている。
「ただいま戻りましたエルナさん」
今回は王都方面の偵察と言っていた。
「入って。寒かったでしょ?」
居間でお茶をだしたエルナ。
アイギスは相変わらず言葉が少ない。
問えば答えるが、必要以外は話さない。
あの日からずっとそうだ。
「もう傭兵団はないのだから、偵察任務なんてないのよ?」
アイギスに答えはなくじっと手元のカップを眺めている。
6年前からここに砦を作り、隠れている。
傭兵団の旗はまだ残しているが、皆が懐かしむために有るだけで、それ以外に意味はもうない。
暖炉の前のソファに座るエルナは、じっと火をみていた。
「アイギスもおいで、温かいよ」
アイギスは小さなテーブルセットに腰掛けている。
4人では少し狭いだろうサイズだ。
「大丈夫です」
エルナはアイギスに自由に生きて欲しいと願ったが、ここが良いと残ったのだ。
残ったくせに、偵察に行くとふらりいなくなり、半年も戻らなかったりする。
何をしていたか尋ねても偵察としか答えない。
「影獣には近づいてはダメよ」
エルナの声は低い。
アイギスは答えない。
「変なこと考えないでね?あの人の仇なんて討って欲しくないからね」
何度も話した言葉だ。
アイギスは沈黙を保つ。
それが答えになると知っているのだが、簡単に嘘も言えない。
幼い頃からエルナに嘘は絶対つくなと、厳しく指導されてきたのだ。
そうして何度目かの同じ話だけをして、アイギスはまた去ったのだった。
いつの日か戻らないのではとエルナは心労を重ねていった。
「ラヴィ!!お願い目を開けて!」
エルナの腕の中で、血溜まりに沈むラドヴィス。
あちこち切られて血が止まらない。
それ以上に悪い顔色が気になるエルナ。
「大丈夫、ちょっと休めば治るよこれくらい」
ラドヴィスの声に力はない。
最近戦いは激化を遂げていた。
まるで準備期間で有ったかのように、なりを潜めていた影獣達は次々と強敵を送り込んでくる。
互いにルールを決めたかのように、少数精鋭で襲ってくるようになった。
今日戦った相手はダウスレム麾下の将軍の1人と名乗った。
強敵であった。
両手の直剣を自由に操り、人間では不可能な動きから切りつけてくる。
聖剣で防ぎながら、次々切られていた。
誰も割り込めないレベルの動きなのだ。
エルナですら近づけば邪魔にしかならないと解るレベル差。
ラドヴィスは最後に雷神ペルクールの力を使い、将軍を滅ぼした。
黄金の光が収まると、直後に倒れたのである。
全身にある傷も浅くはないが、致命傷には遠いと冷静に判断できるエルナ。
顔色が悪いのだ。
雷神の力を使うといつもそうだった。
最近は特に酷い。
3日も起きなかったり、咳が止まらなかったりするのだ。
「お願いラヴィ‥‥もうその力は使わないで。貴方が失われてしまうのじゃないかと心配」
ラドヴィスは震える声で答える。
「これも作戦の一つさ‥‥弱っていると誤認させるためだよ」
きっとエルナは遮る。
「嘘!‥‥だって、こんなに顔色が悪い」
ラドヴィスの顔色は青く、すでに死人のようだった。
次々と人が集まってくる。
下げられていた衛生兵たちだ。
「お待たせしました!隊長!団長!」
4人ほど駆けつけた兵が手際よくラドヴィスの傷を処置していく。
それを一歩下がり見つめるエルナの瞳は潤んでいたのだった。
不吉な予感とともに。
それから一週間経ってもラドヴィスは回復しなかった。
テントでの移動生活も体に良くはないのだろう。
ここに釘付けになり、すでに7日経っていた。
報告の兵が来て、エルナは外にいてとラドヴィスに言われ、テントが見える場所で待機していた。
今は参謀達と斥候兵の取りまとめが話し合っていた。
ラドヴィスはベッドから起き上がれなくなっていたのだった。
雷神ペルクールの力を使うと、必ずどこかに深い傷が出来るのだ。
ラドヴィスの背中はすでに傷だらけであった。
衛生兵を通じ、団の皆も気づいていた。
最初は皆が交代で止めようとしたが、ラドヴィスの意思は硬かった。
「ここで立ち止まるなど、今まで礎となった英雄達にあわせる顔を無くすよ」
あわせるときはもう私の側にいないじゃないと、何度叫びそうになったか。
エルナは最近もう一つ伝えたい事があった。
今日こそはラドヴィスに話そうと、待っているのだ。
テントの入口の膜を上げ、セリアス達が出てきた。
「エルナ、少し良いかな?」
珍しく隊長と付けずに呼ぶセリアス。
うなずいたエルナを見て、セリアスだけが近くに来た。
残りの人員はそのまま配置に戻った。
「斥候がついに奴らの王を捉えたよ」
エルナの顔色はさらに悪くなった。
「隊が一つ失われた。おそらく次はここを目指していると報告があった」
沈痛な表情は、セリアスも気づいているから。
見事に影獣の王に追い込まれている。
次はないのではないかと。
エルナも同意見だった。
「伝えたいことは、全て伝えるのがよいぞ」
テントを見やりそういったセリアスは今にも崩れ落ちそうな辛そうな顔だ。
エルナの背を軽く押し去るセリアス。
その目には隠しきれない悲しみが滲んでいた。
ラドヴィスの近くで戦った者はすべからく気づいていたのだ。
もうラドヴィスが長くはないと。
今回の出撃も皆でラドヴィスを止めたのだ。
団員に多くの犠牲がでると、聖剣を握り立ち上がるラドヴィス。
「頼む」
とだけ告げる彼を誰も止められなかったのだ。
テントに入ると、ラドヴィスの横に膝を付きアイギスが控えていた。
この数ヶ月で驚くほど多くの感情を手に入れたアイギスは、悲しみに唇を噛み締めていた。
剣の指導を通じラドヴィスとアイギスは師弟のように心通わせていた。
「エルナさん、ラドヴィスさんを止めて。もう左手は動かなくなっている」
アイギスの声に震えが混じっている。
あの何の感情もなく短剣を向けた男の子が、震えながら止めてと泣いているのだ。
ラドヴィスの側に膝をつくエルナ。
騎士のようにラドヴィスの両手を抱いた。
アイギスの宣言通り、左手にはもう熱がなかった。
エルナはラドヴィスの瞳を見つめ、伝えたかったことだけ告げる。
もう時間がないと気づいたのだ。
「いつかラヴィが語ってくれた夢を覚えているの。小さい頃の話よ」
エルナの唇も声も震えている。
無理に作った笑顔が張り付く。
「森の奥に住み、動物たちと生活してみたいと。草花を育てそこで生きたいと」
せっかくの笑顔だったが涙がこぼれてしまった。
笑顔で伝えたかったのだ。
とても嬉しいのだと。
「あなたの子を身ごもったわ。産み育て貴方の夢を継がせます」
それだけを告げるとラドヴィスの手を押し抱き頭を下げ嗚咽をもらした。
声はなかったがラドヴィスの顔に、久しく見なかった微笑みが浮かんでいた。




