【ミーナ学園編:第12話:ぬいぐるみの意味】
レティシア・カタリナ・ヴァレンシュタインは伯爵家の長女にあたる。
上に二人兄が居るので家督からは遠いが、親からは大切に育てられた。
王都周辺に広大な農地を持つ伯爵家は古くから王家に仕える武家でも有った。
兄二人はそちらの方面に進み、軍内でも上位に任じられている。
伯爵家は寄り子も多く、いくつもの貴族を従える一大派閥であった。
今は学校が休みに入り、帰省したレティシアは自室に久しぶりに戻り堪能していた。
「ふぎゅー、あいたかったですよみんな」
言葉遣いまで子供にもどるレティシア。
ベッドに夜着で倒れ込み、大量の動物ぬいぐるみに包まれていた。
「はぁ‥おばあさまに内緒で1人くらい連れていきたいですわ」
中でもお気に入りの、大きなクマを抱きしめペタリと座るレティシア。
小さい頃から動物が大好きで、誕生日には皆から動物のぬいぐるみやおもちゃをプレゼントしてもらっていたのだ。
魔法の才能を認められ、王都に入学することが決まると祖母に呼び出された。
祖母はかつて王立魔法師団の団長まで務めた伝説ともいえる女傑であった。
『レティシアさん。今日からは貴族家のお嬢様ではなくなりますよ。』
威圧を含んだ視線に竦み上がった。
『学院の門をくぐるのならば、ヴァレンシュタイン家の家名、そしてわたくしの名を守る義務があります』
レティシアのミドルネームは祖母から送られたものだ。
産まれたばかりのレティシアから尋常ではない魔力特性を見抜き、与えたのだと聞いた。
『はい、おばあさま。名に恥じぬ行いをいたします』
震えながらそれだけを答えたのだった。
きゅっとクマにキリンをたして腕の中に抱きしめるレティシア。
悲しそうに眉をさげるのであった。
「でも‥‥セレナ達はちょっと威圧しすぎにおもうのよね。わたくしだって皆と仲良くしたいのに」
ちょっとだけ涙ぐんだりもした。
「ミーナやエーラみたいに手を繋いでみたいな‥‥」
そんなあたり前のことすら許されない暮らしであった。
期待していた同室も与えられることはなく、前室にセレナやフィオナが詰め、個室に追いやられる。
誰かと話そうとする度に、セレナが間に割り込むのだ。
「昔はあんなに仲良くしてたのに‥二人共けして触れてくれない」
セレナもフィオナも実家が子爵家で、ヴァレンタイン伯の寄り子となる家だ。
幼い頃から侍女としてそばにいて、泣いたり笑ったり3人でしてきたのだ。
そのセレナ達も学院入学時についてきてくれたのだが、各家からもバレンタイン伯からもなにか指示されているようだ。
話してはくれないのだが、急に変わった対応で察したレティシアであった。
「わたくしがおばあさまに釘を刺されたように、きっと二人も何か言われているんだわ」
ぬいぐるみを3匹にふやして抱き直しながら、学園での生活を思い出すレティシア。
厳しく回りに当たるセレナやフィオナを悪く言うこえも聞こえてきた。
それは自分に対する評価が下がるよりもずっと辛い言葉としてレティシアを傷つけた。
「ふたりとも本当はとても優しくて、思いやりのある人なのに」
レティシアの顔はどんどん曇っていくのであった。
セレナ・エルヴァルドは今年で17才になる。
貴族の世界では既に成人扱いであった。
幼い頃より2つ年下の主家の娘に侍女として務めてきた。
ビシィ!
なんとか木刀を取り落とす無様は回避したが、片膝を付いてしまった。
「ふぬけが!!鍛え直してくれるわ!!」
父であった。
幼い頃より指導を受けている父は、王都で主流の伝統剣術の師範でもあった。
ヴァレンタイン派閥でも武家の名門である。
セレナには二人の弟と姉が一人いる。
姉はすでに嫁いでいた。
年の離れた弟たちも自分と変わらぬ厳しい指導を受けているのだ。
産まれて間もなくからレティシアの侍女と決まっていたセレナには、身を呈して主人を守る技術が叩き込まれてきたのであった。
それは大人でも音を上げる厳しい指導のかいもあって、セレナを立派な武人に仕立てた。
左腕を打たれしびれとともに痛みが残っているが、なんとか立ち上がり構えを取る。
「有難うございます!」
それは幼い頃から繰り返した武の心であった。
歯を食いしばり答え、構えるセレナ。
指導は午後いっぱい続くのであった。
入浴し自室に戻ったセレナはベッドに倒れ込んだ。
体中が打ち身と疲労でぎしぎしと悲鳴をあげている。
まくらの横にある手のひらほどの犬のぬいぐるみを取った。
物心ついた頃に母がこれくらいはと頑張って与えてくれた、たった一つの女子らしい物であった。
顔にもってきて頬ずりする。
「るーくんただいま。王都につれていけなくてごめんね‥レティを守らないといけないのよ」
この犬のぬいぐるみはセレナに許された唯一の女の子であった。
犬のまえでは女の子に戻れるのだ。
「いつの日かこうして女の子にもどれるのかな?」
それは叶わぬと自分でもわかりきっているのであった。
セレナの頬を一筋の痛みがこぼれ落ちた。
フィオナ・アルトハイム18才
アルトハイム家長女として産まれ、幼い頃より貴族必須の技能を叩き込まれた才女である。
貴族家の文官が最初に教わることは”全てを疑う”こと。
そこに甘えは許されず、騙し騙し合うのが日常である。
幼い頃から躾けられた感覚は人を敵、そして敵じゃないものに分けるよう認識させた。
味方などという認識は甘えだと、厳しく刷り込まれた。
もちろん各種学問、魔術への教育もそれぞれ最大限になされた。
フィオナは自分のための時間など与えられたことがなかった。
容姿を整えるのですら策の一つだと教わる。
商家から成り上がり、いまではヴァレンシュタイン派閥を支えるまでになったアルトハイム家。
一代で家をなした父は娘を愛さなかった。
母を早くになくしたフィオナには逃げ込む先など与えられなかったのだ。
冷たく正しく、常に利益や効果をはかる日々。
それがフィオナにゆるされた生き方だ。
レティシアの侍女に抜擢されてからもその教育はつづいた。
今日も久しぶりの娘の帰省に顔を出すどころか、手紙の一つもない父であった。
フィオナはそこに疑問は持たない。
そうであろうと知っているからだ。
幼いレティシアとの日々はフィオナを癒やし育んだ。
女の子とはこんな生き物なのだと初めて知ったのだ。
その頃から残されていた唯一の母の形見である、そのぬいぐるみはレティシアの心を守ってきたのだ。
ベッドに入りそっと枕元に隠してあるネコのぬいぐるみを取る。
デフォルメされたかわいらしい黒猫だ。
「みーちゃんただいま‥‥今日は一緒にねましょうね」
まるで少女のようだなと感想を覚えながら、ねむりについたフィオナ。
そのほほには母を思う気持ちが、雫となり流れ落ちるのだった。